トヨタ鋳物工場・ポンプキン爆弾による被害の写真

以下に紹介する鋳物工場の写真は、1945.8.14・終戦の前日に
B-29が投下したポンプキン爆弾・5トンによる被害の状況を終戦直後に米軍が撮影した。
米国戦略爆撃調査報告書によるもので、(元・三河タイムス社長T氏提供・2023.6)

1、米国戦略爆撃調査報告書
日本目標に対する1万ポンド(約5トン)爆弾の影響


2、1937年 工場完成当時の建屋配置図
トヨタ自動車20年史・81ページ


3、1945.8.14 米軍爆撃時の工場航空写真




4,鋳物工場の爆心地点からた撮影した写真・米軍Photo No 順
注1:写真下欄のコメントのBomb1は爆心地点
注2:写真下欄のコメントのBldg No は建物番号
建物89は爆心地の近くで、可鍛鋳物工場?



写真2. 爆心(Bomb1)から東を望む


写真3. 建物 89 と 105,爆心から東南東を望む


写真4. 建物 89、爆心から南を見たところ、


写真5、建物 89、爆心から南西を見たところ、


写真7. 建物89、内部、東向き、


写真8.建物 89 内部、東向き、


写真9,建物89北壁、東南東方向、


写真10、建物89と92、89内部から北東を見たところ
(1945年8月15日に撮影された日本側の写真、瓦礫が写っている)


写真11,建物 92、建物89 の内部から北北東を見たところ
(1945年8月15日に撮影された日本側の写真、瓦礫が写っている)


写真12,建物 91 と 107、爆心から北を見たところ


写真13、建物 92、爆心 から北北東を見たところ、


写真14,建物 92、爆心から北東を見たところ、


16,写真15,建物92西南角外観、


写真16,建物92、爆心と東の内部、そして西北西を望む、


写真17,爆心地面、建物 92 内部、西北西方向


写真18,建物 92 内部、西北西方向、
(1945年8月15日に撮影された日本側の写真、瓦礫が写っている)


写真19,建物92東端内部
(1945年8月15日に撮影された日本側の写真、瓦礫が写っている)


写真20,建物107 と 109、爆心 から北西方向を見たところ


写真21,建物109、北西向き、損傷した電気炉部品、
(写真内部のコメント:電気炉部品の破片化、穴は鋼板 1 1/8 インチ・約3cm の厚さ)



5,拳母工場に1トン爆弾が落下・トヨタ20年史・202ページ
20年史の鋳物工場の被害の様子は下記の通りです。
当時は、原爆模擬爆弾・ポンプキン5トンの認識はなかったようです。


編集者補足:
社史によると、被害規模は工場全体の2%ですが、
鋳物工場エリアの大半が強烈な爆風により吹き飛び電気炉などの設備も
大破し多大は損失のように思われます。その後の復興は困難があったと思われます。

July 15.2023 up


『トヨタ鋳物工場壊滅・爆心地写真』の訪問ありがとうございました。


日本語目次トップページへ戻る
***『B-29トヨタ爆撃の真相』のトップへ戻る ***