着物

 

 

 

kimono

 1999年秋のこと、私は突然古い日本を見てみたくなり、京都、奈良の旅に出かけた。
十数年ぶりの古都は新鮮な驚きがいっぱいで、嵐山や哲学の道、格子の町家や仏像と、私のこころの中の日本を求めてハイエナのように歩き回わった。時の隔たりというのか、若い時とはまったく違ったものを感じながら歩いた。
 そんな折も折り、私は祇園で美しい着物姿の御婦人とすれちがった。背筋がぴしっと伸びた、それはそれは美しい姿で、私が着物姿を美しいと感じた初めての瞬間だった。
 今思うと大島紬のその着物は、私の中に“着物を着てみたい”という思いをおこさせ、「今度は自分も着物で京都に来よう」と決意させたのだった。
 家に帰ってからさっそく呉服屋に行った。
呉服屋は数十万の値段をすぐに提示した。2軒目も3軒目もだいたい同じ値段を言う。
しかし私は、ちょっとした思いつきでそんなものをすぐに買うような人間ではない。古都の風情も理解するが、パソコンもバリバリに使いこなすという有能な人物だ。そこでさっそく《Yahoo》で検索、着物情報を大量に仕入れた。
情報によると名古屋の大須あたりには、正規の呉服屋とは値札のケタが一つも二つも違うようなモノがどっさりとあることが判明。
勿論さっそく大須に行った。
 私の嗅覚は結構高性能にできている。あるはあるは、そこにはリーズナブルな着物がいっぱいあるではないか。袖が破れている訳でも、色が灼けているわけでもない、すべてちゃんと着られる着物が!
さっそく大島紬のアンサンブルを購入。呉服屋からでたものか、まだ袖の通していない新品だった。
 着物を着たことがない場合、まず着方から分からない。なおかつ世の中の着付けの本という本は、女物の着物一辺倒で、たとえ男の写真が載っていたとしても所詮は刺身のツマ。実際的なことはまったく分からない、女だけのための世界だ。そこでやっぱりインターネットで、着付けやたたみ方を勉強した。インターネットとは便利な物で、机に向かっているだけで詳しい男物の着物の着方が全部分かった。(つまり広い世の中には、私のように、男の着物を愛して止まない人物もいたということだ) 年が明けて正月には、大島の着物でオペラを見にでかけた。ここのところにわかにオペラファンになっていた私だが、このいでたちででかけるのは相当勇気が要った。にもかかわらず何か気分のよいものだった。
 日がたち正月以外に着る勇気がなく、例の大島紬がだんだんタンスの肥やしになってきた頃、私の生来のケチ根性が頭をもたげた。安いと言っても数万円もしたものを、このままにしたのではもったいない。なんとか日常に着られないものだろうかと思案した。
「よし、学校の授業に着ていこう!」
 私は週1回デザイン学校の講師をしている。あの生意気盛りの若者たちに、私の趣味の良さと教養の深さを示すいい機会にちがいない。勇気をふりしぼり新年度一回目の授業に着て行った。どうやら格好の落書きの対象を学生に提供したようだが、おおむね好印象のようで、若者の間には私の非凡なる地位?は確立されたのだった。


すっかり気をよくした私は、時折妻にこっそり大須に通い、2枚目3枚目と着物を購入した。だんだん枚数が増え、近所の呉服屋にも顔をを出すようになってしまった。
 着物を知る上で、私の大島紬は実に上品で応用範囲が広い。呉服屋もよくこれを薦める。しかし私にはだんだんわかったのだ。男の着物は一般的には大島紬しかないのだと。
 今は実用で着物を着る男はほとんどいない。だから一生に一度婚礼の時に揃えるか、ちょっと余裕のできた時に初めて買うことが多くなるはずだ。応用範囲が広くなおかつ高価であることが、セールス上のポイントになっているにちがいない。しかし私のような着物通ともなると、そうはいかない。私はごまかされないぞ。私の趣味は上級なのだ。そうなると大島紬は初級者の着物に見えて仕方がない。私は個性的で趣味の良い着物を求め、彷徨った。懐の都合で大須の町を。
 そんな訳で、私の着物はすでに十枚ほどになってしまった。
一年を通して着きてみると、これがとても心地が良い。まさにアジアの衣料だな、ということを実感した。
ひょんなことで着始めた着物だが、着てみるとなかなか奥が深く、日本の文化って何?日本人って何?てなことを問いかけられているような気がしてきた。そして自分のなかの日本の文化に対する思いにもいろいろ変化が起た様に思える。日常の中からは忘れられてゆく日本の文化。それをもう一度引き出すと、なかなか《素敵》なものがある。その《素敵》を忘れ去ったように生きているのが、ちょっと後ろめたくなった。
 着物での京都旅行は昨年の秋に実現させた。今度は祇園で《だんはん》なんて気分に浸ってみたいなどと、大それた思いを密かに描いていたが、意外にも早く実現した。ある着物愛好者の集まりで、あの日本一の御茶屋《一力》ヘ足を踏み入れることが出来たのだ。ああ、そこには雅びで華やかで、私にとっては大変不思議な別世界が広がっていた!舞妓に芸妓、歌舞伎役者と、日常では知り合うことのない人たちと会話を交わす。再び訪れることがあるのかないのか分からないが、貴重な体験だった。


2002年とうとう着物でイタリアにオペラを見に行った。
着物で観光に出かけてみると、イタリア人ばかりでなく、イタリアに旅行にきていた世界中の人に、それはそれは暖かく声をかけて貰えた。

2005年 お茶を習い始める。
まったくどこに行こうとしているのか本人もわからない。

私は今まで色々なことをしてきたつもりだが、自分が着物を着て御茶屋やオペラに行くようになるとは想像もしたことはなかった。
人生は何が起きるか分からない。けっこう面白いものだ。

2012年1月
最近はあまり着物を着なくなってしまいました。
学校の授業にはほとんど着ていきません。
ただ展覧会の時などはほとんど着物で通します。
あと卒業謝恩会でも着ます。
着たら着たでいい衣料だなあと思います。
もっと着ようかな。





袴



祇園「一力」

着物仲間で出かけた祇園「一力」なかなか入ることもできないような御茶屋。中の様子をお見せします。

着物を着たことによって、思いもよらないようなおつきあいもできました。
また、日本画を描いてみたくなったりもしています。
まだまだ新たな出会いや発見がありそうです。


一力 座敷

踊り

踊り 黒髪

踊り 一力

一力

一力

京都「六盛」

六盛

六盛

六盛