フォト短歌 117・東京大空襲・戦災資料センター
末尾に、東京大空襲・戦災資料センターについて理解をいただくために、
センターの『ホームページ』と『未来に残す戦争の記録・東京大空襲体験者の証言動画』を
リンクしました。ぜひクリックしてご覧句下さい。
その1・念願の訪問

私がセンター開設を知ったのは、21年前にB29搭乗員の捕虜ハップ ハロラン氏
からのemailです。彼は、開所式に招かれスピーチの予定という。
彼は、私のHP
B29の追憶 を
訪問し多くの情報を提供してくれたメル友です。
注:早乙女さん(早乙女勝元)・1932年、東京生まれ、12歳で東京大空襲を経験。
働きながら文学を志し関連書籍多数、センター設立に多大な貢献、
その2・父が見た死体の山

当時、私の家族は淀橋区(新宿)の裏庭の防空壕で一夜を明かした。
父は翌朝自転車で被災地へ出向き死体の山を確認したという。
その3・ああ、横川国民学校

私は、この度の訪問で小六の学童が3月10日の卒業式のために、
疎開先から集団帰省し、その夜半に被災焼死した事実を知る。
その4・朝日新聞社の防空新聞(週報)

当時、内閣情報局は朝日新聞社に対しこのような新聞を毎週発行させ、
空襲下でもバケツリレーでの消火活動を強制した。
その5・学徒動員・写真週報

当時、内閣情報局はこのような立派な週報を発行し、学徒を洗脳した。
・・・下記の動画も是非ご覧ください・・・
『東京大空襲・戦災資料センターホームページ』
『未来に残す戦争の記録・東京大空襲体験者の証言動画』
June 5.2023 up