最初に謝っておきます。ファンの皆さん、関係者(?)の皆さんごめんなさい。もう売上に響かないはずなので、リミッタ−を少しだけ解放して忌憚なく書かせていただきます。

 パンツァー3作目はRPGだと聞いたときは、かなり意外な印象を受けました。確かにあの世界観でRPGというのも魅力的だと思いましたが、基本的にシューターとRPGしかやらない人は住む世界からして違います。こりゃあ売れねえぞ、と思いました。私は買うつもりでしたが、雑誌を読んでもゲームシステムがいまいち理解できないので、体験版が付いてくるサントラを買ってきました。

 百聞は一見に如かず、とはまさにこのことでしょう、「位置取りシステム」という秀逸なシステムのおかげで、シューティングのカッコ良さをほとんど損なっていません。戦闘が楽しいことこの上ない。パンツァーRPG否定派だった兄にやらせたら、一転して絶賛したほどですから、体験版の効果は絶大です。

 AZELの面白さは語り尽くされた感がありますが、一番の魅力は世界観とそこに暮らす住人にあります。これは、モーションキャプチャーの手柄でもありますが、功績甲とすべきは声優さんでしょう。いわゆる「吹き替え系」といわれる声優さんに異世界の住人を演じてもらったのは大正解。ガッシュとか、パエット、閣下とか最高ですな。エッジ君やアゼルも頑張ってるし。

 さらに、帝國軍人たちの魂の叫びも聞き逃せない。

「艦長、ダメです、保ちません!」

「構わん!動くか?」

「ドラゴン型攻性生物、急速接近中!」

「来たか…奴を足留めする」

「各隊ともとにかく時間を稼げ」

「諸君、よくやった、我々の作戦は成功だ。あとは陛下に…ぐわっ」

「脱出装置が…ぐわあ!」

最高(笑)。GG2やAC04と双璧でしょう。

 やはりAZELは傑作だったと思います。でも10万本弱しか売れなかった…サターンに欧米市場があれば、多分黒字プロジェクトだっただろうと思いますが、セガ的には失敗のプロジェクトという位置付けとなり、チームアンドロメダは解散ということになりました。なぜ売れなかったんでしょう?

 一つはやはり、シューティングからRPGへの大転換の影響だと思います。この転換は、当時の部長さんが「シューティング三作目に名作無し」と判断されたのがきっかけらしく、さらに付け加えればサターンのRPGラインナップを充実させる必要性もあってのことだと思いますが、その転換にはユーザーは付いて来れませんでした。どうも「RPGなら売れる」と安易に考えた節がある気がします。こう言っては何ですが、RPGファンはユーザーの中で一番保守的で、シリーズものしかなかなか買いません。パンツァーがRPGになったからといって、彼らが買うでしょうか?NOです。

 まあそれでも、口コミで徐々に売れてくれれば良かったんですけど、ハードの末期ということでそのムーブメントはついに起きませんでしたね。非常に残念です。

 あと例の「ゲーム批評」の件にも触れざるをえません。問題の記事はここここにあるので、知らない人は読んでみるといいと思いますが、これ以上ないぐらいボロクソです(まあうなずける部分もありますが)。ファンの間では「ゲーム批評ふざけんな」という意見が定着していますが、私は意地が悪いので、ここではなぜ「ライター風情さんがこのような考えに至ってしまったのか」、分析してみようと思います。

 見逃せないのは、この両氏ともアインかツヴァイの大ファンだということ。言うまでもなく両ゲームとも傑作ですが、基本的にプレイヤーは主人公が得る情報以上のものを与えられず、要は「訳がわからん」状態に置かれるわけです。ですからその分想像をめぐらし、自分なりのパンツァー世界を構築してしまいます。これ自体は開発サイドの思惑通りでしょうが、この人達には少々スパイスが効き過ぎたようで…。自分の想像と違うだけで裏切られ感を抱いてしまうぐらい、パンツァーが好きだったんでしょう。全てを悪い方に解釈してるあたりに、前2作が大好きゆえの怨みの深さを感じます(笑)。

 ただ、ナウシカのパクり云々、というのには頷ける部分があります。

攻性生物が蟲で、塔が腐海、シーカーが森の人(蟲使い)、帝國がトルメキアとという感じでしょうか。確かに分かるんですけど、変異種型攻性生物が仲間を殺されると襲ってくるのは昆虫型生物としては当然のことですし、塔に存在理由をつけるならば、環境再生ぐらいしかないですし、実際それが自然でしょう。そういえばアインの時代から「ナウシカっぽい」と言われてましたが、そういう流れでAZELを見れば「まんまやないか!」と思う人もいるかもしれません。しかし、少なくとも私はアインの世界を「○○に似てる」とは思わず、パンツァー世界をオリジナルとして丸抱えしてしまったんで、あのような批判はできません。パンツァー世界では、多分そうあることが自然なのですから。

 それはともかく、パンツァーとナウシカを比べてみると興味深いですね。パンツァーは砂漠化(環境破壊)で徐々に衰退していったと思われるのに対し、ナウシカは7日間の核戦争で滅びたことになっています。これは世相を反映していて面白いです。最後あたりの設定も、救いのないナウシカを見ると、宮さんの残酷さ(笑)を思い知りますが、それは宮さんのクリエイターとしての凄みなのかも…。それに比べると二木さんはいい人なのかな、と思ったりもします。

 まあ、他の「パクり」の指摘は裏切られ感の成せる業でしょうな。特に笑えるのは、パエットがシップパーツを受け取った後、「こんなのはどうでもいいんだ」と言ってパーツを捨てるシーンにも文句をつけているところ。もう笑うしかありません。これはパエットの性格と、彼がドラゴンを見たときの衝撃の凄さを物語ってるわけですが、ライターさんは怒りで視界狭窄の症状をきたしているみたいですね。サタマガ読者レースの平均点「9.4」が正しいのか、ライターが正しいのかは、皆さんのご判断におまかせします。「ガングリフォン2」のレビューを読む限り、ゲーム批評のライターのレベルは推して知るべしですが。

 それから、パンツァー前2作があまりに魅力的だったために、そこから脱却できずにAZELを批判する人が結構いるような気もするんですよ。パンツァーの人間が日本語を喋るのはけしからん、とか言って。気持ちは分かるけど、それってモルダーやコロンボが日本語を喋るのはけしからん、って言ってるのと同義なのでは…。何の為に洋画吹き替え系の声優を使ってんのよ?

 「ドラゴンは最強の攻性生物で神聖な存在なのに、ただの乗り物に成り下がった」というような意見もありました。そう思う理由はいろいろありましょうが、結局のところいろんな場所に「お使い」を強いられるため、シューティングのテンポのよさが台無しになった、というのが根底にあるのだと思います。まあ分からないではありませんが、ジャンルからして違うのだからこういう批判は無意味ですし、ツヴァイあたりは、実は一月半に及ぶ旅だったりするわけで、本来はランディもエッジのような旅をしているんですから。

 難易度が低い、というのは確かにそうかもしれませんが、ボタン連打で勝てる某RPGとは比べ物にならないほど楽しいんだからいいのでは、と思います。ドラゴンの戦闘能力は、空中戦艦ヴァルナ50隻分以上ということで、ヴァルナ10隻程度では傷もつかないんですから、本来はあれでもドラゴンは弱すぎます。まあ、それをやってしまうとゲームになりませんが(笑)。

 賛否両論という点では、最後のアレを語らないわけにはいきません。個人的には、エッジ自身が決着をつけた、とした方がすっきりしてよかったと思います。絶対の客人という設定のせいで余計な議論をする羽目になり、あげくの果てにはエッジ君が死んだことにされてしまったからです。また、エッジを自分自身だと思ってプレイしていた人にとっては、最後に神経接続を強制切断されたような違和感・不快感が残ったことでしょう。私も、なんか変な感覚が残ったことを覚えています。ただ、ゲーム内の主人公とプレイヤーの関係をここまで明確に示した例を私は知りません。ゲームを一回クリアしただけで叩き売る連中と、主人公の名前が自分で付けられて、台詞が全部「・・・・」じゃないとRPGではないと公言する勘違い君に、ゲームをプレイする意味を考えてもらって感動させる意図があったのでしょうか。パンツァーにおいては、主人公とドラゴンの精神融合を仲立ちする存在で、限定的にとはいえ両者を制御できる存在、そして時には神の視点で世界を見渡せる存在。それが絶対の客人といえます。つまり、アインやツヴァイにおいても絶対の客人は存在した、ということになります。そしてそれは、多くのゲームにおいてのプレイヤーの立場を説明できる普遍的な理論(大げさ)ではないかと思っているんです。プレイヤーはゲームの世界から見ると異世界の住人ですから、ゲームの世界の住人には不可能な「過去へのタイムスリップ」、すなわち「リセットやリトライ」がプレイヤーには可能になり、プレイヤーが宿っているキャラクターは奇跡を起こし、英雄になるのです。ワクワクしてきませんか?まさにこれはテレビゲームそのものではないですか。

 それから、考えようによってはパンツァーの世界と我々の世界が並立している、ととることもできるのではないでしょうか。存在する時空は互いに違えど、サターンというワームホール(笑)を通じて少年とシンクロし、世界を変えることができた。絶対の客人の設定が、今までの完璧なパンツァー世界観を破綻させた、という人もいますが、本当は逆なのかもしれない…と今では思いつつあります。それが開発サイドの意図だったかどうかは分かりかねますけど。ですが、その表現が直接的すぎるってのは確かにありますね。

 さてさて、私が「AZELをやってよかった」と思う一番の理由はパエット君のある台詞を聞けたことだったりします。うろ覚えですが、

「シーカーのことなんだけどな、あいつらについていくことにしたよ。オレもいつまで生きられるか分からないけど、もし死んでも、オレの研究はシーカーの間に残る。だから、無駄じゃないと思うんだよな」

という主旨だったと思います。まさに人間の歴史というのはこうして作られていくのではないでしょうか。いや、文明、文化、芸術、科学技術などなど、全てにおいて言えることかもしれませんね。このような深くてイカス台詞が、さらりと自然に出てくるゲームが今まであったでしょうか?

 このAZELにしても、モーフィングシステムはPSO、フル3DRPGのノウハウはシェンムーやエターナルアルカディアあたりに引き継がれているわけで、売れなかったり某所で酷評されたり(苦笑)不幸の多かったAZELではありますが、しっかりとDNAは残っているのは救いかもしれません。2002年には、そのDNAを受け継ぐべく、Xboxにてパンツァードラグーン最新作が登場します。再びソロ君に乗れるその日が、今から楽しみで仕方ありません。

関連リンク:
うさぎ屋本舗>Panzer Dragoon is Strikes Back!?>アゼルの秘密!
ゲーム批評ホームページ
ゲームを語ろう>タイトル別索引>プレイヤーとキャラクター/プレイヤーとキャラクター・再考


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