2014年

マツ
マツ

12/24

山の工事で大きな伐採があったものですから、10トン車一杯分の松の木を入手しました。
それをチェーンソーで長さ50センチほどに切って陶芸窯の薪にするべく用意しました。
しばらく丸いまんま乾燥させて、それから薪割りして細い薪にしていきます。
これだけの量で来年4回ほど焚く薪は確保出来そうです。
私は薪を積む係です。ヤニがたっぷりの重い松を3日で600個ほど積みました。
なかなかハードな筋トレでした。
でも服から松の良い香りが立ち上り、いい気分です。

流木ハンガー

11/4

日曜日、雑貨を作くろうかと近くの海に流木を拾いに行ってきました。
まあ、ゴミのようにあります。ゴミのようにというよりほとんどゴミです。
そんな中でもひょっとしたら使えるかもしれないぞというゴミの流木を拾ってきました。
さっそくドリルで穴を開けて、針金を曲げて、ガラスと金属のビーズを入れて流木ハンガーができました。
なかなか可愛いハンガーです。
スカーフなどをかけると良い感じになりそうです。
流木ハンガーいろいろ出来そうです。
それに苔鉢を吊すものなどいろいろ計画中。

唐箕

11/10

ソバの乾燥も終わり、脱穀とゴミを飛ばして綺麗な実だけにする作業です。
ここで唐箕(トウミ)の登場。
我が家のソバ関連で唯一と言ってほどの機械、それも隣のおばあちゃんからいただきました。
機械と言っても40年前の物で民族資料館にあるようなものです。
まあそんな物を使ってもなんとかソバの実が無事収穫出来ました。
このソバを玄そば(げんそば)といいます。
この玄そばを洗濯ネットに入れてもみもみして細かいホコリ等を取ってから石臼で挽いて粉にします。
今年も無事、風太のそばができそうです。
今週の木曜の営業から新蕎麦です。

又割

11/8

2014年の初頭、目をつむっての足踏みであらぬ方向に進んでしまうことが判明。
原因は体の歪み。
それから始まったストレッチ。
骨盤を正しい位置に矯正しようと股割も目指しました。
股関節は比較的に柔らかかったものですから、3ヶ月後には開脚しておでこが床に付きました。
しかしそれは正しい股割ではないようなのです(背中が山なりになっている)。
骨盤がしっかり立っていて、背骨が反るようにして胸や腹が床に付かないといけないようなのです。
頭が床に付いてから8ヶ月毎日開脚して骨盤を立てるストレッチを繰り返しました(居間でテレビを見ながらです)(骨折した一ヶ月ほどは休み)。
おでこが着くのと胸が着くのでは難易度がまったく違います。
そして11月7日とうとう腹も胸も床に着くことが出来ました。
11ヶ月前、前屈で指先が床に着かなかったのに今は楽勝手のひらが着きます。
股割が出来たからってなにもいいことなんて有りませんが、達成感というお土産はもらいました。
継続って大切だなあと改めて思いました。

ステンドグラス

10/31

我が家の玄関には70cmX50cmほどのステンドグラスが入っています。
冬になり日が低くなると直接陽が当たり玄関を黄色に染めます。
もう14年ほど前になりますが南仏のヴァンスという街にある、マチスが設計したロザリオ礼拝堂に行きました。
そこのステンドグラスに感激してマチスの絵をステンドグラス用に私がデザインして作ってもらいました。
なんだか贅沢な事をしたように思いましたが、14年経った今も、陽が入ると感激して眺めています。

薪
薪

10/26

薪で焚く、陶芸の窯は膨大な量の薪が必要になります。
一冬で家庭用の薪ストーブに使う量を3日で全て焚いてしまいます。
2トンのトラック山盛りの薪でしょう。
山里に暮らしてると、木はたやすく手に入ります。
何人か山を所有していますし、山の整備でいらなくなった木も多くでてきます。
これを購入していたらものすごく高い遊びになってしまいます。
木の入手は比較的たやすいのですが、問題は薪割りです。
みんなで交代しながら薪割りをして薪を作ります。
乾燥した薪でないと温度が上がりませんから、沢山割って乾燥させた備蓄が必要です。

檜や広葉樹を燃やして窯の温度を上げていきます。その温度約1200度まで上げます。
そして終盤は松を燃やします。
松の灰が陶器に降ってそれが溶けて釉薬に変化します(通常の釉薬は使いません)。
てな具合で陶器ができあがります。
来月又窯を焚きます。

窯
陶芸

10/4

明日の日曜が窯出しの予定でしたが台風が来そうだということで今日に変更。
朝早くに蕎麦屋の仕込みをして急いで窯出しに行きました。
窯の中の置く場所によっていろいろな変化を見せます。
それが薪で焚く窯のおもしろさであり怖さです。
私は蕎麦猪口や小皿などをいくつか作りました。
私の置いた場所は余り色が付きませんでした。
どこが良いなんて事は決まらず、ものすごく良くできた器の隣が余り色が付かなかったりもします。
なかなか思ったように行かないところが自然釉の陶芸の面白さでしょうね。
次は11月半ばに窯炊きです。
それまでにまたせっせと粘土をコネコネします。

窯は我が家から10分ばかりの所にあるのですが、そこに行くまでにかなりの確率で鹿に遭遇します。
今日も2頭の鹿に遭遇しました。
しばらくにらめっこをして去っていきました。

窯たき

9/30

今日は陶芸の窯炊きの当番でした。
金曜の夕方6時から土曜の朝9時までの15時間の窯炊き。
ただ土曜日は蕎麦屋の営業日ですから7時で早上がりさせてもらいました。
15時間1300度の温度を保つのが今日の当番の役目。
こんな事を3昼夜続けます。
仮眠を取りながら二人で交代しながら薪を焚き続けました。
陶芸って面白いけど、薪で焚く窯は大変。

そばのハナ

9/23

ソバの花が次から次へと咲いています。

足の怪我さえしなけれが広い畑がソバの花でいっぱいだったでしょう。
今更ながら残念です。
でも小さい畑はソバの花でいっぱいです。
これからミツバチにしっかり働いてもらい、立派な実が付いてくれるのを願うばかりです。

そば種まき

8/29

去年は8月16日にそばの種を植えました。
今年は入院していて出来ませんでした。
それでも8月中には植えないと良い実が採れないかもしれません。
入院以外にも今年は雨ばかりで日照不足の問題も有ります。
植えるタイミングがつかめず、8月29日になってしまいました。
来週から晴れてくるという予報ですし今やるしかありません。
といっても私はまだ松葉杖状態ですので戦力になりません。
今年は妻と息子にやってもらいました。感謝です。
当分頭が上がりません。
大きな畑も借りたのですがそちらはお休みです。何度も耕運機で耕し、準備をしたのですが、怪我のため今年は見送ります。
これで天候が安定してくれればいいのですが、どんなことになるのかわかりません。
自然相手では神頼みです。

骨折

8/16

黒部登山で足の腓骨が3分割された怪我にたいして、8月15日、3時間半にわたる手術が無事に終了し、ビスだらけの骨になりましたがなんとか収まりました。
当日、麻酔が切れると傷口がジンジンしてたまらなく痛かったです。傷口や腰(同じ姿勢のため)が痛く身の置き所がありません。
痛み止めの薬を飲んでも一晩眠ることができませんでした。
今更ですが病気や怪我はしてはいけませんね。
手術の翌日の夕方あたりになるとだいぶ痛みも消えてきました。
怪我をしてから10日間、家で静かにしていたら、2年間かかって太らした筋肉がすっかり落ちてしまいました。付けるのは大変ですが落ちるのは早いものです。
早くジムに復活したい。
といってもギブスの足になってしまいましたからギブスの取れる2週間は行けそうにありません。
こりゃえらいこっちゃだとトレーニング用のゴム紐を病室に届けてもらいました。
病室のベッドでせっせとトレーニングです。
そうしたら急に筋肉に張りが出てきました。
ジムに復活できるまではゴム紐トレーニングで鍛えます。

それにしてもギブスも松葉杖もじゃまくさいです。

黒部
黒部
イワナ

8/7

黒部の奧、薬師沢というところに釣り仲間4人で出かけました。
片道8時間の登山をしなければ川に着けません。
釣り仲間がルンルンのハイキングで行けますよというからでかけたのですが、待っていたのはハーハーゼーゼーの修行のような登山。
ハーハーゼーゼーなのですがチングルマやニッコウキスゲの花がいっぱい咲いているし、雲がいっぱい流れてとても綺麗でした。
途中私は雨に濡れた木橋に足を滑らせ思いっきり足首をひねってしまいました。
それでもなんとか山小屋に着きました。
足はどんどん腫れてきます。
濡れたタオルで幹部を冷やすしかありません。
翌日は釣りの日です。
でも私はこれ以上ひどくするわけにはいかないので静かに部屋で待機です。
でもせっかく黒部まで来たのですから一匹だけでも釣らないと話になりません。
床に着けるだけでも激痛が走る足、それでも何とか川まで行って一匹のイワナだけは釣って山小屋に戻りました。
夕方になって川から帰って来た友人達がいっぱい釣った超うらやましいイワナの写真を見せてくれました。
源流育ちの頭が大きく、尾びれの大きなすばらしい黒部の天然イワナです。
そしてその翌日は帰る日です。
何とか歩けるほどに痛みが引きましたので、テーピングをしてまたハーハーゼーゼーの山を上がった下だったりしながら降りていきます。まともに友人達の速度では歩けません。自分のペースで一歩一歩歩いて行きます。
普通なら5時間30分で降りられる工程を7時間ほどで登山口に着きました。
そしてその翌日ハレもひどいので整形外科に行きました。
そしたら「骨折してますね、それもひどく」
とのこと、私がレントゲンの写真を見てもすぐにわかる骨折です。
明日大きいな病院でもう一度診察になりました。
手術のなるのか、ギブスになるのか?
それにしても、よく骨折した足で大きな荷物を背負って7時間も歩いたものです。
私の注意力不足で起きた怪我ですが、良く帰還できたものだとちょっとほめてやります。
大きな怪我をしてしまいましたがそれでもかなり楽しい黒部源流釣行登山でした。ずっとしたいと思っていた山小屋でのオカリナ デビューも果たせました。
骨折のおかげで翌週に控えた福島へのオートバイツーリングは不参加となりました。
しばらくは作陶の日々にしようかと思っています。そうだ、そばも植えないと。
できるかしら。

ビートル

7/24

突然ですが車を変えてしまいました。
突然すぎて家族はあきれていますし、自分でもビックリしています。
ケータハム・スーパーセブンとワーゲン・ルポがいなくなり、ワーゲン・ニュービートル・カブリオレが来ました。

7月、セブンの車検でしたので普通に車検にだしました。そしたらショップの方がこの車売る気有りませんかと聞くのです。
いまセブンを欲しい人はいても売るものがないというのです。2年乗ったことですし、なんだか急に売ってもいいかなと思ってしまいました。
私用に車が2台、大型バイクが1台あり乗り切れないのです。
スーパーセブンとバイクは似ているところがあります。
ですからバイクに乗りたいときとセブンに乗りたいときが重なります。
先日バイクのマフラーを交換したとき、改めてバイクの楽しさを実感しました。結果としてまた以前のようにバイクに乗りたいと思ってしまったのです。
ただオープンカーの気持ちよさも捨てがたいので普段使いも出来るニュービートルカブリオレを選択したというわけです。バイクと普段に使えるオープンカー、家族はあきれていますが、なんだかいい組み合わせに思えます。
まあそんなこんなでニュービートルカブリオレが仲間になりました。
今度はクーラーもステレオもカーナビも付いていて、4人乗れて、荷物も普通に積める車です。
可愛い丸いライトのビートルカブリオレ。色は淡いブルー。なかなかキュートです。
いつでもどこにでも気楽に旅行に行けそうです。
でもしばらくするとセブンの走りが懐かしくなるだろうという気もしますが、それは楽しい思い出として取っておきます。

ニュービートルカブリオレ、楽しい仲間になれそうです。

大雨

7/9

この時期は毎年こんな絵の掛け軸を掛けています。

今度の台風は大きいようです。
外で遊んでいてはいけませんね。

石臼

6/27

週3日の蕎麦屋営業日には玄そば(皮付きのそば)を石臼で挽いて粉にしています。その日に打つそばの2〜3割の割合で玄そばからの粉をブレンドします。
石臼を挽いて、粗めの粉をつくり混ぜますと、香り歯ごたえともに良くなります。
そういったいいことがあるのですが、石臼を手でごりごり回すこと自体が実はなかなか白いのです。
手で作っているという実感がいいのでしょうね。
陶芸もそれと同じような感じでしょう。
手でこねくり回すのは面白いです。

parao
パラオ
GT
パラオ

6/4

フライフィッシングの師匠と何度も行ったパラオ。
南の島で一番多く行ったのがパラオで、6回行きました。
他にも慶良間、グアム、サイパン、ポナペ、チューク、クリスマス等の島にも釣りやダイビングに行きました。
パラオのフライフィシングでは鉄砲ウオを釣っただけで大部分は大きなルアーを投げてのロウニンアジ(ジャイアントトレバリー)釣りでした。
早い海流が流れているところでは大きな魚の群れがいつでもみられ、いろいろな魚が釣れます。
私が恋しているロウニンアジ(ジャイアントトレバリー)も沢山います。
ただ巨大な魚(30㎏以上)はなかなか釣れません。
ただ一日、ロウニンアジをねらって、釣れないなんて事はなく楽しい釣りがいつも出来ます。
レストランも沢山あるし、いいホテルもあるから楽しめます。
パラオに行くとすっかり仲良くなった現地のガイドをいつも直接雇います。
パラオの釣りチャンピオンになった人で日本人のガイドより多くのポイントを知っていて頼りになります。
ロウニンアジを真剣に狙っている人は体を鍛えて魚に負けないようにしています。
私は鍛えないで行くから、いつも魚に振り回されへろへろになっていました。
大きな魚は私を翻弄するだけして海に帰っていきました。
今ジムに通って筋トレしているのも健康のためだけではなくロウニンアジに負けない力が欲しいという思いもあります。
ジムに通って2年、少しは力もバランスも良くなりました。
リールを買ったことですし、そろそろ成果を出してみたいですね。

●釣りの師匠のスケッチ
●ダイビング休憩で島に上陸しスケッチをしているところ
●ロウニンアジ
●パラオの海

mon
猿

6/1

お猿のモンとキーには今もちょくちょく会いに行きます。
檻に顔を近づけると、髪の毛をつかみ、毛をかき分けてノミ探しです。
手などにほくろがあればノミだと思い、つぶそうとします。
今日は手に小さなささくれがありました。シラミだと思うのか私には痛くなく歯でつぶそうとします。
私もお返しに毛をかき分けノミを探しますがノミやシラミがいたことなんて一度もありません。
猿との交流も5年経ちました。
始めて会った人には歯をむいて威嚇しますが、長い付き合いですぐに仲間に入れてくれます。
なんだか不思議な交流です

mebaru
メバル
カサゴ

5/26

昨夜、「出発ちょっと遅いけどメバル釣り行かない」とのお誘い。
もちろん「行きます」ということで夜遅くから船を出して、暗闇の中ごそごそと釣り。
メバルのシーズンは終わったのかなあと思っていましたがちょっと船で出るともうメバルだらけじゃないのというほどいます(友人がそんなポイントを見つけたのです)。
さすがに釣れます。陸地から釣っているときとは大きさも数も桁違いです。
もう陸地からの釣りは出来なくなりそうです。
禁断の領域に踏み込んでしまいました。
数が釣れると名人との差が歴然と出ます(私の3倍は釣っています)。
竿の問題(アクション)、糸の問題(太さ、性質)、ルアーの違い(重さと形と色)。
いろいろな問題が噴出しました。
遅ればせながらこれらの問題を一つ一つ片づけて名人に近づきたいと思いました。
そんな課題もでましたがワイワイと楽しく釣りが出来ました。
そして朝、魚の処理です。
沢山いるのはうれしいのですがウロコとって、内蔵出して、三枚におろすなどをすると少々面倒です。
でもやらないとおいしく食べられないからやるしかありません。
今回は昆布締め、煮魚、焼き魚、天ぷらの予定。
また店に出さずに家で食べてしまうだろうな(笑)
色の違う魚はカサゴです。
タケノコメバルやクロソイも混じりました。
一度名人に凄いあたりが来ました。
しばらくやりとりをしたけれど切れてしまいました。
あの魚は何だったのだろうな。昨夜、「出発ちょっと遅いけどメバル釣り行かない」とのお誘い。
もちろん「行きます」ということで夜遅くから船を出して、暗闇の中ごそごそと釣り。
メバルのシーズンは終わったのかなあと思っていましたがちょっと船で出るともうメバルだらけじゃないのというほどいます(友人がそんなポイントを見つけたのです)。
さすがに釣れます。陸地から釣っているときとは大きさも数も桁違いです。
もう陸地からの釣りは出来なくなりそうです。
禁断の領域に踏み込んでしまいました。
数が釣れると名人との差が歴然と出ます(私の3倍は釣っています)。
竿の問題(アクション)、糸の問題(太さ、性質)、ルアーの違い(重さと形と色)。
いろいろな問題が噴出しました。
遅ればせながらこれらの問題を一つ一つ片づけて名人に近づきたいと思いました。
そんな課題もでましたがワイワイと楽しく釣りが出来ました。
そして朝、魚の処理です。
沢山いるのはうれしいのですがウロコとって、内蔵出して、三枚におろすなどをすると少々面倒です。
でもやらないとおいしく食べられないからやるしかありません。
今回は昆布締め、煮魚、焼き魚、天ぷらの予定。
また店に出さずに家で食べてしまうだろうな(笑)
色の違う魚はカサゴです。
タケノコメバルやクロソイも混じりました。
一度名人に凄いあたりが来ました。
しばらくやりとりをしたけれど切れてしまいました。
あの魚は何だったのだろうな。

ほたる

5/29

家のすぐ近くの川でゲンジホタルが飛び始めました。
これから、日に日に数が増えていくことでしょう。
毎年毎年、ホタルの魅力に魅せられ、毎夜毎夜川のほとりに立って小さな光を眺めます。
いいときは何百の乱舞が見られます。
そういえばこちらに引っ越した27年前には河川改修も、田んぼのほ場整備も無く、
田んぼにはヘイケボタルが何千匹という数で光っていました。
でもほ場整備の後で全て姿を消しました。
ゲンジボタルは川に棲息しているから何とか生き延びることが出来たようですが、田んぼを生息場所に選んだヘイケボタルは農薬や環境の激変で姿を消してしまいました。
平家も復活して欲しい。

おくるみ

5/22

両親が住んでいた家(現そば風太)の物置の整理をたまにします。
古い風呂敷に包まれたオクルミがでてきました。
私が赤ん坊の時に使った物です。
59年か60年前のものでしょうが綺麗に保存されていました。
着ていた記憶はありませんが、懐かしいものに出会え数十年前にタイムスリップしました。
何でもとっておく母親で困ったものでしたがこんなものが出てくると、とっておくことも
悪いばかりではないと思えます。
母の愛を感じます。



4/19

ブリティシュ.クラシック.マラソンなる古い英国車でのラリーが岡崎を出発していきました。
富山まで行って、戻ってきて明日岡崎でゴールです。
東京や京都などから古い英国車を愛する人々が集ってのイベントです。
もう21回目を数えます。

なぜか車もバイクも英国車に引かれます。
ただ英国の車もバイクも衰退し続けています。
魅力的な車が多いと思うのですが世界的な競争力は弱いのでしょうね。

今日は蕎麦屋の営業日ですから、スタートだけを見て急いで帰り蕎麦屋になります。

吉野
吉野
吉野
4/9

奈良・吉野の山を歩いて下千本、中千本、上千本の桜を眺めてきました。
前から行きたいと思っていましたが、やっと念願がかないました。
山一面の山桜が息をのむ綺麗さで迫ってきます。
そして最後は修験道の総本山、金峯山寺(キンプセンジ)の秘仏を公開しているというので迫力の蔵王権現像にご対面です。
今まで見たどの仏像より迫力があり、そして可愛くもあり、ものすごくカッコイイ仏像て感激でした。
全行程4時間の山歩きでした。
次回は宿坊に泊まりながら上千本の奧にある奧千本まで行ってみたいと思いました。

ビアナ
パリ

4/7


なんだか光と影を描きたくなっています。

スペイン・ビアナ宮殿

宮島
宮島
絵本
ナグラ
クルーザー
ヤマト
潜水艦
4/1.2
広島に母体のあるアンデルセンというパンの会社があります。
そこで毎年アンデルセンメルヘン大賞という絵本の原作を公募しています。
もうそれが31回目となります。
そこで選考者となって作品を選び、絵を付けるというお話を頂きました。
そこで私は「お化けの派遣会社」という作品を選びお化けの絵を描きました。
その表彰式が4/2広島であり出かけました。
せっかく広島まで行くのですから初日は宮島に船で渡り、厳島神社で平安時代にタイムスリップして満開の桜に酔いしれました。
夜はアンデルセンの経営者の方達や選考委員長の立原えりかさんなどと会食です。
そして翌日は表彰式。原作を書いた人たちとのご対面です。
パーティーの始めに、なぜか私に乾杯の役目が来てしまいました。
絵とは関係ない股割の自慢話などを交えて話、無事乾杯も出来、つつがなく受賞式とパーティーが開かれました。
そしてその後、何度もパラオやアメリカで一緒に釣りをした広島のテキ屋の親分の所へ遊びに行きました。といってもテキ屋はもう引退しています。
でもおつきあいしている人がとんでもない人たちばかりで、そのような人たちの所有している船をみせてくれました。
個人の人が73フィートとオールウッドの58フィートのクルーザー、そのほかにも何艇も持っていました。
おおきな桟橋自体を個人が所有していて、桟橋にはプールも設置されていました。信じられないような人が世の中にはいるものです。
そこでしばらく遊んで次は呉に行って戦艦大和の大和ミュージアムとてつのくじら館に行きました。
戦艦大和の10分の1のスケールでも27メートルあります。その迫力にビックリ。
零戦もありました。人間魚雷などもあって戦争の悲惨さも当然感じるのですが、なぜがワクワクしてみてしまいます。隣の海上自衛隊の資料館に72メートルの本物の潜水艦が展示してあります。中に入ることも出来、超楽しい体験ができました。
呉の港には自衛隊の現役潜水艦が5艇、巡洋艦が何艇も停泊していました。
戦争はいやですがそのような武器はなぜか楽しくみてしまいます。
又、呉にはゆっくり行ってよいなあと思ってしまいました。
という一泊二日、盛り沢山の広島行きでした。
ミツマタ

2014.3.25

近所の山の中にミツマタの群生しているところがあります。
枝が三本に分かれるからミツマタといい、3月下旬に黄色い花を咲かせます。
ミツマタはコウゾとともに和紙の原料となる木です。
昔は普通の家庭でもコウゾやミツマタを山に植えて、切り出して叩いて繊維をとりだし、紙スキをして和紙を作っていたそうです。
家庭で和紙を作らなくなってもう数十年経つそうですがミツマタだけは残り、谷筋に沿って数千本といった規模で生えています。
また不思議なことにミツマタは杉林の下で良く育つそうです。
普通杉林には植物が育たないものですがミツマタとはうまく共存でるようです。
せっかくこれほどの規模でミツマタが生えているのだから、もう一度和紙を作れば良いのにと思うのですが、手間を考えるととてもやれないようです。

3/20

暖かい日になりました。

こんな日はバイクの手入れをしなくっちゃと思います。
だいたい毎年3月の末になるとバイクの手入れをします。
いつでも出撃できるようにオイルの交換、チェーンにオイルを塗布したりします。
そして桜が咲き出しますと桜見のツーリングへと出かけます。
もうこんな事を何年繰り返したことでしょう。
原付バイクに乗り出したのは16歳の時です。そして中型、大型と乗ってきました。
もう44年乗り続けています。
まだまだ乗るつもりです。



股割 3/19
開脚前屈が、かなりうれしいのです。
だいぶ楽に顔が床につくようになりました。
体のゆがみを直したいとはじめたストレッチですが、バランスもだいぶ改善されました。そしてだいぶ楽に股割ができるようになりました。3ヶ月前、前屈で指の先が床につかなかったのにいまは手のひら全部がつくようになりました。
絵ばかり描いていて運動部に所属したことのない私が60歳を境に体を作ろうとしています。
柔軟なんてめっそうもないと思っていましたがやれば柔らかくなるものだと感心しています。体が改善されてくると気力も増してくるものです。
新たなことに挑戦したくなってきています。
講師
典ちゃん
3/18

今日はデザイン専門学校の卒業謝恩会でした。
それと同時に私にとっても専門学校の卒業式でした。
専門学校の非常勤講師として22年の月日が経ちました。
謝恩会も22回招いていただきました。
こんなに長い間講師をするなんて思いもよらなかったことです。
まあ一区切りがついたなあと感慨深いです。
同じ時期に職員講師になった女性もいっしょに卒業です。
古い写真があったからと今日持ってきてくれました。
さすがに20年前の写真、お互い若いです。

体をしっかりメンテナンスしてもう一花を咲かせられるよう頑張ります。

飛騨
イワナ
イワナ
やまめ
深山荘
ゴン
杉坂一家

3/4

一泊二日で釣り仲間と奥飛騨は蒲田川にイワナ、ヤマメを釣りに行ってきました。
現地で釣りの師匠一家とも合流。
師匠とも仲間とも二十数年あちらこちらへと釣りに行きまくった仲間です。
釣りをして、温泉に入って、美味しい料理を食べて、夜遅くまで昔の釣りの話、おばかな釣り仲間の話などで盛り上がりました。
今回、渓流での私にとって最大の35センチのイワナも釣れました。
30センチを越えるイワナが二匹釣れたしそれ以外にもイワナやヤマメもいくつか釣れたし、なかなかいい釣りになりました。
そして帰りには一度入ってみたいと思っていた深山荘の露天風呂にも入り、大満足な蒲田川の釣りでした。

馬車

2014.2.25

私が年をとったということでしょうね、最近昔のことをよく思い出します。
1953年/昭和28年愛知県の碧南市という町に生まれました。細かい記憶があるのは昭和34年の伊勢湾台風くらいからでしょうか。
そのころにはまだ高射砲跡や防空壕あとなど戦争の跡もありました。
私が小学校に上がる頃はまだテレビが一般家庭にはありませんでした。
電話がある家も少なかったです。
車もありませんでした。
映画「3丁目の夕日」の田舎バージョンといった感じしょうか。
私の子供の頃の田舎では荷物を運ぶのに馬車がまだ活躍していました。
小学校からの帰り、瓦を積ぶ馬車の荷台に乗せてもらい帰ったことを覚えています。
鍛冶屋、豆腐屋、竹細工屋、畳屋、テーラー(洋服の仕立て屋)、げた屋など職人が元気よく働いていました。
そんな仕事場を店先でよく眺めさせてもらったものです。
テレビも電話も車もない暮らしでした。
娯楽と言えば家族揃って映画を見に行くことでした。
お風呂やご飯は薪で炊いていました。
今思うとすごい暮らしですがそれなりに楽しく暮らしていたように思います。

なんだか懐かしく当時の景色を思い出します

それが1964年東京オリンピックの頃からビックリするほど変わっていきました。いろいろな電気製品が続々と家庭に入ってきました。
車もすごい勢いで普及しました。日本は「奇跡の復興」などと呼ばれていました。
豊かさの証しは3Cでした。カー、カラーテレビ、クーラーです。
なんだか日本が豊かなで幸せな国になったように思い始めました。
そして平成の時代になり色々なところにコンピューターが導入され、家庭にも入って来て、もうすごいことになりました。
我が家にも20年前コンピューターを一式導入しました。それに携帯電話。
昭和から平成、明治維新なみのすごい変化だったように思います。
ネットが発達し、おかげで直接会ったことが無い人と仕事もしているし交流もしています。
連絡も買い物もネットなくしてはどうしようもない時代です。
すごい便利です。

でも最近なんだか本当にこれでよかったのか、とも思っています。
情報がありすぎるのも少々面倒に思います。
仕事の質も変わりました。職人の仕事がどんどん消えて寂しく思います。
便利がそれほど素敵なものじゃないとも思っています。
ただ、だからといって、もう昔には戻れないでしょうね。

10年後20年後、どんな暮らしをしているのでしょうね。

 

mac

2014.1.28

アップルのMac(マッキントッシュ)が発売されて30年だそうだ。
Macといってもハンバーガーではなくコンピューター(PC)のことです。
私がPCを買ったのは1994年、いまから20年前になります。
アップルのクアドラ800というコンピューターを買いました。
プリンター、スキャナー、MOなど含めて220万円の請求がきました。
当時は高かったですね。

コンピューター買って「借金トッシュ」なんていわれたものです。
デザイン関係の人はアップルのPCと決まっていました。
なぜかというとアドビのイラストレーターやフォトショップという印刷には欠かせないソフト(CMYKという印刷用の色が扱える)がウインドウズにはなかったからです。
でも世間の流れはウィンドウズにいきました。Macはデザイン関係、音楽関係以外ではマイナーな存在でした。
性能がよくても売れるとは限らないのです。
テレビ局等では高性能ということでソニーのベータを使っていたのに企業の争いに破れ、完全に消えたことを彷彿とさせました(今もベータ持っています)。
でもアップルは生き抜いていまスマホなどでも活躍しています。
4年も使うとどこかガタも出るし、時代流れに付いていけなくなるのでだいたい3年で新型に買い換えていました。今使っているiMacも3年経ちました。
元気なうちに買い換えた方が良いのですが、現行モデルのデザインは今使っているものと変わりません。
新しいデザインのPCなら買い換えてもいいのですが、今のものでは代わり映えがしなく購買意欲が沸いてきません。
画期的なデザインをだしてこないかなあ。
そうしたら即お買い上げなんですけど。




7

2014.1.12

セブン仲間19台で新春ツーリング。
渥美半島をぐるっとまわってきました。
なかなか日程が合わず久しぶりの参加です。
全員幌無しのオープンカーでの出陣です。
伊良湖でオオアサリとイカを食べ、蔵王山ではソフトクリームとみたらし団子を食べて帰って来ました。
オープンといえども足下のヒーターを効かせ、しっかり防寒対策をしていけばまったく平気です。といってもバカどもの集まりですね。

 

たこあげ 2014年1月1日

あけましておめでとうございます。