チューインガムの歴史


チューインガム(chewing gum)とは?

ガムはかむことで風味や口あたりを楽しむお菓子。かみ菓子という分類名が用
いられることもあります。チューインガムは、かむ(chew)ゴム(gum)の意味で、ゴ
ム質などを基材に味や香りをつけたものです。かむことを楽しむ嗜好品の歴史は
古く、古代ギリシャでは乳香という木から取った樹脂を嗜好品としてかんでいたと
いう記録があります。また、東南アジアやインドなどの各地でビンロウの実を加工し
たものが、かみ菓子として使われています。

歴史

現代のチューインガムの起源は中央アメリカのマヤ族に由来します。マヤ族には
サポディラの樹皮からとった樹脂を固めてかむ風習がありました。マヤ族の滅亡後、
この風習はインディアンとよばれる原住民に引き継がれ、コロンブスのアメリカ大陸
発見(1492年)以後この土地に渡ったスペイン人へ受け継がれました。

チューインガムとして製品化したのは1860年頃、アメリカ人のトーマス・アダムス
サポディラの樹液を固め、チクル(メキシコ語でかむという意味)という名で発売しまし
た。一説にはスペイン軍の将軍サンタ・アナが考案し、アダムスが商品化したともい
われています。その後チクルに甘味料や香料を加えて改良したものを1869年にジョ
ン・コールガンが、さらに1892年にはリグレーやフリアーがハッカを加えてガムを世界
に広めました。
これらの人々が、それぞれチューインガムの会社を設立し、アメリカン・チクル社(アダ
ムス)、ウイリアム・リグレー社、ビーチナット社(フリアー)は現在でも三大ガムメーカー
となっています。

日本では、明治末期にはアメリカのリグレー社から輸入され、また国産品も製造されま
した。しかし、日本には古来、かみ菓子の風習がないのと、人前で口を動かす事が好
まれないこともあって、たいして普及はしませんでした。

戦後になって、アメリカ軍人の多くがガムをかんでいたのがきっかけで、日本人の間に
も急速に普及し、今日のように広く親しまれるようになりました。




人物解説
サンタ・アナ(Santa Anna)将軍
1836年アラモの攻撃でよく知られているのがメキシコのサンターアナ将軍であります。
彼が1866年チューインガムの素である”チクル”と呼ばれるものをアメリカに伝えたと
いわれています。アメリカに彼が数ヶ月滞在したとき、大量の”チクル”を持ち込み、残
していったといわれてます。

トーマス・アダムス(Thomas Adams)
将軍の友達であった発明家のアダムスは、彼が残していった”チクル”(口の中で噛む
もの)に関心を持ちより粘着力のある物にしようとしましたが、なかなかうまくいきません
でした。試行錯誤の末、お湯で煮、平らに伸ばすことでより粘着力のある、噛みごたえ
のある”チクル”になることを発見し、試験的にガムとしてニュージャージー州で売り出しま
した。
このガムは非常に人気を集め、彼はチューインガムをつくる機械を作り大々的に売りだし
ました。そのときのガムは長いひも状の形をし、1セントずつ切り売りされていました

チューインガムの人気に目を付けた他の製造業者が、味をつけたり、きれいな包装紙で
包んで売り出すようになりました。が、アダムスはこれに対抗し、駅など人の多いところで
自動販売機を使ってガムを売り、大成功を納め大きな会社に成長させました。


ウイリアム・リグレー(William Wrigley)

リグレーは洗剤を販売する仕事をしていたが、洗剤の景品にガムをつける販売で成功し、
(それだけガムは人気があった)ついにはガムを専門に製造する会社を作り売りにでまし
た。先行するアダムスの会社に対抗するため、大々的に宣伝攻勢をかけ、一時は世界
中で最も宣伝される製品になりました。




ガムの消費量

19世紀後半
おもに婦人に愛用されていた。

1914年の調査
男女いかなる年齢層にも愛用され、当時1年間に1人当たり39本のガムを愛用していた。

1925年
1914年の3倍、100本。

第二次大戦中
兵士は3000本消費した。



参考文献
新食品辞典(10)菓子・・・・・・心球書院
アメリカ文化の背景・・・・・・・・北尾謙治(同志社大学教授)

 

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