第一話 「ハリス物語」


 「ハリス」という名前を知っていますか? 

今は化粧品、飲料水、お菓子、もちろん繊維、化学製品でなじみの深い
「カネボウ」に吸収合併されてしまったガムメーカーの名前です。
昭和30年代半ばには日本一のガムメーカーになり、西の「ハリス」、
東の「ロッテ」と呼ばれたこともあります。
ハリスの前進は第2次大戦前、昭和8年、森秋広が経営する森又商会
から始まります。
愛知県岡崎市(私の住んでいる町です)にあった東海製菓が製造した
キャラメルを「森又のキャラメル」として売り出したのが製菓事業に進出した
第一歩でした。(後に、東海製菓の株は森永製菓に渡り、森永キャラメルの
工場として地元に親しまれました)

 時は満州事変以降の大陸ブーム、東海製菓の下関工場長であった
山本佐与次と森又は日満製菓の設立に参画し、満州で主に軍に納める
ビスケットの製造を始めました。
戦局が悪化し、ソ連軍の満州侵攻、中共の八路軍の略奪が始まり、
現地の日本人は飢餓と命の危険にさらされていました。
とくに軍隊の兵器と結びついていた鐘淵化学(カネボウ)の工場、従業員は
とても危険な状態でした。
日満製菓は鐘淵化学の隣にあり、軍需だけでなく地元にも食品を供給して
いた関係から辛くも略奪から逃れ、食料だけは何とか確保できる状態でした。
鐘淵化学の当時の工場長、植村修三は、森、山本と隣同士と言う関係から
親交があり、軍需工場に対する攻撃、略奪が激しくなったある日、社員を心配
する植村に比較的恵まれていた森が「このままでは鐘紡の従業員はあぶない、
全従業員をうちで引き受け雇用しよう。」と申し出た。

 終戦後、植村は復員した森、山本に満州での恩義に報いるため事業再開
の協力を約束、鐘紡の援助で森又商会は再興され、チョコレートの製造を始
め「モーリスチョコレート」として売り出しました。
しかし、すでに森永製菓から「モーリスビスケット」が発売されており、商標は
却下されてしまいました。
モーリスの名は森が満州で終戦を迎えたとき、侵入してきたソ連兵から
ミスターモーリスと呼ばれたことから付けられたと言われています。
トレードマークも満州の山野で見かけた可愛いリスをあしらったデザインを
採用していました。
森はどうしても「リス」に愛着があり商標としてリスの付く名前を考えていました。
考えているうちに、アメリカ総領事のタウンゼント・ハリスを思いつき「ハリス」と
命名、デザインも森に住む葉かげのリス、葉とリスを組み合わせたデザインと
なりました。
昭和26年秋、鐘紡の研究所で兵器の原材料である酢酸ビニール樹脂を見た
森は、これを利用したガムをおもいつき、鐘紡の敷地の一部を借り受けチューイ
ンガムの製造を始めました。

「ハリスチューインガム」を発売した森又商会は、翌年昭和27年ハリス株式会社
に商号を変え、大躍進のスタートをきりました。
大阪、西日本を制覇したハリスは、東日本攻略のため小田原工場を建設、
昭和35年にはガムだけの売り上げで年間45億円もの売り上げを誇る日本一の
ガムメーカーに発展しました。
(商品はホームページのハリスを参照して下さい。)

それから3年後、昭和38年4月にハリス首脳陣は退陣し、鐘紡が経営の実権を
握ることとなり、翌年4月、鐘淵紡績株式会社はハリス株式会社を吸収し、
「カネボウハリス」が誕生しました。
理由は、「ハリスの販売シェア、売り上げの急激な低下によるハリスの鐘紡に対
する経営援助要請によるもの」と言われています。
その後、鐘紡はカネボウとなり、脱繊維の旗印のもと化粧品、医薬品、化学製品、
食品などに力を入れ、「カネボウハリス」は「カネボウ」となり、飲料水、スナック、
食品を製造する総合食品会社として大きく成長しました。



参考文献 「日曜研究家」 NO11 主筆 串間 努   出版 (株)扶桑社



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