13.中国旅行

ゆったり桂林 5日間(2009/8/25〜8/29)


桂林は、古来より漢詩に詠われ、山水画の世界として名高い。唐時代には詩人李白も訪れ、 近年は、米国の大統領ビル・クリントン夫妻も訪問した国際観光都市であり、中国遺産である。

編集者は、今春、向う10年間の旅券を夫婦で取得した。手始めに、夫婦の海外旅行対応力確認を兼ねて、 近場の『桂林山水甲天下(桂林の風景は天下一)』を訪ね、変貌著しい中国の現在をチョッピリ取材し、 『ゆったり桂林 5日間』を編集しました。”桂林・漓江下り”に関心がある方々の参考になれば感謝です。

〔日程〕
@第1日目:中部空港・上海・広州(市内観光・夕食)経由・・・桂林泊
A第2日目:桂林郊外観光・・・桂林泊
B第3日目:桂林・漓江下り&陽朔(ようさく)地区観光・・・桂林泊
C第4日目:桂林市内観光・・・桂林泊
D第5日目:広州、上海経由・中部空港

〔桂林へのアクセス〕
中国南方航空で、中部空港発の上海&広州経由、国内線乗り継ぎ桂林便の往復、添乗員なし

〔編集〕
第3日目の”桂林・漓江下り&陽朔(ようさく)地区観光”を主体に編集しました。
日程順の編集ではありません。

時間は、現地時間=JST-1時間



@桂林・漓江下り&陽朔(ようさく)地区観光・・・2009/8/27


”漓江下りとは”

広西壮(チワン)族自治区の東北部に位置する桂林観光のハイライトで、訪問者の殆どが体験します。
桂林市内の乗船場から陽朔の船着場までの60Kmを4時間30分で下ります。その間の殆どが絶景で、 飽きることはありません。

途中の村々では、漓江の流れと共に生き抜く中国人民の暮らしも垣間見ます。 そして、ビューポイントを通過すると、クルージングランチ(中華料理)を囲み、陽朔の船着場(終着点)へ。

観光船は、満席で、列をなし、午前中に何十台?も下ります。 乗船料を現地ガイドに聞くと、日本円で5000円相当で、現在は、中国人民も外国観光客も同一料金という。 (帰国後、ITで確認すると、中国人専用船は、80元=1120円、外国人も乗れる船は、470元=6580円) そして、桂林市民74万人の多くが、このような観光ビジネスにかかわり、桂林市政府の財源の90%が 観光収入とガイドは説明した。

終着点の陽朔地区一帯も、奇鋒、奇岩に囲まれた風光明媚な観光地です。

”現地ガイド”8/27 8:50
彼の名は、”王 飛”、両親は、瀋陽の出身ですが、桂林市で生まれ育つ漢民族の美男子、 この日は、市内のホテルを8:10に出発、乗船場を目指す。

彼は、桂林中国国際旅行社の社員、この会社は、10ヶ国語対応で総員400名、内、日本語ガイド40名、 桂林観光の1/3を扱う。
彼が、我々一行19名を4日間ガイドし、数箇所の物産センター(掛軸・お茶・真珠・宝物・枕・民芸品など)へ案内し、 ざっと、50万円を売り上げた桂林市期待の模範青年、彼は、これらの売り上げの一部を四川省大地震の救済と 少数民族の自立支援に使われると説明した。



”乗船ゲート”8:50

この改札口の前で、ツアー客は待機させられる。その間、物売りの千円千円の応酬、 そして、団体用改札口を台湾・韓国・日本のツアー客が列をなす。



”出航”9:13
観光船は、まだ、かなりの数が停泊中、出航間近の三艘が並列に停泊し、ツアー客は奥から順番に詰め込まれる。 あっという間に満席となり。ランチタイムの指定席を割り当てられる。

このようにして、次々と出航する。



”物売り出現”9:34

出航間もなく、行く手に『筏の物売り』が出現した。 彼らは、竹竿一本で自由自在に筏を操り観光船へ襲いかかる。筏は、次から次に出現する。



”接舷”9:34

絶妙なタイミングで接舷、筏をタイヤに縛り、右舷のデッキによじ登り、窓を叩きながら5000円、5000円と 怪しげな石を見せる。ノーノーのおばさんに、2000円2000円と噛み付く。 そして、悲痛な叫びで、1000円1000円となり。3人に1人は買わされる。

日本の青年も乗っていたが、この光景を彼らはどう思ったか?



”漓江の流れ”9:42

観光船団は、粛々と漓江を下ります。乗客はデッキに上がり風景に見とれ、デジカメを押しています。



”乗船記念”10:07

ツアー客は、後方のデッキに集合し、全員で記念の写真を撮影します。 そして、帰りのバスの中で頒布されます。



”水牛”10:13

漓江は、総てが生活の場です。両岸の村々は、水牛・ヤギ・アヒルなどを放牧し、 筏で漁をし、少年がタニシを探し、泳ぎます。



”漓江風景”10:34

次々に、奇岩、岩峰が現れます。時々、ガイドが説明しましが、覚え切れません。



”富士リンゴ”10:39

行く手に、富士山が出現します。その右に、リンゴの形の峰あり、あわせて”冨士リンゴ”と説明に力が入ります。 今、中国の富豪は高価でもおいしい日本産の”冨士リンゴ”が人気のようです。



”水上観光タクシー乗り場”10:43

1/3ほど下りました。ここから先が見どころのようです。 ここは、ローカルの観光地で、漓江下りの見どころを、ここから”水上観光タクシー”で遊覧します。



”水上観光タクシー”10:43

この岩峰は、亡夫の帰りをじっと待つ妻の姿に似ているという。



”漓江ビューポイント”10:53

11時頃からがビューポイントと説明が入ります。そろそろのようです。
皆さん、デッキに出てカメラを構えます。



”猫の耳”10:59 右岸に、”猫の耳”と説明が入りますが、前方にも猫やキツネの耳が並びます。



”水浴場”11:16 ローカルの水浴場と思われます。女性が天秤でスイカを担ぎ観光客を回ります。
桂林市民の避暑は、漓江での川遊びのようです。



”水上観光タクシー”11:19

この辺りがビューポイントのようで、”水上観光タクシー”が頑張ります。



”水上観光タクシー”11:19

”水上観光タクシー”の構造は、物売り筏の現代版です。 物売り筏は、古来から太い竹を10本ほどロープでくくり、前後を少し曲げたものです。

”水上観光タクシー”は、エンビのパイプに蓋をし、10本ほどロープで束ねます。その上に屋根つきの籠を載せ、 発動機を固定しその先にスクリューを付ければ完成です。 筏も、タクシーも浅瀬に強く、身近な材料で格安に手に入る優れものです。アッパレ!



”サントリーのウーロン茶”11:27

この光景は、9年前にサントリーがウーロン茶のTVコマーシャルで使った風景とガイドが口を揃えて説明します。 そう言われれば、ボケ老人も、見たような気になってきました。



”クルージングランチ”12:10

ビューポイントが過ぎると、一斉に中華のランチです。ビール中ビン1本付きで、後部のデッキで炒め上げた 中華料理が数皿出てきました。次々に平らげると、ウエートレス(船員)は物売りに転身、 1000円1000円が始まります。



”漓江の岸辺”12:46

ランチの後は、思い思いに岸辺の風景を楽しみます。あと30分程で終点の陽朔です。

船員は、立ったまま昼食を済ませ、後部デッキで中華なべを洗ったり後片付けが始まります。

”船着場”13:08

観光客を降ろすと、彼らは7から8時間掛けて漓江を遡り桂林の船着場へ戻ります。

漓江は浅瀬が多く、うっかりすると直ぐに座礁するようで、我々も遡上便の座礁を目撃しました。 しかし、彼らは、竹竿でこじって離岸するようで安心しました。
ガイドの説明では、春から夏は水量が多く、フルコース運航できるが、 晩秋から冬場は、短縮コースになるといっていました。

そんなわけで、観光船の航路には、白赤の標識が川の中に立っていました。



”陽朔上陸”13:17

乗船から、4時間17分で陽朔(ようさく)上陸しました。

下船後は、猛暑の中、直ちに陽朔観光、高田郷観光へ出かけます。





”陽朔観光へ”13:25

早速、西街を散策、おしゃれなカフェやお店が並ぶ、



”楽師”13:38

日本人が来ると、北国の春を奏で、絵葉書、笛などを売る。



”少数民族土産店”13:40

現地ガイドが案内した土産店、少数民族の手作り工芸品が美しい。



”商談”13:38

少女一人に、3人がかりで値段の交渉、お目当てのバックの商談が成立!



”月亮山”14:30

高田郷観光、
岩山にぽっかりと開いている丸い穴が月のようなのでこの名があるという。



”遇龍河”14:41

高田郷観光、
この川は、漓江の支流です。陽朔附近は、このような素晴らしい観光スポットがあるようです。



”陽朔附近の上空から”

写真をご覧ください、漓江観光の記念に、熱気球に乗って上空から眺めました。 (この写真は、中国南方航空の観光PR写真です)

この川の流れも、漓江の支流と思われます。桂林から陽朔にかけてのおよそ90Kmを移動しましたが、 一帯はスカルト台地でこのような奇岩奇景が随所に現れます。

その奇岩は、3億年前、海底の石灰岩層が隆起し、それが陸地となって、長い年月を経て、風雨に侵食され 現在のような地形が出来たようです。





A桂林市郊外&市内観光

”古鎮散策”8/26 9:56

桂林郊外の最初の観光地は、500年以上の歴史を持つ古鎮(古い町)です。

町並みを散策し、感心したことは、所々にブロック積の防火壁が現存します。
その壁の向こう側を覗くと火災で焼失した民家の残骸です。町並みの全焼を見事に防いでいました。 江戸の町並みにはこのような防火壁は無かったようです。



”三輪車”9:55

古鎮のブルドーザーです。この三輪車が、力仕事の総てをこなします。 郊外の農村でも大活躍していました。





”象鼻山ゲート”13:36

午後は、桂林市内の観光地巡りです。ここから象鼻山を散策しました。



”象鼻山”13:47

象が、漓江の水を飲んでいるように見えますね。





”両江四湖”14:21

この案内は、中国近代化以降に市内の中心部に造った四つの人造湖の湖岸道路にある標識です。

中国遺産としての桂林に相応しい景観をつくるために、,市内の多くの人民を立ち退きさせ、 四つの湖を作りました。周辺の整備も古都に相応しい仕上がりで、現在では四湖を巡るナイトクルーズは 桂林観光の目玉の一つになっています。



”日搭・月搭”13:59

四湖の一つ、棺湖に浮かぶの日搭・月搭の風景です。



”棺湖風景”14:29

棺湖の借景は市内のあちこちにある岩峰です。



”両江四湖ナイトクルーズ”20:38

桂林のナイトクルーズは、午後の7:00から9:30まで、49名乗りの観光船が両江四湖をめぐります。



”ナイトクルーズ”21:14

湖畔の全域がライトアップされ、船中から京劇と少数民族の舞も観賞します。



”胡弓奏者”21:29

ナイトクルーズの後半は、船室で胡弓奏者が大サービスです。
観光客の一人が、奏者の曲に合わせてカンツオーネを歌います。





”伏波山河”8/28 9:05

漓江の岸辺にある67mの岩搭、桂林市内の展望所、



”桂林市街風景”09:28

急な石段を登り、頂上テラスからの眺め、漓江右岸が市街地、



”桂林市街風景”9:29

頂上テラスからの中心街の眺め、





”七星公園のラクダ岩”10:21

1998.7.2米国大統領のビル・クリントンが桂林訪問時、このラクダ岩の前で、環境保全について市民にスピーチした。

写真をクリックし記念碑を見てください。





”七星公園パンダ館へ”10:27

パンダは、大熊猫と書く、中国の四川省西部、甘粛南部・・・の標高2600mから3500mの高山竹林に住む 野生動物、パンダは、わが国の特別希少動物で、国の宝である・・・と説明する。



”パンダ”10:31

七星公園のパンダは現在2匹生存中て、このパンダは雌の美美(ミーミー)、
他の一匹は、檻の中にいた雄の陽陽(ヤンヤン)、

以前いた月月(イエイイエイ)は、 人間相当で90歳で死亡に現在剥製となりパンダ館の入り口に展示される。



”パンダ”10:40 美美(ミーミー)は、飼育係りの人参をみて起き上がった、
パンダの毛の色が意外と茶色であった。普通はもっと白いと思う。





”芦笛岩(ろってきがん)案内”14:02

桂林最大の鍾乳洞入り口の案内です。そのデザインが気に入りました。

芦笛岩は、1959年に近郊の農夫が山仕事中に風穴に気づき発見された。

当時、この鍾乳洞は村内限りで秘密にしていたが、やがて隠しきれなくなり桂林政府に報告した。 当局が調べると、奥行き500m幅240mの素晴らしい鍾乳洞と分かり、8の字に遊歩道を整備し、 幻想的なライトアップで、現在は桂林の観光名所、



”鍾乳洞大広間”14:33

大広間のライトアップ、水面にも映り幻想的

洞窟は、全長2Kmほどあり、中国語の名前の付け方が面白い。





”交通事故現場”16:48

桂林交通事情、4日間バスから眺めた報告です。幹線道路は3斜線で良く整備されています。
しかし、市民の交通マナーは、旧態依然で、子供も親も老人も自由自在の幹線道路を横断します。 ドライバーと阿吽の呼吸で衝突は避けますが、何時もはらはらさせられました。
車もバイクも我先に進みます。写真の事故は、交差点でバイク同士が衝突し、黒山の人だかり、 どうも公安が来るまでは現状維持のようで、救助が遅れないか心配です。

もう一件の事故は、交差点右折で我先に進むVWとバスが胴体接触し動かせずそのままで停止、 大混乱になるかと思いましたが、他の車は上手く回避し、どんどん流れました。
指定席でも、我先に乗り込み勝手に座る彼らにしてみれば、我先に進むのは当たり前ですね。 13億人の生存競争は熾烈なのだ、



”桂林市民の夏”

桂林の夏は猛暑です。天気予報が、40℃を越えると一切の仕事は中止して休憩です。 そうなっては困るので、39℃までの予報しか出ないそうです。

漓江は、市民の体を冷やし、川辺の街路樹が憩いの場となります。



”桂林市体育館”16:50

この立派な体育館の前を何回も通りました。

豊田市のスカイホールよりも巨大です。
漓江の流れが尽きるまでは、桂林の財政は安泰と思われました。



”西陽路歩行者天国”17:49

”ゆったり桂林 5日間”も最後の観光となりました。目的もなく歩行者天国を見学し、ベンチに座って行き交う人々を 観察しました。

観光客がペットボトルを歩道のゴミ入箱に投げ入れれます。すると、必ずペットボトル回収者が現れます。 更にじっと観察すると、彼女は、観光客が捨てるのをじっと待っているように思われました。

見事な、再利用です。水を詰めて路上で売れば1元2元と助かります。 中国は、リサイクル先進国なのだ! おわり、





〔中国チョッピリ取材・雑感〕
@庶民の市場
15年ぶりの中国訪問です。市街美化運動の掲示板が目立ちます。
一般市民の食材の市場を見学しました。その後の進化は全くありません。今回は、猛暑の桂林です。 山積みの食材(ありとあらゆる四足の肉、魚などなど)が放つ異様な匂いで、編集者は吐き気をもよおし、 息をこらえての見学となりました。
この食材が、中華なべで炒められ皿盛されて、13億人と観光客が全部食べているのです。

そこで、帰りの機中で隣席の中国駐在の日本人社長に聞いてみました。 彼は、単身のホテル住まいで、朝はホテルのバイキング、昼と夜は、殆ど馴染みの食堂で済ませるそうです。 外国人は、別の高級スーパーで買い物をするので問題はないという。

A飲料水&食中毒
中国旅行では、食中毒が心配です。
今回の訪問では、飲料水(ミネラルウオーター)は、ホテルで毎日一本づつ支給されましたので問題は ありませんでした。 また、観光バスの出発風景で、ミネラルウオーターをどんどん積み込む風景を良く見かけました。 桂林は暑いので配慮していると思いました。

しかし、不足分を露店などで買うと中味が不確かで食中毒の可能性があり注意が必要です。

食事での食中毒は、@の食材で炒めると思って間違いないと思います。
観光船のクルーズランチは、我々のツアー19名はOKでしたが、帰国後体験者に報告すると、 その方は、クルーズランチで食中毒になり、意識がなくなり救急車で運ばれたと言う。従って、生ものは、 野菜でも食べない方が安全と思います。

B物産センター(日本人ツアー客専用土産店)
この種の物産センター・○○研究センターは、日本人向けが多いように思われました。 何れのセンターも流暢な日本語で長々と効能を説明します。以前は、漢方薬が多かったように思いましたが、 今回は、お茶、中国産真珠、天然ゴムの枕に変身していました。お茶の効能で多くの病が改善され、 枕で睡眠が良くなり健康になるという。 結果は、1万円1万円でお茶と枕がお土産となります。

今回さらに驚いたのが、国家が保証する古美術品を3年間転売禁止で売るという。 一見、故宮博物院に展示されているような絶品です。包装も輸送(運賃)も政府が保証し、 紫檀の飾り棚と宝物九点一式で、140万円です。ツアー客全員に安い、買い得と思わせます。 この売り上げの一部は、少数民族の自立と四川省大震災の救済にあてるという。 聞くと、この一式は、今まで4セット売れたという。

C駐在員生活を思う
殆ど素通りの中国旅行で上面の観察です。 食材市場の匂いと、夜の雑踏、バスの乗り方を垣間見て、中国での生活は大変なストレスを伴なうと思われました。

そこで、機中隣席の社長に聞いてみました。 彼は、何年いても中国人の行動は理解できないという。それ故のストレスは大変で、知り合いがストレスで 胃に穴が開き、中国で手術する事態となり、無事に終ったが、300万円請求され、親会社から叱られたという。 広大な、中国で、日本企業が頑張っているが、何時まで頑張れるか疑問に思われた。

桂林も1944年には、旧日本軍が占領した。彼らは、漓江下りも出来ずに敗北したと思う。

D玄関を気にする中国
中国は、次期万博を上海で、アジア大会を広州で予定している。

広州空港に降りると、空港ビルは改装の最中で、工事中のベニヤの囲いが目立ちました。 アジア大会対応の玄関改装の真っ最中です。

広州では、空港から市街(旧広州租界)まで観察できました。片側4斜線の空港道路の完成も間近のようです。 目抜き通りのビルの外壁の改装工事が盛んに行なわれていました。 聞くと、広州政府の費用負担で汚いビル(マンションなども)は、ことごとく改装するという。

日本人も、高度経済成長著しい頃、出世すると、玄関から改装すると聞いたことがありました。

何処も同じ秋の夕暮れ といったところでしょうか? 

E日中合作原価低減活動
14年前に比べ中国旅行の費用は20万円が7万円へと大幅に下がっています。 中国人民の月収は、3000円から25000円に上がったようです。

今回、体験したツアーは、日本の旅行社の添乗員はいません。最近流行です。ツアー客は足の付いた宅急便 扱いで、カウンターで荷札=航空券引き換え書(電子予約)を渡し、後は、現地ガイドが空港で1人で受け取ります。 現地ガイドは、以前は2人付き、病人が出ても迅速な対応が出来ました。

航空機乗り継ぎは、中国南方航空の社員が、 通路で待ち伏せ『広州』・『名古屋』のプラカードで日本人の関係者(ビジネスマンも)を捕捉します。 入国審査が済むと、団体扱いで、抜け道を通り機内へ誘導します。

かくして、添乗員は不要となり、航空会社は旅客を確保し満席とします。 食事は、13億人用の食材を炒めて皿に盛れば費用は僅少です。 お土産を沢山買わせて、空港へ届ければOKです。 旅費の殆どは中国の収入になると思われました。

日本の旅行社は、中国旅行社と中国航空会社の募集係のように思われます。中国人はしたたかですね。

このようにして、双方の旅行社、航空会社の協力で大幅な原価低減が可能になったようです。

おわり




今後も、楽しい旅の想い出をこのページに掲載します。お楽しみ下さい。
I publish the recollection of an enjoyable trip in this page. Please have fun.


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