5.捕虜収容所@大森俘虜収容所/大森捕虜収容所/陸軍(注1, 3, 3-3、15、16)
HedgesさんとHapさん達は、この中で相当にひどい仕打を受けたと思われます。 そのことはHapさんのemailで、我々は、この悲しい記憶を消したいために、 帰国後はお互いに連絡をしないことにした。 我々は、収容所の農園の土地を肥沃にするために、焼け落ちた家のトイレをクリーンした。 1枚の毛布を分け合い、そして温めるために一緒に寝た。皆んなやせた。 私は114ポンド(52kg)になった。と書いています 終戦後はその仕返しで、こんどは東條英機をはじめとするA級戦犯が、 巣鴨刑務所に収容されるまでの間この収容所に入れられたことは当時有名であった。 横浜BC級裁判では、初代本所長鈴木薫二大佐、 2代目本所長酒葉要大佐に死刑(両者ともに巣鴨で獄死)。 下右の写真が付属品川病室の有った捕虜収容所です。横浜BC級裁判で、三大猟奇事件といわれた、 トクダケース(あとの2つは九大生体解剖事件、石垣島人肉嗜食事件)の舞台です。 アメリカから言わせれば、大森俘虜収容所の徳田久吉軍医大尉が、 収容所の捕虜4人に人体実験で死亡させた現場です。 実際には、品川病室には医薬品はまったくなく、栄養失調や脚気の捕虜に豆乳を投与しており、 重患で運び込まれた捕虜4人に対し、徳田軍医が豆乳を静脈注射したあと死亡した事件です。 それぞれの捕虜の死亡原因は結核、脊髄炎、末期胃癌、肝硬変だったらしいのですが、 豆乳注射が生体実験であるとし、徳田大尉に死刑の判決が下された。 彼は巣鴨刑務所でハンガーストライキに加えて発狂を偽装して精神鑑定ののち無期に軽減された。
A大船俘虜収容所/大船捕虜収容所/海軍(注3,
3-3、15、16)
横浜BC級裁判では合計28人が起訴され、
秋田二郎軍医大佐の他3人に絞首刑判決がだされましたが、4人とも終身刑に減刑された。
The New York Times Wednesday September 5,1945の捕虜開放を告げる記事の写真。 横浜から16マイルのワーストエリアと称される大船捕虜収容所で、開放された我々にお辞儀する憎むべきジャップ。
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