寂しいです、悲しいです、悔しいです

クローズアップ 野球vol.13

中日ドラゴンズ監督 星野仙一・故 扶沙子夫人

女房を持つ自分にとって星野監督のお別れの挨拶はたまらないものだった。別れを告げることはどんな時でもつらいもの。ましてや身内の不幸はなおさら。闘病生活が長かったと聞く。決して家族の事を公の場では出さなかった監督。外でも戦い、内でも闘っていたのだろう。お別れの挨拶をこのような場に掲載することは常識を逸脱しているかもしれない。しかし私はこんな夫婦になりたい、だからこそ多くの人に伝えたい。星野監督の愛を……。
みなさん、寒い中、妻・扶沙子を送ってもらい、本当にありがとうございます。昭和44年からこの名古屋で私と、つい先ほどまで一緒に暮らしました。やんちゃな私をあの手この手でなだめながら、今思えば扶沙子の手のひらで一生懸命頑張ったような気がします。

昨夜も申し上げましたが名古屋をこよなく愛し、私以上にドラゴンズを愛してくれました。現役を退いて、東京での評論家生活が続き、いつ名古屋に戻ってこれるか分からない時、そろそろ東京で一緒に暮らそうと言うと、「いいえ、あなたは名古屋で育ちました。中日ファンにここまで大きくしてもらいました。決して名古屋を動いてはなりません」と叱咤激励してくれました。今年は素晴らしいナゴヤドームを造って頂きました。私には直接言いませんでしたが、娘たちには「ナゴヤドームでパパの胴上げを見たいね。もう一度胴上げを見て死にたいね」。そんなことを言っていたようです。選手も今年は精一杯頑張ってくれるはずです。

4、5日前までは苦しんで苦しんで病魔と闘って、7年間入退院を繰り返し、必死になって家族の為に頑張ってくれました。私は病魔に負けたとは思いません。頑張った女房を褒めてやりたい。素晴らしい女房でした。素晴らしい妻でした。素晴らしい母親でした。娘たちに素晴らしい教育をしてくれました。自慢できます。「今年はナゴヤドーム。頑張ってね」。そんな言葉で終わったと思います。関係者のみなさん、選手のみなさんありがとうございます。扶沙子も喜んで天国に行ってくれると思います。寂しいです。悲しいです。悔しいです。みなさんも本当に健康に気をつけて頑張って下さい。

「星野監督の陰にこの人あり」

と言われた扶沙子夫人が亡くなった。プロ野球選手、そしてプロ野球監督の妻として、星野という人物を陰で支え、成功させたまさに名補佐役だった。星野監督の心中、察するにあまりある。

前監督を辞任する原因が扶沙子夫人の病気だった。「監督業は忙しい。しばらく一緒にそばにいてやりたいからな」と星野監督が目にいっぱい涙をためて語っていた事を昨日のように思い出す。

まさに良妻賢母の見本のような人だった。

スターの夫人らしくなく、頭が低く、決して外へ出ようとせず家をガッチリ守った。会えば「主人がいつもお世話になっています」とおっしゃるのが口癖だった。

現役時代、KOされて帰り、荒れる夫・星野投手にかしずき、監督になっても勝負師の妻として内助の功を発揮した。

試合に負けると悔しくて寝付かれない星野監督に必ず夜遅く電話し、なにかと監督の心をほぐしたのも夫人と2人のお嬢さんだった。「ウン、分かった。明日頑張るワ」と言って、ベッドに入るのが、負け試合の夜の日課だった。

そんな名補佐役がいなくなってしまった。ドーム元年、新時代に勝負をかける星野監督にとってこれほどの大きな痛手はないだろう。この悲しみを乗り越えて、この秋、扶沙子夫人の墓前に「日本一」を報告してほしい。

ご冥福をお祈りします。

(星野監督の前回監督時代のドラゴンズ番キャップ、竹内 正毅氏)