プロ球界を震撼させた昭和45年の「黒い霧事件」。八百長や暴力団との交際疑惑で、永久失格を含む7人が処分された。ドラゴンズとも無縁でない過去の傷である。
永久失格になった1人に池永正明さんがいた。中年以上のプロ野球ファンなら忘れられない名前だろう。下関商(山口)のエースとして甲子園で鳴らし、西鉄に入団してからも自慢の快速球で白星を重ね、最多勝利のタイトルも獲得した。絶頂期に選手生命を絶たれて四半世紀。久々にその名前が紙面に登場した。処分の解除を求める申請書をコミッショナーに提示したというニュース。
今にして思えば、処分は拙速の感がある。池永さんは参考人として事情聴取を受けたが、書類送検すらされなかった。結果は「シロ」。誘われたが、加担しなかったのが真相。しかし、池永さんはいっさい釈明せず、処分を甘受した。その後の生きざま、名誉回復の動きを呼んだ。申請書の提出も自分の意志よりは、コミッショナーに勧められてのことと(これは新発見!コミッショナー久々というか、初めてともいってもいいタイムリーヒット)、いう。再びマウンドに上がったのはこの秋。地域の野球教室だった。「キャッチャーミットまであげん遠かったこと」(きっと満面の笑顔のことでしょう)が感想。そこには名誉回復手続きに至るまでの時間の長さも重なっているはずだ。
処分解除についての結論が出るのはまだ先になるが、道筋がついただけでも
「胸のつかえが下りた」。
周囲の冷たい視線に耐え、毅然と生き抜いた人生の重みが伝わってくる。
高齢者福祉を食い物にして私腹を肥やした厚生省の事務次官。他の省庁でも同様の不祥事が相次いでいる。疑惑の都度、行政のトップたちは最後までシラを切り通そうとした。
「男の生き方」にあらためて思いをはせるこの時期。50才の池永さんに、教えられる点が多い。
(12/24付 中日スポーツ
コラム「記者席」(内))