お遍路7  2006.3/28〜4/5

2002年10月から始めたお遍路ももう4年経過してしまった。モチベーションもだいぶ下がってしまった。そろそろ結願しないと!!
今回は怪我さえなければ 最後まで行くつもり。帰りがいつになるか 分からないので、帰りのチケットは用意していない。
残り240キロ、一日30キロ歩くと8日で結願(ゴール)。

やる気の割りにはほとんど歩く練習をしていない。どんな遍路になることやら。行って来ま〜す。

3/27 8:39の名鉄で名古屋へ。9:57ののぞみで岡山。
岡山で友人とランチ。そして四国は愛媛・伊予小松に向かう。
前回は伊予三芳で区切ったのであるが伊予小松から横峰寺へ向かう距離が変わらないのと、伊予小松から出発すると、宿に荷物を置いておき、横峰に空身で登れるという理由から伊予小松に決定。
今日は宿で寝るだけ。
3/28

興奮していたのか、夜中何度も目が覚めた。そしてあろう事か朝寝坊(といっても6:45)してしまった。急いで朝食を食べ飛び出していく。

伊予小松から横峰寺を目指す
60番より先に61番・香園寺にお参り。コンクリート造りの味気ない本堂。寺は日本の文化の代表の一つなのにどうしてコンクリート造りにするのだろう。宮大工の技術伝承のためにも寺を木で造らなくて誰が造るの?
60番・横峰寺を目指す。
去年の台風で遍路道や山が相当荒れている。久しぶりの登りはきつい。体が重くなったのと、筋力が落ちたダブルパンチでつらい。
汗がしたたり落ちる。ゆっくりゆっくり登っていく。

まったくお遍路の寺は、どうしてこんな山の上に有るの?。久しぶりの私には辛すぎる〜〜。

横峰寺  標高750メートル

何とか横峰寺に到着。
登りも大変なのだが下りもなかなか大変。
こんなことならきちんと練習してくればよかったと反省するが、いまさらしかたない。実戦でなれるしかない。ただ焦ると足の怪我やマメを痛めるから慎重に臨む。

横峰寺の後は62番・宝寿寺をお参りし昨日泊まった同じ宿に戻る。

今日は無理せず22キロで終了。早めに足を休める。

3/29

6:30に食事をし、7:00に出発。

宿から1.5キロで63番・吉祥寺

 

 3.3キロで64番・前神寺

今日は全て平地。でも順調だったのは10キロあたりまで、そのあと古傷が痛み出した。筋肉も痛い。そしてとうとう足の裏も痛くなった。アスファルトを長時間歩くと足に負担がかかる。
薬局に寄り、湿布を購入し足の手入れ。

昨日の夜の雨が石鎚の山々の頂上付近は雪で白くなっている、愛知県よりずっと寒い。桜は全く咲いていない。

国道11号を歩いたり、平行している遍路道を歩いていく。

お城のような家が何件もある。どうしてこんな大きな家が田舎には出来るのだろう?収入がそんなにいいのだろうか・・・いつも不思議に思う。

ねんざの古傷とまめが痛い。カッターで皮を切り、水を出しマメの処置をする。今日は32キロ歩いた。

今日はトラックステーションというドライバーの仮眠所に泊まる。

3/30
7:00朝食、7:15出発、朝からすごい風。歩きにくい。しばらく歩くと今度はどしゃ降りとゴロゴロと雷。とても歩けない。しばらく雨宿り。気圧がすごい変化しているのだろう、突然ぱっと晴れたり、雨だったりめまぐるしく変化。
三角寺への登り。なかなか大変だ。
キブシが咲いていた。
なんとか三角寺に着く。きびしいと本には書いてないが結構きつかった。きびしいと本に書いてある明日の雲辺寺はどうなるのか。

三角寺から下りていく遍路道から見た伊予三島の街。
向こうには雲がなく日が差している。こちらは雲で暗い。
ドラマチックでキレイ。

このときも天候はめまぐるしく変化していて突然あられが降ってきた。

雲辺寺を目指す

通夜堂を借りようとした常福寺。しかしもう取り壊したそうだ・・・ガ〜〜ン今日の宿が・・・。しかたないので今日の宿は雲辺寺登り口のバス停にしようと雨の中とぼとぼ歩いていたら、地元のおじさんが乗っていくかと声をかけてくれた。満面の笑みでお願いしま〜すと乗り込んだ。バス停まで5キロ。歩くと1時間15分。車だと5分。バス停にはでかでかと宿泊禁止と張り紙。ガ〜〜ン。
満室で断られた岡田旅館に聞いた民宿に電話。バス停まで向かいに来てくれて今日の宿確保。ますます野宿がしづらくなっていく。

3/31

5:00起床5:30食事、登り口まで民宿の車で連れて来てくれた。同宿の3人で6:00登山開始。

しばらくものすごい急坂。
しかし体が慣れたみたいで思ったほど辛くない。写真の人は77歳林さん。坦々と登っていく。

私が77歳になったときお遍路を歩こうという気力が有るだろうか。今回何人もの70才代の人に出会った。どの人もきちんと体を鍛え、挑戦している。・・・本当にすごい。見ならいたい!!

すごい急坂を過ぎるとあとは比較的楽な路、天候に恵まれたし、体は慣れてきたようだし、楽しく登れた雲辺寺

雲辺寺展望台から讃岐の街。

ほとんどの人がロープーウェイで上り下りしている。

雲辺寺を下り、田園の中を歩いて67番・大興寺
穏やかな田園が続いている。そしてそこかしこにため池。
68番・神恵院と69番・観音寺が同じ境内の中にある。本堂は真四角のコンクリート。そして納経所には元ヤンキーであろう若い坊主。態度がふてぶてしい。坊主になんてなりたくなかったのにお金になるから跡を継ぐしかなかったのだろうな。彼にとってはつまらない日常であろうがお遍路に来る人にとっては一生に一回かもしれない。一期一会ということが理解できないのだろうな。

観音寺の裏の琴弾公園に登ると巨大な銭形が見える。

 

ビジネスホテル観音寺に泊まる

4/1

ホテルを6:30出発。
財田川沿いを歩き70番・本山寺
寺に着くと途中で知り合った人が6人お参りしていた。

71番・弥谷寺
すごい数の階段。階段を一歩一歩上がっていく。

相当登って、着いたと思ったらそこは車の駐車場だった。そこから本堂までまたすごい階段。バスツアーで来た人達の何人かは本堂までの階段を見ただけで帰っていった。ガイドの人が声を張り上げ「こちらですよ」といっても「止め止め」と車に戻っていく。

73番・出釈迦寺

72番・曼茶羅寺、73番・出釈迦寺、74番・甲山寺と近くに固まっている。その甲山寺、今まで多くの寺を回ったが、納経所にテレビが置いてあったのはここだけ。ヤンキー風ジャージの上に作務衣。テレビを見ながら納経している。ノーヘルでスクーター運転している雰囲気。香川に入ってヒドイ寺が多い。お遍路の寺は好い商売になるから出来の悪い息子が継ぐのであろうがあんまりだ。
他にも納経が終わると窓をピシャと閉める寺、こんにちはの挨拶が帰ってこない寺なんていくつも。お遍路の寺には本当にガッカリ!!人間としての基本が欠落している坊主のなんと多いことか。数少ない歩き遍路にいい顔するより大量の遍路を運んでくれる旅行会社と仲良くできれば大金が入ってくる。そんな感じ。

 

善通寺近くのパン屋さん。
私の子供の頃にはこんな店ばっかりだった。

空海さんの誕生寺・善通寺。
さすがに立派な寺 。この寺で地元で知り合いのご夫婦にばったり。すごい確率の出会いだ!

 

お寺近くの山本旅館に素泊まり。

4/2
77番・道隆寺

新井さんご夫妻(静岡)といっしょに、丸亀の地元人お薦めの『さぬきや』でうどん。
日本百名山にも挑戦中で坦々とすごく速さで歩いていってしまう。
お嬢さんは東京でデザイナー。

さすがに地元がお薦め。うまかった、それに安い。
鰹節の香りが濃厚な汁。
78番・郷照寺

80番・国分寺

太子堂がお土産売場の中にある。香川に入ったら やたらに寺でお土産を売っている。それに金箔を一枚いくらで売って仏像に貼り付けるもの、拝金主義そのもの。涅槃の道場という割りにはお金もうけが全面に出ている。

それに香川にはいったら犬の糞がやたらに増えた。持って帰る習慣がまだ出来ていないようだ、それに愛媛では家の前や路地に花が咲いていたが,香川には花が咲いていない。私にとって香川はどうもなじめない。殺伐としたものを感じてしまう。

民宿あずさに泊まる。増築増築のすごい民宿、でも安い。。

4/3
白峯寺を目指す。町中は少々なじめない香川であるが、山を歩いているとそんなことは忘れる。ウグイスが鳴き、桜が咲き始めた。

白峯寺への遍路道で休憩していると横浜の大村さんが登ってきた。2回目の通し遍路。何度もいっしょになり、色々教えてもらった。大村さんもお寺には色々意見が有るようでいっしょにその話で盛り上がったら、いっしょに道を間違えた。悪口はいけませんね(笑)

81番・白峯寺
82番・根香寺

根香寺からのながめ

 

根香寺から一宮寺への途中で不思議な人に出会う。私の性格などを見事に言い当てる。お遍路を始めた疑問も解いてくれた。不思議な人だった。

83番・一宮寺

 

高松市内に到着。大きな街。
ビジネスホテルあづさに泊まる。

4/4
ビジネスホテルあづさを6:30出発、まず屋島寺を目指す。標高284メートルなのですがかなりきつくハーハーと登ります。地元の屋島に登ろう会みたいな人がすごい勢いで抜いていきます。年間に1000回とか登っているようです。やっと桜がパーット咲き出しました。ウグイスもケキョケキョと鳴いてます。登ったあとは下りですがものすごい急坂の遍路道。
84番・屋島寺
屋島寺の向かいの山に八栗寺。いまから山を下りて向かいの山に向かいます。結構遠くにあると思うのですが、2時間も歩くとなぜか到着します。
85番・八栗寺にはケーブルカーが設置されていてついついチケットを購入してしまいました。文明って便利、楽、素敵(反省)。
86番・志度寺、87番・長尾寺とお参りしました。これで後一つ。長尾寺のとなりの民宿ながお路に宿泊。お遍路途中で知り合いになった人達が何人かいっしょです。天気予報では明日雨、雨だと女体山経由が危険と民宿のおばさんが言います。助光経由で行くしかないようです。だいたい女体山なんて名前からいっても迷いそうだし危険な香りが(笑)!!どちみち明日で最後。こころして歩こうと思います。
4/5
同宿だった6人で88番大窪寺を目指します。朝から雨。最初から雨具で歩きます。どんな素材の雨具でも汗を外に放出するより発汗のほうが多いので内側もビショビショ。あと15キロあるけば結願。どんな気分になれるのだろうな。
しばらく歩いたところに遍路会館なるものが、2005年に出来ました。歩いて結願できたひとにだけ遍路大使任命書とバッジがいただけます。2005年から2006年4月5日、私で1131人目。いい記念をいただきました。このことを知らない人も多いでしょうから実際の人数は分かりませんが歩く人は年間2,000人位だそうです。バスや車で回る人は20万〜30万人と言われています。圧倒的絶滅危惧歩き遍路です。
同宿6人でしゃべりながら進みます。24歳の若者、52歳の私、63歳、70歳,77歳、年齢聞いてないおばちゃん(70歳くらいかな)わいわいと楽しく歩きます。

88番・大窪寺に着いたとき、小さな声で「けちがん」と言い山門をくぐりました。感動で涙が出るかと思いましたがでませんでした。あっさりとした結願。これで4年にわたったお遍路が終了しました。お参りして納経して、それからみんなでうどんを食べに行きました。讃岐うどんではなく大窪寺の前の八十八庵(やそばあん)の打ち込みうどん。色々なものが煮込んであるうどんですがこれもうまかった。

高野山のお坊さんは一番の寺へのお礼参りを勧めてはいないようなのでこれで四国お遍路は終了です。色々な人に出会いました。色々な路を歩きました。色々な思いをしました。時が経ったら今と違う思いもでてくるでしょう。ともかく貴重な経験が出来ました。お遍路ありがとうございました。

町が援助しているバスで志度へ、そこから高速バスで大阪・難波へ、地下鉄で新大阪、そこから新幹線で名古屋、名鉄で本宿。大窪寺を1:30に出て、8:00には家に着きました。

家に着き体重計に乗ってみました。何と体重は減っていません(ガクッ)でも体脂肪が10%減っていました。これもダイエットなのかな?

5/1

和歌山県・高野山金剛峰寺へ結願報告。
今回は妻同行。歩きではなく車。
遠いとは思っていたが、思った以上に遠く片道5時間半のドライブとなった。
金剛峰寺はきりりと美しい寺で本山の威厳があった。納経してくれたひとの対応もきりりと気持ちよく。四国の多くの寺で感じたいやなものを払拭でき、これで気持ちよくお遍路を終えることができそうだ。

奥之院は大きな杉木立といっぱいのお墓の向こう。回りは杉と墓。でもとっても気持ちのいい空間。空海さんが眠っているだけのことは有る。

お墓といって供養塔のようなものがいっぱいあってロケットまであった。こんなおもしろい墓がいっぱいある高野山でねむれたら飽きないだろうな。
シロアリの墓まであった。

四国では薬師如来や阿弥陀如来は本尊であったがここ高野山は開祖の空海が本尊であった。意味はないけど妙にうれしかった。

高野山へ報告したし、これで四国お遍路は無事結願。
ただ残り15枚のスケッチが進んでいない。がんばって描かねば!!