・・・終戦70周年特集、B-29 日本本土爆撃最終日(1945.8.14 )・・・

時流の先へ、トヨタの系譜・第2章、11項(中日新聞社経済部・編、抜粋)

終戦前日・原爆の恐怖・トヨタの工場に!


1、はじめに

2015.5.28 B29 Friend が 『 トヨタの系譜 』 を持参して拙宅を訪問、あなたの関心がある記述があるという。
早速拝読、感謝に堪えない。私は、中日新聞の購読者で、新聞の連載記事をつぶさに読んでいたので、
本書の上梓をうれしく思う。

今年は終戦70周年、”トヨタの系譜”出版にあたり、トヨタの節目を掘り起した取材記者、編集出版関係者と本書提供者
へのお礼と感謝の気持ち込めて、このSite を編集し公開させていただきます。

その内容は、何れも終戦前日の日本本土へのB-29 出撃情報です。

・2項:第21BC(爆撃兵団)の日本本土出撃情報

・3項:509CG (原爆投下極秘部隊・米軍呼称:シルバープレート)の出撃情報

・4項:トヨタの系譜、抜粋・『原爆の恐怖・トヨタの工場』・・・P-59,P-60,P-61を転記




2、終戦前日のB-29 爆撃について(トヨタを狙った原爆投下部隊は、3項参照)

・米軍公表の 1945.8.14/15 の B-29 出撃リスト(文林堂 ・ボーイング B-29 対日戦出撃リスト 抜粋) 

・2項:第21BC(爆撃兵団)の日本本土出撃情報・・・BW:爆撃航空団

@、58BW(テニアン)・167機発進・目標地:光海軍工廠(山口県)・157機投弾・爆弾・損失 0機

A、73BW(サイパン)・161機発進・目標地:大阪造幣局(大阪府)・145機投弾・爆弾・損失 0機

B、313BW(テニアン)・115機発進・目標地:麻里府鉄道操作場(岩国市)・108機投弾・爆弾・損失 0機

C、315BW(グアム)・141機発進・目標地:日本石油・土崎製油所(秋田市)・132機投弾・爆弾・損失 0機

D、313/314BW(テニアン& グアム)・93機発進・目標地:熊谷市街地(埼玉県)・81機投弾・焼夷弾・損失 0機

E、73/314BW(サイパン& グアム)・93機発進・目標地:伊勢崎市街地(神奈川県)・86機投弾・焼夷弾・損失 0機

F、313BW(テニアン)・39機発進・目標地:関門海峡、七尾、浜田、宮津港湾海面・35機投弾・機雷・損失 0機

・終戦前日は、延べ809機に及ぶ最大規模の出撃で多くの犠牲者と機雷による港湾封鎖被害あり、

・1945.8.14は、日本がポツダム宣言を受諾し、8.15の無条件降伏に至る。


3、509CG(原爆投下極秘部隊)の1945/8/14の出撃情報

(出典:第509CB 指揮官・Richard H.Campbell著 "They were callde SILBERPLATE"P104&P105 抜粋)

・下記の7機が、原爆模擬爆弾(パンプキン)を各1個搭載し出撃し投弾

・当日は天気良好、第1目標地点に目測投弾

@Crew B-7 ・機長 Price ・目標 Nagoya ・戦果 Poor

ACrew C-13 ・機長 Bock ・目標 Koromo ・戦果 Excellent(トヨタ本社工場)

BCrew A-3 ・機長 Devore ・目標 Nagoya ・戦果 Poor

CCrew A-4 ・機長 Westover ・目標 Nagoya ・戦果 Excellent

DCrew C-15 ・機長 Albury ・目標 Koromo ・戦果 Poor(旧前山社宅前・明和町)

ECrew B-8 ・機長 Mckinight・目標 Koromo ・戦果 Poor(今町・矢作川河川敷)

FCrew C-14 ・機長 Hopkins ・目標 Nagoya ・戦果 Poor

 



4、原爆の恐怖工場に!(トヨタの系譜、抜粋) 
@59ページをご覧ください 

A60ページをご覧ください 

B61ページをご覧ください 

5、時流の先へ・トヨタの系譜 を読んで、

1)先人たちの苦労と献身的な支援者

  この本の読者の多くは、戦後の朝鮮動乱などの特需があり、その後の日本復興にかかわった方とその次世代の方と思う。

本書は、トヨタの指揮官と仕入先のリーダーの物語であり、その先人たちと支援者の苦労から今と未来への希望を伝える。

  また、『あっぱれトヨタ2兆円』への物語とも読める。その背後には社内外の幾百万にも及ぶと思われる方々の献身的な支援があり、現在がある。

現社長の 豊田章男氏も、創業者も複数であり多くの支援者のお蔭という。

半世紀前は、トヨタの社員も、仕入れ先の社長も『泣く子とトヨタには勝てない』といっていた。 トヨタの担当者から仕入れ先に電話があれば、不休不眠で夜行列車で駆けつけて対応した。

社内では、その時々の修羅場を乗り切った多くの先輩、また不幸にして企業戦死となった方々の家族も読むと思う。 多くの方々がこの本を読めば、往時を思い出してそれぞれに、その時々のリーダーの苦悩と自らの貢献を思い出すと思う。

そして、なによりも有益なことは、現役諸氏がこの時期に『トヨタの系譜』を学び、利益2兆円の分けを知り、未来に向けて 謙虚に、一層の社会貢献を期待したい。

2)刈谷・トヨタ挙母工場地区のB-29集中爆撃回避と朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需

トヨタの今は、先人たちの苦労もあったが、戦後のトヨタの復興は、終戦が早まり一週間後に予定されていたB-29による集中爆撃が回避され、 その後の、朝鮮動乱勃発による米国からの軍用車特需による利益のお蔭であることも忘れてはならないと思う。

その間の朝鮮半島では、沖縄からB-29が延べ22,983機が出撃し、日本本土に投下した爆弾に匹敵する197,000ton もの爆弾を投下、 200万人もの軍民が犠牲になった歴史がある。

さらに、その後のベトナム戦争特需は日本経済を潤し、トヨタ発展にも影響した事実がある。この悲惨な戦争の犠牲の上に、今の日本がある。

トヨタは、戦争末期にP-51戦闘機による機銃掃射と終戦前日に5ton の原爆模擬爆弾・パンプキンを1発喰らったが、不幸中の幸いであったといえよう。

おわり、



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