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エレーヌ・グリモー

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 人間という種は、芸術抜きにはなにものでもありません。人間の魂を快復してくれるもの、それが芸術です。

1969年 エクス・アン・プロヴアンス生まれ
      同地の音楽院で学んだ後、マルセイユでピエール・バルビゼに師事
1982年(13)パリ音楽院に満場一致の首席で入学
1985年(16)ジャック・ルヴィエのクラスをプルミエ・プリで卒業。同時に研究料への進学も満場一致で許可。ジェルジ・シヤーンドル、レオン・フライシヤーのもとで学ぶ
1986年(17)エクス・アン・プロヴアンス音楽祭に招かれる
1987年(18)カンヌのMIDEM、ラ・ロック・ダンテロン音楽祭への参加、東京での初リサイタル、さらにはダニエル・バレンボイムとの出会いなど、グリモーにとっては一大転機の年となる
1988年(19)バレンボイム/パリ管弦楽団と共演
1988年以降はロッケンハウス音楽祭に毎夏欠かさず招待され、マルタ・アルゲリッチ、ギドン・クレーメル、ジェラール・コーセ、ハーグン弦楽四重奏団などと共演
1989年(20)ベルリン音楽祭にも初登場
1991年(21)同音楽祭に改めて招待されてデーヴィッド・シャロン指揮のベルリン・シュターツカペレと共演
1992年(22)ベルリン・フィルのメンバーとともに室内楽団として同音楽祭に参加

 日本、ヨーロッパ、カナダ、アメリカ各地でのリサイタルのほか、モントリオール響、ロンドン響、ロイヤル・フィル、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、サンクト・ペテルスブルク・フィル、東京フィル等、各国主要オーケストラとの共演も多い。その間に共演した指揮者は、シヤルル・デュトワ、チョン・ミュン=フン、ヴォルフガング・サヴアリッシュ、ユーリ・テミルカーノフ、エリアフ・インバル、ウラデイーミル・フェドセーエフ、へスス・ロペス=コボス、ネーメ・ヤルヴィ、など。

 初めてのディスクは15歳の時に録音したラフマニノフ(DENON/日本コロムビア)で、このディスクではアカデミー・デュ・ディスクのグランプリを獲得した。


今年はグリモー・イヤーか?

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
エレーヌ・グリモー/PO他(TELDEC)


 グリモーです、狼女です。(エクソシストだの、狼だのいろんな女がいるもんですが・・・。)
 
 どこがいいんでしょう。
 入ってしまっているんですね。この人も巫女的な演奏をすると思います。全身全霊音楽になりきってしまっている、そんな風に聴こえます。(これは私の妄想ですが。)
 でもドロドロになってしまわない。性格がそうであるのか、あっさりさっぱりしています。ですから嫌味がないし、後味もよい。
 私にとってはラフマニノフもいま一つピンとくる作曲家ではありません。この曲にもこれだと思える演奏がありませんでした。でも、こういう演奏なら聴いてみてもいいかな、そう思わせる演奏です。

 今年は待望の来日演奏会があります。
 
尚、今年はグリモー・イヤーになることでしょう。小さな声でこっそり予言しておきます。
('02/01/10/木)


グリモーのイヤー?

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
グリモー/マズア指揮 ニュヨーク・フィル

(TELDEC) '99

 エレーヌちゃんなんですが、実際のところどうなんでしょう。
 テクは完璧とはいいきれません。あるいはヘタウマなのかとも聴こえます。(グリモーのテク・・・なんていうと、なんだかアブナイな。)

 しかしここでは、それに輪を掛けてヘタクソなのがこの指揮者です。 振ると、まずいわ。あるいはマンマで、来ると、まずいわ。
 名前だけならF・ヴェングラーといい勝負です(振ると面食らう)。しかしその中身は雲泥の差といえましょう。
 
 この演奏でも、バックがもたもたするもんだから、それにひきずられてソロも引っ掛かっているんじゃないかと思わせるところもあります。(えっ、グリモーのバックが・・・!?)
 オケに合わせるのもソロの役目でしょうから。バックがフツーの指揮者なら、ソロにはそんな必要はないんでしょうけどね。

 カップリングのソナタ(Op.109&110)が、意外にも人気を博しているようです。これぞ隠れ名盤といえるでしょう。
('02/01/11/金)


グリモー・フィンガー

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
グリモー/ザンデルリンク指揮 ベルリン・シュターツカペレ


 ということで、今のところグリモーの代表盤としては、これを挙げるのが妥当なようです。
 これはバックをザンデルリンクが務め、何の不安もありません。思う存分弾ききっています。しかもライヴということで一段とスリリングな演奏に仕上がっています。
 いい協演者に恵まれた、見事な成功例といえましょう。
 この曲は若書きで青くさいところもありますが、それがグリモーのきらめくような感性と相俟って、いい雰囲気を出しています。
 
 グリモーに関しては、変なところにばかり目が行っていますが、ここで注目すべきはやはり指でしょう。ピアニストなら当たり前かもしれませんが、この異常に長い指。
 いいピアニストの(ほんの)一つの証のようにも思えます。

ガーシュウィン:ピアノ協奏曲
ラヴェル:ピアノ協奏曲
ジンマン/ボルチモア交響楽団






シューマン:ピアノ協奏曲
R・シュトラウス:ピアノ協奏曲
ジンマン/ベルリン・ドイツ交響楽団






('02/01/12/土)


 おそらく毎月のことなんでしょうが、毛ーストリーという雑誌がまた発売されています。(’02年1月号)
 私はそれを見て「ギャッ」と叫んでしまいました・・・。いえ、ウソです。叫びそうになってしまいました。
 ピアニスト特集というのをやっていました。グリモーもとりあげていました。そして3枚のレコードを紹介していました。それは、私が10〜12日に紹介したものと同じでした。
 この雑誌、いつ発売されたのでしょう。本当のところ全く興味がないから知らないんですが、まるで私がそっくり真似したようにも見えます。(後で知ったところによると、15日頃らしい。)
 
 実際のところ真似なんかするはずもなく、偶然一致してしまったのですが、それでも私は恥ずかしいと思いました。メジャーの意見と一致するなんて・・・。
 マイナー志向を標榜する私の立場は一体どうなるのだ。
 
 でもいいんです。こういう時のために、隠し玉はちゃんと用意してあるのだ。ひっひっひっ。
('02/01/16/水)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番
H・グリモー
/ザンデルリンク指揮/BRSO
(SACD)


 いつか言っていた「隠し玉」とはこれのことです。
 えっ「隠し玉」って何のこと? もう誰〜れもそんなこと覚えてませんよねー。
 私ははっきり言って執念深いですから、何かあればよほどのことがない限り覚えているんですが、最近ではとんと記憶力が悪くなり、たいていのことは少し経つとすっかり忘れてしまって、結局どーでもよくなってしまいます(のようです)。
 
 最初にこの存在を知った時「これは珍しいな〜」と思いました。ザンデルリンクのモーツァルトとは聞いたことがありません。グリモーもモーツァルトというと、ちょっとピンときません。イメージと少し違うかな、と。
 しかしこれが見事にハマッテいるのです。キマッテいるのです。
 私はモーツァルトなんて、まともに聴かないですから、Pf協奏曲23番と言われても、(カップリングの)交響曲25番と言われても、どんな曲なのか知らなかったんですが、蓋を開けてみれば「あぁ、どこかで聴いたような・・・。」ということなんです。
 
 Pf協奏曲では、グリモーの生き生きとした演奏が印象的です。おそらくモーツァルトの若い頃の作品だと思いますが(晩年でも若いですが)、はつらつとした感性がグリモーのそれと見事にマッチして、ストレートに伝わってきます。
 バックのザンデルリンクは、いつものザンデルリンク、何の不安もありません。大船に乗った気持ちで安心して任せられます。
 特にグリモーとも相性がいい・・・、いや、最早「よかった」と言わなければならないのが誠に悲しい限りですが、もっともっとこのコンビで名演が残されるべきであったと残念でなりません。これは人類の損失とは言えまいか。(どこかで聞いたような・・・。)
2002年2月19日(火)


半年ぶり!のライヴを聴く

チョン・ミョンフン指揮/フランス国立放送po
エレーヌ・グリモー
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
ブルックナー:交響曲第4番

(3月12日(火)19:00 サントリーホール)

 昨日は「休暇」だなどと偽って?、一体何をしていたのでしょうか。
 実はサントリーホールにいたのである。そう、暴挙に出たのである。無謀な目論みを企てたのである。グリモーを聴きに行ったのである。

 最近の傾向として、私の聴きたい演奏家はこの地方(名古屋)には来てくれない。やむを得ず私の方からお参りに行かなければならない。しかも半年ぶりのライヴですよ。ラトルだかノリントンだか、あれ以来というお粗末さ・・・。
 
 結論から言って、グリモーは良かった、最高とまでは言えなかったが。
 そしてブル4はひどかった。
 
 しかし、グリモーファンというのはまだマイナーらしく、また、ちらほら感想などを散見する(本来こういう表現は相応しくないかもしれないが。)に、どうもグリモーの旗色が悪い。ここはひとつ私が汚れ役にならねばなるまいと一肌脱いだ訳である。(ここで人肌を脱いでしまってはいけない。)
 本当はあまり触れたくなかった。そっとしておいてやりたかった。私だけの大切な思い出であり、宝物にしておきたかった。(またぁ、そんな少女趣味的な・・・。)

 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
 まず出だしで驚いた。「あれ、そうくるか。」 とってもデリケートに、思わせぶりに出た。冒頭をアルペジオ風に崩して?いた。だが今、レコード(テルデック盤)で聴いてみると、確かにそうしている。
 しかしそれは大きな問題ではない。
 今回特に印象に残ったのは、左手がよかったことだ。今までレコードで聴いてそう感じたことはない。あるいは録音のせいかもしれない。しかしこれはグリモーの進境か成長なのではないだろうか。
 それに音符がとても多いように感じた。これは音の粒立ちがいいということと、いいかげんに弾いていないということだ。
 カデンツァもオーソドックスなもので二重◎。結構弾き飛ばして(いい意味で)くれたのは爽快だ。
 そういう技術的な問題はさておいて、この曲に求められる(私が勝手に求める)詩情のような雰囲気も良かった。一瞬ではあったが天国をも見せてくれた。一楽章でのクライマックス?である、主題を強奏するところだ。申し訳無いが何小節目だとか、練習番号Xなどとは言えないが、テルデック盤だと10分16秒のあたり。
 
 冒頭申しましたように、全体としては、期待通り。最高とは言えないまでも十分満足できるものであった。レコードよりも良かった、と書くと奇異に思われるだろうか。しかしレコードでは何だか危なっかしいところもある。今回のライヴではそういうところがなかった。
 ただ、ピアノのピッチが少し高いような気がしたが、気のせいだろうか。音色が明るかったからそう感じたのだろうか。誰かこういうことにも触れてはくれないだろうか。
  
 噂では大股開きでハァハァすると聞いていたが、さほどでもなかった。足の開きも肩幅程度で妥当な線?だろう。レコードで聞かれるハァハァも全く聞こえなかった。これは少し残念だった?が、席の関係かもしれない。私は平土間、前寄りの左寄りのブロックにいたので、グリモーからは背中になる。しかし手の動きはよく見えた。

 生グリモーの印象は、「いい奴」だ。多分これは間違った使い方なんだろうけど「ナイス・ガイ」。
 女性的な魅力を感じない、というと失礼なのかもしれないが、例えばこのジャケット。「化粧」している。これがまたサマにならない。ちっともきれいじゃない。私はこんなグリモーは見たくない。
 「この人」は中性的な魅力?を持った人のように感じる。(私生活のことはさておき。)

 さて、問題はバック(指揮者とオケ)である。
 あまりにも弱すぎる。あるいはオカマチックになっていた。そーっとやりすぎというか、おっかなびっくりというか。ピアノの陰に隠れて、こそこそ顔だけ覗かせているような印象。
 もっとガンとやってほしかった。それでこそピアノとのコントラストがとれるというものだ。
 この曲は一般的にどういうイメージを持たれるのだろう。5番に対して女性的と見られるきらいは否定できない。
 5番は通称「皇帝」と呼ばれるが、私のイメージは少し違う。私は5番の中にこそ女性的なものを感じる。そしてこの4番こそ「皇帝」ではないか。
 しかし十歩ほど譲って「女帝」。いずれにしても「凛々しさ」が欲しい。書くほうもいい気分ではないが、決してオカマチックになってはいけない。
 いずれにしろ、もっとよいサポート(指揮者とオケ)で聴きたいものだ。このバックでは・・・。
 例えばザンデルリンクとの協演によるブラームス、この充実ぶりはどうだ。このクラスのサポートを得てこそのグリモーではないか。

 後半のブルックナー4番であるが、こんなものは無視してしまってもよい。しかし、その後あまりにも異様な光景を目の当たりにして、どうしても黙ってはいられない気分になった。

 まずオケであるが、可哀相であり申し訳無いが、かなり厳しい。
 私は先ずオケのどこを「見る」か?
 ボウイングである。弦楽における弓使いがなっていれば合格。だがこのオケは全くなっていない。「合っていない」レベルではない、「めちゃくちゃ」。どうして弓を反対に引(弾)いているのに音が合うのか。合わせようとする気もないのか。確かにコンマスにも力不足を感じる。
 これで階層化された音のハーモニーがどうして期待できよう。完全なダンゴである、わかりやすく言えば濁っている、きたない。特にブルックナーでこうでは。
 
 だから音の塊のパワーでもっていく。完全な力技である。チョンの振り方はそうだ。イケイケ系のものはよいが、本当の音響美は全く期待できない。
 オケトレーナーとしての力量にも疑問を感じる。例えば私なら一言言う「もう少しボウイングを合わせる努力をしないかね?」
 とても他の奏者の音を聴ける域に達していない。だから、協奏曲でも合うはずがない。協奏曲で指揮者にさえ合わせていれば済む、なんて誰が思っているだろうか。(みんな、そう思ってたりして・・・。)

 指揮者の振り方(バトンテクニック?)にも問題はある。「それほど力んで振らなくったって・・・。」 繰り返すが、だからイケイケ系だけは当たる。
 結論として、とてもブルックナーとは思えない音の運動体が展開されていた。
 ただひとつ救いだったのは、比較的サクサクしたテンポでやってくれたので、かろうじて退屈せずに済んだことだ。もういいかげん頬杖突きたい気分だった。隣の席空いてたし・・・。(うっ、どこに座ってたやつかバレたか・・・。平土間、前寄りの左寄りで、隣が空いてた・・・? あのふてえ野郎か・・・?)

 さてさてさてさて、問題は終演後である。何が起こったのか。おそらく、ほとんどの行ってない方のために説明しますと、アンコールが2曲ほどあって、いちおう楽員も引っ込んだあと、まだしつこく拍手してるから、そのうちにチョンがもう一度楽員を呼び出して舞台に整列し(させ)、何か挨拶をしたんです。
 それに5列目あたりのにいちゃん、スタンディングオベーションしてました。あのにいちゃん、去年の5月の横浜でもそうしてなかったか?(チョン・キョンファ/チョン・ミュンフン/聖チェチーリアo)
 そのうちにスタンディング○○○ーベーションでも始めたらどうしようかとひやひやしてましたよ。

 私は思いました。「この人たちは、本当にそんなに感動したんだろうか。」 
 でも考えてみれば、これってとっても幸せなことですね。モトがとれて・・・。

 念のため申し上げますが、ボウイングが下手だから、棒の振り方が下手だからダメだといっているわけではありません。結果、聴こえてきた音楽がおもしろくなかったから、退屈だったから、全く感動できなかったから、ダメだと言いたいわけで。
 乱暴に括れば、これも単なる感性と価値観の違いなわけで。
 もちろんボウイングが揃ってさえいればいいってもんでもありません。こんなものはほんの出発点にしか過ぎません。問題はそこから先なのですが、まず出発点に立てなくて何が期待できようぞ、ということです。

 ひとつだけ言えることは、ブルックナーを聴いて、ニコニコして喜んで感動した、というのは絶対に「違う」と思うんですけど・・・。
 おまけに、その後に(アンコールで)ドッシャーン・グッシャーン・ガッシャーンとロシアの野蛮な音楽?聴かされて・・・。帰りには、ブルックナー聴いたことなんて、だーれも覚えていないようでした。
2002年3月13日(水)


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