Koji-Kaneda Art-Gallery
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『岩魚』 水彩・色紙 1981/作品

ちょうど、ルア−フイッシングをはじめた頃か、あまりに釣れないので、反動で、釣れない岩魚君を描いた
・・・・そしたら釣れた!(笑)
私の努力が神に通じたのか、それとも、偶然か?。
精悍な顔付き、描いてみて、岩魚が好きになりました。


ある村で、釣り仲間が集まり、村を流れる大川の源流の水ヨセ部に大きいイワナがいるのに、だれも釣り上げることが出来ず、
どうやったら、釣れるか、相談の為、釣り師が集まって相談していました。
『どうすべえ』
『あいつは、かしこい。この間は、糸を切られるだけじゃない、竿も折って、もって行ってしまっただ。』
『ほんに、おらも、竿を2本もあきらめただ、命があっただけよかったと思うとるべ。』
『普通にやってたじゃ、一生釣り上げれんべ』
『毒草を使うべ』
『そうだ、そうだ、どくだみ草やな?』
『んだんだ』
そうこうしていると、表の障子戸をたたく音がしました。
『なんだ、こんな夜更けに、いったい誰じゃ』
表の戸を開けると、そこには、旅姿のお坊様がたっておったそうじゃ。
『これは、これは、お坊様、こんな夜更けに、何か、難儀されておられるのですか?、さあ、お入りになって』
いろりに上がったお坊様は、村人の釣り師一同を前に
『何か、よからぬ相談事をしておるな』
『毒を使って、イワナをしとめるなど、もっての外じゃ、悪いことは言わん、あのイワナはおぬし達には無理じゃ』
『これはこれは、お坊様には全部お見通しじゃ、へえへえかしこまりました。』
『何もございませんが、お坊様、わしらのダンゴ、お口に合わないかも知れませんが、どうぞ召し上がって下さいませ』
よほど、お腹が空いていたのか、お坊様は、一山ぺろりと平らげてしまい。そそくさと去って行きました。


さああ、どうにも、気もちのすまない村人釣り師連中、数日経つと、お坊様との約束なんかすっかり忘れてしまって
仲間そう出で、毒草を集め、水で溶かして、一気に、川へほうり込んでしまいました。
・・・プカリ、プカリと、次々に腹を見せて上がってくる小魚たち・・・・・だいぶ時間が経ったころ、ブカリと大波を立てて
例の大イワナも上がってきました。体を横たえて、もう、虫の息でした。その大きさは村人の男くらいもあったのです。
あまりの大きさに仰天する釣り師達、でも、静寂をやぶる一声・・・・。
『やった、やった、とうとうやったぞ!、へへへい、ざま〜見ろ!。とうとうしとめたぞ。』
釣り師たちは、本来の掟をやぶってしまいました。(備考:毒を使うことは、現在の河川でも、硬く禁じられています)
さっそく、調理をして、食べて祝杯を!っということになり。その場で、包丁で腹を割きました。


何と!、その大イワナのお腹の中には・・・・・・
先日の、お坊様にさしあげたダンゴがいっぱい詰まっていました。


恐れをなした釣り師連中、とても祝杯どころではありません。
『ああ、どうしたらいいんだ。おらたちは命の川をけがした。』
『おれたちは、川をよごしてしまったんだ。』
『あああ、なんて、馬鹿なことをしたんだ。きっと、たたりがあるぞ。』
たたりを恐れ、即座に、村のお寺で、丁重なる埋葬と、読経となりました。


川の神ともあがめられるようになった大イワナ。
それ以来、だれも、大イワナをしとめようなどとは、しなくなったのです。

Koji記入:
上のお話は、大筋は合ってますが、一部私の解釈による創作も入っています。あしからず、ご了承下さい。
私は、川の大切さ、川をきれいにしようという心がけが、大昔から日本にあり、それを子孫に伝える為の伝説・逸話なんだと思います。
大イワナが育つほど良い川の環境・・・これは同時に私たちが生活する環境をも守らねばならないことだと思います。
道徳と、誘惑・・・相反する動機が釣り師とともに、私たちにはあります。
長良川・河口堰には、私は反対です。もうサクラマスは、きっと、あそこには二度と上がってこられないでしょう。
嘆かわしいことです。以上、ちょっとまじめなKojiよりでした。


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