この見出しの裏には日本帝国はメンツを重んじ即座の受諾はありえず、
秋までには決断せよとの含みが読み取れる。その裏には、米国は既に原爆実験に成功し、その威力を試すための口実にし、
人道的な批判を和らげたい思いが感じられる。
特に気になるのは、『決断の秋至る』の文言だ、決断は秋まででいいよ、その間に原爆投下の被害を確認し・・・
さらに、戦争終結後のソ連をけん制するためにも原爆の威力を試したい思いがあったと思われる。
当時、マリアナ時報・号外のために徹夜で翻訳した日本人捕虜は早期終結を熱望したというが、
日本帝国は決して受諾するとは思わなかったという。
当時、ポツダム宣言をいち早く翻訳した外務省は、早期の受諾を進言したが軍部の反対で、原爆投下とソ連の参戦での遅すぎた受諾となったという。
そのことは、意見を聞かない組織・集団は破滅を招くことを日本の国民は学んだのだ、もし、ポツダム宣言を直ちに受諾していれば
その後の多くの無駄死にはなかったのだ。
1年前にサイパンが陥落し、絶対に勝ち目のない戦争を継続し、多くの国民を戦地(死地)へ送りこんだ当時の日本帝国は、
一般常識からみれば狂気の集団と思える。
そして、この戦争で、310万人の犠牲者とその数倍以上とも思える東南アジア諸国の国民を犠牲にして得たものは、
ポツダム宣言を起点とする欧米型の民主主義であり、憲法九条であった。
終戦70年、そう思う国民は激減しているようにも思える。
ご訪問の皆さん、如何お考えでしょうか?