プロとアマチュア
 プロの人間はアマチュアをバカにする。これはどこの世界にも存在する。そりゃそうだ、プロというのは多かれ少なかれプライドを持っているわけで、アマチュアにあれこれ言われれば面白くないはずだ。経験豊富な軍曹が、青二才の士官をバカにするというのは、もはやお約束である。…まあ、そのようなプロフェッショナリズムを持つことは悪いことではないし、逆に言えば頼もしくもあるのだが、過剰なプロ意識が、その人間の感覚、倫理観を変えてしまうこともあるらしい。考え方が一般常識と乖離してしまうのだ。一般人よりも犯罪者に親近感を抱いてしまう刑事、ついつい話し方が高圧的になる裁判官…こういう人たちはリタイアした後、一般社会に溶け込むのに苦労するらしい。

一般人の理解を超えるテクノロジー
 現代の科学者、技術者はどうだろう。彼らの考え方が一般とかけ離れてるかどうかはさておき、彼らの仕事の分野がどんどん高度になり、我々、すなわちアマチュアの理解を超えつつあるのは事実だ。しかし、これは仕方ないことだろう。我々の感覚では、時間はどこでも同じに進み、何もしなければ物質はそこにありつづけるが、最近の研究でそれらは否定されている。科学者と一般人では、考え方の前提条件すら違うのである。それゆえ、科学者がトラブルを起こすと一般人は過剰な不信感をあらわにするのではないか。現代における、科学者、技術者、医者、ひいてはテクノロジ自体に対する不信は、一体何をもたらすことになるのだろう。

テクノロジー不信がもたらすもの
 最新テクノロジを使いこなす専門家たちは、自分達の仕事に不信感を抱かれることをどう思うだろうか。

「うーん残念。ちゃんとわかってもらう努力をしなくては…」

と考える人がほとんどだと思われる。しかし、そういう人でも、

「何も知らないくせに。だから素人はだめなんだ」

という気持ちはどこかにあるかも知れない。一方の不信感はもう一方の不信感を呼び起こし、やがて相互不信になってしまう。そうなると専門家達は素人に分かってもらう努力義務を放棄し、情報を仲間内だけで共有するようになって、ますます一般人の不信感は増大する。そのようなサイクルは、悪循環以外の何物でもない。

 その悪循環の行き着く先に、パンツァーの旧世紀があると言ったら、飛躍のしすぎだろうか。旧世紀に関してはいろんな説があるが、この場合は賛成派=科学者や技術者、反対派=一般人という図式である。そこに、人口爆発対策という政治的要請があって、結論が「間引き」となれば、科学者達が対象とするのはどう考えても一般人だ。彼らにとって一般人は、「救いようのない存在」であり、間引かれて当然の存在だからだ。しかもこの狂った考え方は、「一見」科学的に見て正しいのだからややこしい。

「間引き」は科学的結論か
 生命の基本の一つは「淘汰」である。環境に不適合な個体は死滅し、環境に適応した個体が生き残り子孫を残す。「遺伝子不適格者は死ね」というのがDNAの持つものの逃れられぬ定めなのだ。必要のない人間は死ぬべきだ、という考え方は「淘汰」と言えなくもない(人手が要るならドローン作れば済む。食料も消費しないしね彼らは)。しかし、遺伝子不適格者を決めるのが同じ人間というところに、実は大いなる科学的矛盾が潜んでいる。生命の世界は実に多種多様であるが、それは38億年にわたる「トライ&エラー」の賜物である。生命はやがて性別をを創り出し、膨大な組み合わせを試してきたおかげで、現在の地球の繁栄がある。ある個体が、遺伝子的にみて適格で、結果的に生き残ったとしてもそれはあくまでも結果であり、その個体の成功はその他多くの個体の「偉大なる失敗」の上に成り立っていると言えないだろうか。結果がでるまでは、全ての個体はすべて等しい可能性を持った存在とも言える。もちろん、その可能性は、種類が多いに越したことはない。選択肢が多ければ、環境に適応して繁栄する確率が増すからだ。人間が人間を間引くという行為は、自分で自分の首を絞めている(クレイメンの台詞みたい)に等しいといえる。

 さて、我々はいつか、パンツァー世界のような間違いを犯してしまうのだろうか。そうならないためにも、科学者の方々には、素人にも分かりやすい言葉で説明していただきたいし、我々の側も理解する努力が必要だろう。その歩み寄りの先に、輝かしい未来があるような気がしてならない。

1999.11.25


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