体育会系と文化系

私はどちらかといえば文化系の人間をしていました。釣りの師匠に当る、杉坂隆久は体育会系の人間をしていました。
15年も前、弟子とかってに決めたころのことですが、釣りの結果がイマイチで、帰りの車のなかで私が「桜がきれいだったからいいじゃない」と言ったところ、「桜なんてさいていったけ」彼には満開の桜さえ目には入っていませんでした。
釣れたか、釣れないかが全てでした。「ライズしている魚は必ず釣れるはずだ」と断言し、対策を考えているのです。そして翌週には結果を出していました。私には衝撃でした。
そのころ、魚をさほど釣ったことのない私には、フライフィッシングはさほど釣れない釣りだと、決めてかかっていました。釣れる釣れないかは時の運、位に思っていた私は、目から音をたててウロコが落ちました。
私の目のウロコで河原がキラキラとしばらく輝いているほどでした。
私は突進しました。釣り場近くの景色を見ることも、文化財を鑑賞することも、全てなげうって魚釣りに集中しました。竿を持たず、彼の釣りについて歩いたこともありました。そして少しは釣れる様になりました。ですが、私が集中している間、彼はもっともっと集中していました。彼には追い付けないとあきらめました。
人間にはいろんなタイプがあって、いろんな価値観があって、得意、不得意があって、面白いのだと思えるようになりました。
趣味が同じということは、年や仕事を越えた一体感を味あわせてくれ、楽しい時を過ごさせてくれます。