山里に暮らして

 山里暮らしも早15年、海育ちの私にとって、山里暮らしは、見ることやること全て新鮮で、いろいろなことをして遊び学びました。鮎釣り、ウナギ釣り、カニつかみ、蜂の巣採り、山菜採り、自然生掘り、キノコ狩り、川について、木について、山について、暮らしについて、もう知らないことがいっぱいでむやみやたらに手を出しました。山暮らしの達人達からいろいろなことを教えてもらいました。それはそれは楽しい日々でした。
でもまだまだ山の住人として一人前になれません。今も山で暮らしてきた人たちの知識にびっくりの連続です。
都市の暮らしではいろいろな人が暮らしていくうえでの情報を親切に広報してくれます。時にはもういらないというほどの情報が氾濫します。山では誰も広報してくれません。先輩から教えてもらうしかありません。子供の時に教えてもらったり、体験した、そんな知識の積み重ねは、すごい力として体に染み付いています。うらやましい限りです。
娘や息子は同級生にこの木の実は食べられるとか食べられないとか教えてもらい、学校からの帰り道、木の実を食べながら帰ってきました。後、傷に効く草など。
小さい時に遊びの中で覚える知識は身に付きます。
暮らしていく知識以上に、四季の変化は私の心を豊かにしました。
それによって、一人よがりだったイラストが変わりました。
都市では、私が私がと叫んでいないと、存在が消えてしまいます。
それは絵を描くという行為とはすこし違うもののように思います。
ただ一方、ちっぽけな自分の存在が目の前に暴露され、寂しい現実をかみしめるという厳しさもあります。しかし無理をして描くという作業からは解放されました。
山里の静かな暮らしの中に、現代アートのようなヒステリックなものは必要ありません。
山の色、空の色、草の色など自然の営み、決して目立たない人の営みに静かに目を傾けていればいいと思います。