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 多聞山 妙福寺 毘沙門天

愛知県碧南市志貴町2-61  電話 0566-41-0200

仁寿元年(851〜)の始まり

 平安時代の仁寿元年(851〜)、大和国の志貴左衛門藤原周亮が、この地に荘司として下向の折、信仰する信貴毘沙門天を護持し、草堂を建ててここに祀ったのが始まりと伝えられているが、ここ妙福寺の堂宇の創建年代は不詳である。

 当初、天台宗に属しその教義を弘めていたが、時代の変革から庶民の信仰も盛んになり、「毘沙門さま」で親しまれるようになった。

 そして、江戸中期になり、当寺の檀家・生田新左衛門忠兼は弟・新九郎と共に浄土宗に帰依し、当寺の宗旨を改め、月翁上人を開山に招請し、浄土宗西山深草派の寺院となった。この時、浄土宗の阿弥陀信仰の教義から、本尊には阿弥陀如来像を安置し、毘沙門天は別の堂宇を建立し移し祀られた。

 その後も、棚尾城主・熊谷若狭守長氏は、当寺の毘沙門天を篤く信仰し、武運長久、万民安穏を祈願するなど、当地の鎮守と仰ぎ庇護されていた。

 

聖徳太子の御作の毘沙門天像

 この霊像は、由緒稀れなる御像で、奈良信貴山朝護孫子寺の御本尊と同じ、聖徳太子御作と伝えられ、信貴山、鞍馬山と共に、日本三体毘沙門の一と称せられている。

 本能寺の変で、徳川家康は当地の称名寺に陣を留め、事変の推移を見定めてから岡崎城へ向われたが、その道中、当寺の門前を通るとき、この毘沙門天に武運を祈念されたとも伝へられている。聖徳太子同様に、家康にも天下人としてその霊験が得られたかも知れない。

 

毘沙門天と寅〈虎〉

 毘沙門天のいわれは、大古、聖徳太子が物部守屋を討伐することになったが、その戦況は苦戦を強いられていた。時あたかも敏達天皇11年(582)2月3日寅ノ年・寅ノ月・寅ノ日、しかも寅ノ刻に聖徳太子は毘沙門天を感得され、物部守屋討伐の二秘法を授かり、見事に討ち破られたと伝説されている。この寅から〈虎〉にちなんだ縁記として語られている。

 

神仏混合の名残り

 国道に面した場内入口に山門が雄然と建ち、本堂の伽藍は禅寺に似た佇まいで、その左に毘沙門堂が在る。狛犬が堂宇の前に鎮坐しているのも今日の寺院では珍らしく、往古の神仏混合の名残りがあり、弘法大師の法縁を留めるなど、人々と共に育まれてきた寺院の歴史が感じられる。

 なお、当地の地名「志貴町」は、この辺りが一体が国司志貴邸であったことから由来する。

 

伝統行事・大祭

 正月の鏡餅にまつわる伝統行事が盛大に行なわれる。これは暮れの28〜29日にかけて、米俵50倭〜100俵の餅米をつき奉納するもので、地元の檀信徒で賑わう。

商売繁盛の利益をもって広く信仰せられ、毎月3日の例祭をはじめ、新年祭(正月1、2、3日)、春大祭(4月3日)、秋大祭(11月3日)は、参詣者が寺内にあふれるにぎやかさである。 


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