「紅き久遠−−−新世紀」

パート4

                               想音斗

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セカンドが苦笑を顔に刻んだ時、車のクラクションと急ブレーキの音がけたた
ましく響き渡った。シンジを握るエヴァの左手から10メートルも離れていな
い道路に、ミサトの愛車がホイールから煙を上げながら、横付けにされる。シ
ンジが驚きから覚めやらない内に、ミサトが拳銃片手に飛び出してくる。日向
から逐次連絡を受け、シンジの状況も、二人の会話の内容も、既に承知済みで
あった。


「ミサトさんっ!」
「シンジっ! 今、其処に行くわ!」
「来ちゃダメだ! 危ないよっ」
「行くっていったら行くっ! 最後くらい、付き合わせて貰うわ!」
「そんな無茶な・・・!」
「アスカっ! このアンポンタンを潰す時は、私も一緒にお願いねっ!」


ミサトの出現は、セカンドを再び驚かせた。エヴァの腕に飛び付き、シンジを
握る左手の所まで強引に捩じ登って来るミサトの姿を、驚異の目で眺める。よ
うやくシンジの所に辿り付き、彼に抱き付くミサトの姿は、彼女には何故か眩
しかった。


「シンジ、つかまえたっ! もう私を置いて行かせやしないんだからっ・・・!」
「ミサト・・・!」


シンジがミサトを敬称抜きで呼んだのは、非常に珍しい事態だが、エヴァに握
られ身体が軋む中、シンジは心ならずもミサトの行動と思惟に感動したのだっ
た。

半ば強引にミサトがシンジにキスをするのを、多くの人がモニターを通して見
た。セカンドが。マナとケンスケが。本部の日向も、ユミも。ヘリで移送中の
マヤ、リツコ、冬月も。そしてキールまでもが。見たものは等しく、その姿に
言い様の無い感銘を受けていた。

セカンドの心に変化が起こったのは、まさにその時だった。肉体の苦痛。既視
感。微笑み。過去の映像の断片。驚愕の念。もっと憎めといったシンジの言葉、
それに伴い生じた自己の心の奥を覗いてみたいという意思。

初めて経験した様々なことで、芦ノ湖を見た時から生じていた「揺らぎ」が、
この二人のキスを見ることで、益々、大きくなったのである。今、目の前に見
えているミサトとシンジの顔。とても生命の危機に直面している表情には思え
ない。

眩しかった。美しいと思った。羨ましいと感じた。憎たらしくもあった。怒り
に似た嫉妬も渦巻いた。哀しく胸が痛む気もした。しかし、この光景を見られ
て善かったと、彼女の心が全霊で叫び、喜びという輝きへと集約していくのを
止めようがなかった。

喜怒哀楽すべての感情が、この一瞬に生まれ、爆発した。彼女の心は、たたん
でいた翼を大きく広げ、羽ばたきをはじめたのだ。闇色をした壁を遥かに凌駕
し、力強く、優雅に、蒼き空へ飛翔する。−−−輝きの満ちた場所に、アスカ
が帰還した瞬間だった。


「シンジ・・・ミサト・・・!」


響いてきた心の込もった声に、二人は顔を輝かせた。すぐ傍にアスカを感じる。


「アスカ・・・!」
「・・・私ったら何てことを・・・。ゴメン、今すぐ下ろすから・・・」


ミサトは、それを聞き、笑顔で肯くと、先に地面に飛び降りる。続いてエヴァ
の腕が稼動する。しかし、それは手を下ろすのでは無く、逆に上昇させた。そ
して上半身を起こすと、シンジを握る手に力を加え始める。

遥か米国でキールが或るスイッチを押したことには、誰も気付く由もなかった。
残酷なまでにゆっくり力が込められていくのが判る。ミサトは驚愕しながらも、
怒号と共に銃を発砲するが、効果は全く無い。


「アスカ! やめて! すぐ彼を離して!」
「だめ・・・ミサト! 制御出来ない・・・!」
「まさか、ダミー・プログラムが発動した? だめよっ、そんなのダメぇ!」
「アスカっ! とにかく落ち着くんだ。 自分を信じるんだよ! 」
「誰かっ、私を。私をとめて! お願い、誰かとめてーーっ!」
「アスカっ、しっかりするんだ!」
「ミサトっ、とめて! シンジィっ、私をっ」


シンジを握った左手に更に力が加わる。アスカの意識が過去の記憶を蘇らせて
も無情にも、エヴァの制御は叶わなかった。シンジの口から血が吹き出す。


「私を誰か止めて・・・・。このままだとシンジが死んじゃう・・・、シンジ
を殺してしまう・・・。そんなの嫌。嫌・嫌・嫌・嫌・嫌・いや・いや・い
や・・・いやだ、そ・ん・な・こ・と・いやーぁぁぁぁっ!!」


そのアスカの叫嘆に、シンジの心に宿っていた光の翼が反応した。

アスカの想いを救わなければいけない、その意思を継ぐために。
これからも「みんな」は生きなければならない、ヒトの想いを護るために。

シンジは、その時、それだけを思った。自身の生命のことには一切、心を砕か
なかった。カヲルくんと約束した。僕たちが使徒に代わって生き続けるために、
あの時、僕は・・・・。母さんと綾波にも言った。辛くても、みんなに会いた
いから、此処へ還えるのだと・・・。

アスカの想い、綾波の想い、カヲルくんの想い・・未来への想い・・・それを
全て背負ってる「ヒト」は、この世になくてはいけない! そう心で叫んだ一
瞬、シンジの網膜の一端を、紫の光条が走り抜けた。



「!」



遥か宙空より、それこそ目に留まらぬ速さで飛来した「それ」は、ゼーレ・エ
ヴァの上腹部を−−−S2機関部を−−−爆発を伴うこと無く、打ち貫いた。
シンジの髪を少し焦がせてすぐ脇を通過し、地面に突き刺さった「それ」は、
オゾンの焼ける匂いを漂わせながらも、周りを熱することなく、それまで纏っ
ていたATフィールドによる光の鎧を解いていた。シンジは、聴いた。彼がよ
く知る声を。そして見た。彼がよく知る文字を。



<<シンジ・・・立派になったわね>> ユイの想いが響いてきた。

<<さすがだね、シンジくん・・・>> カヲルの声を聞いた。

<<シンジ、よく頑張ったな・・・>> ゲンドウの言葉を感じた。



柄に <<EVA−01>> と刻印されたプログレッシブ・ナイフは、その刃に燦
然と太陽の光を受けて、静謐な輝きをシンジに見せていた。



* * * * * * * * * * * * * *



「・・・ユイ・・・」
「・・・・・」
「ユイ・・・・」
「・・・・・」
「おい、ユイ・・・・!」
「・・・・なぁに?」


「起きろ。・・・シンジが呼んでいる」
「・・・シンジ? ・・・・え?」
「変わらんな、昔から寝起きの悪さは・・・。一緒に寝た時、起きるのは、い
つも私の方が先だ・・・」
「そうね、いつもそうだったわ。・・で、シンジが何ですって?」
「・・・シンジが呼んでいる」
「無粋な子ね、せっかくあなたと二人っきりなのに・・・。って、やーね、冗
談よ。・・・あなた、私に対しても、そんな恐い顔、出来たのね・・・」


「・・・」
「やはり、あなたもシンジを愛してるのね・・・。だから、私より早く目覚め
られたんだわ」
「・・・そんなことは、どうでもいい・・・。シンジが呼んでいる、急げ」
「一体、どうしたのかしら?」
「・・・初号機を呼んでいる・・・。出来るか?」
「ええ・・・。なんとかなるわ。ね、力貸してくださるわね?」
「あぁ・・・問題ない」



遥か土星軌道上を太陽系外へ向かって漂う初号機の瞳に光が宿ったのは、シン
ジが、エヴァの手の中で、無音の絶叫を上げた時であった。その叫びは、怒り
でもなく、憎しみでもなく。優しさや諦念でもなく。ただ、ヒトは生き続ける
んだという魂の叫び。ただ、救いたいという心の雄叫び。ただ、共に生きてい
くという意思の奔流。その想いは、アスカに共鳴するのと同時に、遥か宙空に
あった初号機をも起動させたのである。

補完計画の発動直前、流し込まれたベークロイドに固まる初号機を前に、ただ
自己逃避するしかなかったシンジを、エヴァに導いたのは、自らを起動させた
初号機に他ならなかった。今回は潜在意識下ではあれ、シンジ自身が初めて、
初号機を呼んだのだ。それは時間も空間も距離も関係ない、初号機への、呼び
掛けであった。



補完計画発動の時、ゲンドウを食らった初号機。あれは、ユイの意思。ゲンド
ウの希望を叶えるための行為。

ゲンドウを咀嚼し、エヴァに取り込むことで、彼がLCLの補完の海に−−−
全人類が混ざり合う究極の同化に−−−陥ることを防いだのである。ゲンドウ
という一個の人格を、そのままに、護ったのだ。

ただ一つのゲンドウの願い <<ユイと二人きりになりたい>> それを叶えるため
に。

ユイもまた、シンジが現実に還えることを決めたのを見届けたあと、初号機に
のみ自らの意識を留め、ゲンドウと共に、人類という種が存在したことを、こ
の宇宙世界に忘れさせぬために、太陽系外へ永遠に放浪することにしたのだっ
た。自らを、人類の「碑」として・・・。

ゲンドウの為したことは、ゼーレと比べても、とても許されるものでは無い。
多くの人々にとってゲンドウの行為は悪魔の仕業に見えたかもしれない。でも、
とユイは独りごちる。

この人は世界と「私」を天秤にかけ、事もあろうに世界では無く、たった一人
の女−−−私を選んだ。例え、世界中を敵に回したとしても・・・私は選んで
貰えたことが嬉しかった。

全く不器用な人だけど、その彼が為したことは、一人の女から見れば最高の愛
情表現を身を持って示してくれたことに他ならない。

「世界が滅んでも君と」−−この陳腐極まりない、喩えるのも馬鹿馬鹿しい事
をゲンドウは、とんでもない方法でやって見せたのだ。

補完計画の改ざん。しかし、そこにあったのは紛れも無い「愛」だ。そう、私
は・・・とても嬉しかった。世界中でたった一人であっても私だけは、この人
の味方。この人に何処までもついて行く・・・。ユイは、そう思うのだった。


「じゃあ、やるわ」
「ウム・・・。たのむ」
「大丈夫よ、そんなに心配しなくても。シンジの想いが届いているし、あなた
もいるし。それに・・・シンジは強い子よ」
「そう・・・だな」
「ふふ・・・」


そして初号機は肩に手をやると、装甲ごとプログレッシブ・ナイフをもぎ取る
ように掴み、シンジの想いに乗せるように、そしてユイとゲンドウの想いを込
め、一挙動で投擲した。ユイの作り出したATフィールドを纏いながら、係る
武器は、一条の光跡となって時空間を亜光速で飛翔していく。


「間に合うかしら?」


ユイは飛翔していく光を見送りながら少し、不安そうに呟いた。そこにカヲル
と呼ばれた第17使徒の、ほのかな意思が加わったことは、さすがのユイも感
知できていない。シンジに自らの命を託したカヲルも、あのシンジの叫びに応
えたのである。亜光速に過ぎなかった光跡が、その時、光速を遥かに超えた。


「あぁ・・・間に合う。・・・すべて計画通りだ」
「相変わらずおかしな人ね」
「・・・・」
「22年かかって、まだこんな所を私たちが漂っているのは・・・・もしかし
たら、今日のこの一瞬のため、だったのかしら?」
「・・・そうかも、しれんな」
「でも・・・多分、それともう一つ・・・」
「なんだ?」
「ううん・・・なんでもないわ。さ、また眠りましょう」
「うむ・・・」
「おやすみなさい、あなた」


ユイは意識の中でゲンドウにキスをし、照れてる彼を幸せそうに眺めやる。そ
して目を閉じながら、シンジを想い、初号機に灯った火を消した。

私たちが此処に留まっていたのは、今日のこの一瞬のため。そして多分。いえ、
きっと、あなたがシンジへ、父親としての最初で最後の想いを届けるため・・。
そうなんでしょ? あなた−−−。

そして、再び初号機は静かに、太陽系外への長く遠い旅を開始した。初号機も、
ユイも、そしてゲンドウも。シンジのことを疑いもしていない。平穏な静寂に
包まれた宇宙の中、地球の方に顔を向け、シンジの行く末を祈りながら、ユイ
は夢見る如くに眠りに就いた。土星の輪を紫の機体に映しながら−−−。



「シンジ、頑張るのよ・・・」



* * * * * * * * * * * * * *



「完敗・・・か。 碇シンジ、大したものよ・・。我らが浅はかだったという
ことか。話させない為に通信不能にしたものを・・・まさか、単身でエヴァ
の前に立ち、話し掛けるとはな・・・。最後にいいものを見せてもらった」


S2機関を破壊されたエヴァは、ほどなく完全に停止した。シンジはエヴァの
手を抜け出すと、延髄部位のエントリー・プラグ挿入口へ急ぐ。装甲を強制排
除したものの、そこで戸惑うシンジに、ミサトが追いついて登ってきた。


「どうしたの」
「うん・・・エントリー・プラグが無いんだ」
「え?」


そこにはエヴァ生命体の皮膚が覆うだけで、エントリー・プラグは見えない。
シンジは暫く呆然としていたが、それらしき部位を探ると、此処だと当りを付
けて、手を押し込んでみる。すると抵抗が無くなり、中が空洞であることを感
知できた。ミサトの方を振り返り、肯いてから、自分の身体を潜り込ませる。


「アスカ!」
「シンジ・・・。・・・酷いことして、ごめん・・・ね」
「いいんだ。今そっちへ行くよ」
「だめっ、来ないで!」


そこにミサトも入り込んでくる。


「うへぇっ、エヴァの肉に潜るなんてこと、二度としたくない・・・」


と、おどけようとしたが、アスカの姿を目にして、身体を強ばらせた。無残に
も、アスカの身体は半分以上をエヴァ生命体と同化させられていた。アスカが
その醜い姿を人に見せたくないと思うのは当然のことだろう。なんてことをっ。
憤慨しながらも、悲しさの余りミサトは思わず目を背けてしまう。

その視線の先にシンジの横顔があった。彼は、アスカから目を反らさず、微笑
みを浮かべてさえいた。ミサトは思い知る。シンジにとってのアスカという存
在の意味を。彼にとっては、アスカの姿形は何であっても関係ないのだ。アス
カが其処に居さえすればいいのだ、と。アスカから目を背けた自分が恥ずかし
くなった。


「アスカ・・・」


シンジは這い進むと、アスカの前に回り込み、ギュッと力強く抱きしめる。


「アスカは何時だってアスカなんだよ。あの一緒だった20年間を、舐めても
らっちゃ困るな・・・」
「シンジ・・・!」
「よく・・・よく、思い出してくれたね・・・ありがとう、アスカ」
「ううん、逆よ。よく思い出させてくれた、だわ。シンジ、ありがとう」


二人はごく自然に唇を重ねる。その光景は、ミサトの目から見ても、荘厳で神
聖な契りのように映った。人の感情というレベルを遥かに超えた「生命」の重
なり合い。アスカがこの上なく美しく見えた。


「また逢えるとは思っていなかった・・・とても嬉しいよ・・・」
「そうね・・・。でも、シンジ・・・もうすぐお別れよ・・・」
「・・・!」
「私の身体は・・・エヴァと共生・・しているわ・・・。エヴァ生命体・・が
命を失えば・・・私も時・・を置かずに・・・逝かなくてはならない・・・」
「そんなこと、あってたまるもんかっ! 何か、何か、手がある筈だよ」
「無駄よ・・・。もう時間・・が・・・無い・・・」


急激に顔色が悪くなるアスカ。心なしかエヴァ内部の光源も照度が落ちてきて
いるようだ。アスカを抱きしめ、鳴咽するシンジを眺めていたミサトは、その
時、心の底から湧き上ってきた感情に身を任せ、アスカに向かって叫んだ。


「アスカっ! しっかりなさいっ!」
「ミサ・・ト・・・?」
「逝く前に・・・よく聞きなさい! シンちゃんとあなたの繋がりの強さ、見
せて貰ったけど・・・私もね、こればっかりは、後には引けないのよ!」


シンジには、それがミサト流の相手への気遣いのセリフだというのがよく判っ
た。きっとアスカも判っていることだろう。


「今は、あなたに追いつけないかもしれない。でもね、アスカ。このまま勝ち
逃げするなんてのは、私は絶対、許さないからねっ!」
「もうっ・・ミサ・・トっ・・たら・・・。相変わら・・ず・・・ね」


苦し気ながらも、アスカの表情は穏やかに笑んでいる。


「いい? よっく聞きなさい! 私は・・・近い内に、シンちゃんの子供を生
むわ。そうよ、アスカっていう女の子をね・・・! だから、アスカ・・・
今、ここからいなくなってしまっても・・・私の中で生まれ変わりなさい!!
そして・・・シンちゃんを賭けて、また勝負するよっ! いいわね?」
「わた・・しが・・、ミサトの・・・子供に? ありが・・・とう・・、そう
・・言って・・・くれて、・・・とても・・う・・れしい・・・」
「約束なんだからねっ! 破ったら承知しないんだからっ!」
「う・・ん・・。・・・わかっ・・・た・・・」


そう呟いてアスカは目を閉じ、ミサトへ右手を伸ばした。ミサトは泣きながら、
その手を握る。シンジは、無理して微笑みを浮かべると、アスカに言う。


「アスカ・・・、聞こえる?」
「なあ・・・に、シン・・・ジ?」
「この前はちゃんと伝えなかったから・・・今、言うよ」
「・・・・」
「愛してる・・・ずっと。これからも」
「・・バカ・・。・それ・・はミ・・サトに・・言ってあ・・げなさ・・い」


それがアスカの最後のセリフだった。エヴァ生命体と共に、風化していく光景
は、悲惨というより、逆に風が光りを散らす如くに美しかった。


(
続く)

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