植  物


 植物といえば花を咲かせる植物を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし、植物の最も大きな特徴は光合成をおこなって炭水化物(ブドウ糖やでんぷん)を作ることにあります。多くの動物は植物が作った炭水化物を食べて生きていますし(草食動物)、肉食動物も草食動物をエサにすることによって間接的に植物に依存して生きていることになります。ですから、植物を生産者、動物は消費者と呼ばれるわけです。ブドウ糖などの炭水化物は化学記号で書くと(C6H12O6)n と表されます。 植物は二酸化炭素(CO2)の炭素原子(C)と酸素原子(O)、水(H2O)からの水素原子(H)を使って炭水化物をつくりあげます。この水分子を水素原子と酸素原子に分解するのに光のエネルギーが使われます。つまり、植物は太陽光と二酸化炭素と水から炭水化物を作り上げ、酸素を排出していることになります。人間は化石燃料をさかんに燃やして二酸化炭素を環境にばらまいていますから、熱帯雨林の消失(これも人間の活動が原因)による大気中の二酸化炭素の上昇が心配されています。このように植物は環境の保全にも重要な役割を果たしているわけです。

 ここで植物の構造を復習しておきます。植物は葉、茎、根の3つの部分からできています。花はどうかといいますと、これは次の世代を作る生殖器にあたりますから、植物個体が生きていくのにはとりあえず必要ないものとなります。葉は太陽光を受けて光合成をおこなう器官です。葉が緑色をしているのは葉緑素という緑色の色素を持っているからで、この葉緑素(クロロフィル)が光のエネルギーを吸収して光合成をおこなっているわけです。また、葉の裏には気孔という小さな孔があいていて、この気孔から二酸化炭素が取り込まれ、余分な水分が蒸発していきます。根は土の中の水分を吸収する重要な働きをしています。また、窒素、燐酸、カリウムといった植物が自分の体を作り上げるのに必要な成分も根から吸収されます。もちろん根には植物を空気中に直立させておくという土台の働きも持っています。茎は葉と根をつなぐ構造物ということができ、茎の中には水分を根から葉に運ぶ導管という管や、葉で作られた炭水化物を根に運ぶ篩菅(しかん)という管が通っており、この2つを合わせて維管束と呼んでいます。

 もう少し詳しく植物の構造をみてみましょう。葉は太陽の光を十分に受け取る必要があります。そのために多くの植物では葉を平べったい形にして面積を広げ、また、葉どうしが重なって他の葉の陰にならないように配列が工夫されています。さらに、朝、日中、夕方と葉の向きを変えて日光を受けやすくする仕組みも持っています。一方、葉の気孔からは水分が失われますから、寒い気候で育つ針葉樹や乾燥した砂漠で育つサボテンなどでは葉を針のように細くして水分の蒸発を防ぐことに重点が置かれています。根の最も重要な役割は水分の吸収です。そのために根は広く張り巡らされたり、地下深くにまで伸ばされ土壌から水分をかき集めようとしています。そして、水分を吸収する表面積を増やすために根の先端付近にはひげのような細い根毛が密生しています。根から吸収された水分は導管を通って地上部に送られます。何十メートルもある木の先端にまで水分が到達する仕組みは、根圧と葉からの水分の蒸散が関係しているといわれています。根から吸収された無機イオンは濃縮されて浸透圧を生じ、水分を押し上げる力(根圧)となります。一方、葉の気孔からの水分の蒸散はストローでシュースを飲む時のような引力を作りだします。このように、水分を押し上げる力と、水分を引っ張り上げる力によって、何十メートルもの距離を水分が上がっていくことができるわけです。ところで、植物の二酸化炭素を取り込み酸素を放出するという面を強調してきましたが、植物も生きていくためには酸素を必要とします。たとえば根が水分や養分を吸収するのに必要とするエネルギーは炭水化物の燃焼、つまり炭水化物の酸化によって得られます。植物も動物も酸素によって炭水化物を酸化してエネルギーを作り出していることは同じなのですが、その炭水化物を植物のように自分で作り出すか、動物のように植物を食べることによって得ているかが違うわけです。植物の根は土壌中の隙間に含まれる空気から酸素を取り入れていますが、湿地では土の中の空気が不足しますからマングローブのように湿地で生活する植物では地上部の根(気根)を発達させています。植物の中には根にデンプンなどの養分を蓄えているものがあります。蓄えられた養分によって根が太くなっているダイコン、サツマイモ、ニンジンなどはわれわれの食糧としてなじみ深いもので、塊根と呼ばれています。茎は、太陽光を受け取る葉と水分を吸収する根を連結する働きをしています。茎の内部を通るパイプである維管束(導管と篩菅)は水分や養分を全身に運ぶ役目をしていますから動物での血管系に相当するものと考えることができます。また、茎は植物を地上に直立させ、太陽の光をあびやすいように葉を空中に高く持ち上げています。植物の細胞は動物の細胞と違い細胞壁を持っています。この細胞壁にはセルロースが含まれているためにたいへん丈夫になっています。ですから植物には骨のような支柱がないのにもかかわらす直立していることができるのです。樹木の場合、中心部の細胞は死んでしまいその外側に新しい細胞が次々と作られ、幹は太くなっていきますが、死んだ細胞には大量のリグニンが沈着して非常に硬くなり、そのために大木を支えることが出来るようになります。以上のように植物の体は根、茎、葉という3つの器官に分けることができ、それぞれの器官はどれも表皮系、維管束系、基本組織系(光合成や呼吸といった基本的な機能を営む)という3つの組織からできていますから、動物とくらべ比較的簡単な構造をしているということができます。動物との違いとして、植物には消化器系(胃、腸、肝臓、膵臓)がないことにも気づきます。動物は食物を口から取り入れて、その食物を吸収できるような小さな分子にまで分解(消化)する必要があります。この消化の役目を果たしているのが、口から肛門までの一本の管である消化管と、消化液を分泌する肝臓や膵臓なわけです。一方、植物は自分に必要な栄養分を自分で作ることが出来ますから消化器系は必要ないことになります。また、動物は食物をまるごと取り込んでそのうち消化できないものや必要ないものを便として排泄していますが、植物にはその必要もないわけです。こうして見てくると、植物は他の生物を殺生しない、外界を汚染しないクリーンな生物というイメージが浮かんできますが、植物が排出する酸素は太古の地球においては最大の環境汚染物質であったといえるのです。地球に初めて生命が誕生した時には酸素はなかったのですが、光合成が行う生物が出現し酸素を排出するようになります。酸素は金属もさび付かせてしまうほどで生物にとっても有害であり、多くの生物が絶滅したり、酸素のない環境の中に逃げ込みました。今日地球に存在する生物の多くは酸素の毒性を克服し酸素を利用することができるようになった生物の子孫なのです。  次に植物の進化の歴史をみてみましょう。現在、地上の植物にはコケ植物、シダ植物、種子植物(裸子植物と被子植物)が存在し、海中には藻類(海藻)が住んでいます。最初の生命は海の中で誕生しました。植物も藻類、おそらく緑藻類から進化したとされています。植物は4億年前のシルル紀に上陸を始めたとされていますが、海中から陸上への進出には多くの困難があったと想像されます。海中の植物は全身から水分や養分を吸収し、全身で光合成を行っており、海藻(ワカメ、コンブなど)には根、茎といった機能的な分化はみられません。陸上では太陽光は十分得られるという利点があるのですが、海中と違い周りに水がありませんから、まず水分の確保が重大問題となります。植物は体の表面に不飽和脂肪酸でできたロウのようなクチクラ層を発達させて、水分の蒸発を防ぎ乾燥から身を守る手段を獲得します。そして、地中には水分や養分の吸収のための「根」をおろし、空中には炭酸ガスや光を求めて「葉」を広げ、その間を維管束を持った「茎」でつなぐという構造を確立していくことになりますが、最初に上陸したコケ植物は地表近くにへばりつくように生活し、維管束はほとんど発達せず、根の分化も不十分です。古生代石炭紀に繁栄したシダ植物になると維管束が発達し、根、茎、葉の分化がはっきりしてきます。しかし、次世代(子供)を作る生殖の際、精子が水の中を泳いでいく必要があり湿地でしか生活できません。コケ植物と同様に海中時代の名残を残しているといえます。恐竜の活躍した中生代に植物界では裸子植物(イチョウ、ソテツ、針葉樹など)が繁栄し、白亜紀以降には被子植物が進化し、その後大発展をとげます。裸子植物や被子植物では生殖は風や昆虫が媒介し水の制約から脱却して陸上の広い範囲に進出できるようになります。また、子供である胚を種皮で保護して乾燥に耐えるようにし、しかも内部に胚乳という栄養分まで蓄えた種子を開発しました。種子が乾燥に強いことは1951年大賀一郎博士が2000年以上前のものと考えられるハスの種子の発芽に成功したことからも分かります。このように種子は環境の条件が整うまで発芽を待つことができ、これが種子植物(裸子植物と被子植物)が繁栄できた一因になっていると思われます。

 植物は外界からの太陽の光と炭酸ガス、土壌からの水、アンモニア、ミネラルによって自分の体を作り上げることができますから他の生物に頼らない独立した生物と考えられるかもしれません。しかし、植物も多くの生物との関係の中で生活しています。植物は動物のように動くことができませんから草食動物から逃げることができません。それで植物の中には自分を守るために毒素を作り出すものがあります。コカイン、ニコチンは昆虫から身を守るために植物が作り出す毒ですし、世界各地で矢毒として使われたクラーレ、ストリキニーネなども植物が持つ毒です。トリカブトの毒アコニチンは古代から中世にかけてヨーロッパではしばしば毒殺用として使われ、日本では矢毒として使われています。また、ソクラテスが飲んだのは毒ニンジンであるのは有名です。このように植物が持つ毒は植物にとって大事な器官である葉や根に含まれるものが多いようです。動物にもヘビ、ガ、クモ、フグ、イソギンチャク、クラゲなどのように毒を持つものがありますが、動物の場合が攻撃的な側面が多いのに対し、植物の場合は弱い立場の植物が獲得した防衛手段と考えることができます。植物がどのようにして毒を獲得するようになったかは興味がありますが、植物には排泄器官がないので代謝の過程でつくりだされた化合物が細胞内に蓄積し、その中で自分を守る物質が進化の中で利用されるようになったと考えられるようです。毒性を持つということは生物に対して何らかの作用を持つということですから、使い方によっては薬にもなりうることになります。薬が量や使い方によっては毒になることと同じです。事実、植物の作り出す化合物の中には薬として利用されているものがたくさんあります。鎮痛薬としてのモルヒネはケシから得られますし、強心剤のジギトキシン、坑マラリア剤のキニーネ、坑精神薬のレセルピンなど数え上げたらきりがありません。華岡青洲が麻酔薬として使った通仙散にもチョウセンアサガオの成分が使われています。また、植物の細胞壁に含まれるセルロースが消化されにくい物質であることも植物の葉を食物とする動物を限定している原因になっているようです。草食動物の代表であるウシも自分ではセルロースを分解できず、胃の中に共生させている細菌がセルロースを分解しているのです。

 植物が戦わなければならない相手は動物だけではありません。近くに生育する植物も競争相手になります。他の植物が太陽の光をさえぎるような位置にあれば光合成をおこなうことができませんし、あまり近くに他の植物が存在すれば土壌中の水分や養分も不足してしまう可能性があります。ですから、植物の中には他の植物の成長を抑制したり発育を阻害する物質(アレロパシー物質)を地中に分泌したり空気中に散布するものがあります。

また、植物も人間と同じようにウィルス、細菌、菌類の感染を受けます。人間など脊椎動物では免疫系が病原菌に対して防御の働きをしているのですが、植物には免疫という働きは備わってはいません(免疫系がないために植物で接ぎ木が可能になるのです)。しかし、 植物が病原菌に対して無抵抗でいるわけではなく、ファイトアレキシンという防御物質を作り出して病原菌の発育を抑制したり、他の細胞に害が及ばないように感染を受けた細胞が自殺するなどして病原菌に対抗しているのです。

 植物が他の生物と協力している例も多く知られています。有名なものとしてマメ科植物と根粒細菌との共生があります。植物はタンパク質や核酸を合成するために窒素を必要とするのですがこの窒素を根粒菌が供給しているのです。根粒菌は根に寄生してコブ状の組織を作っていますが、空気中の窒素を固定して植物が利用できるアンモニアに変えて植物に供給し、代わりに植物から栄養を受け取っています。その他、根に菌根菌という菌類が寄生して養分や水分の吸収を助け、植物から炭水化物をもらうという共生関係も知られています。

 しかし、何といっても植物と昆虫との協力関係が最も知られたものでしょう。現在地球上で最も繁栄している植物は生殖器官として花を発展させた被子植物です。花の中心には雌しべがあり、その周囲を雄しべが囲んでいます。雌しべは先端に花粉をを受け取る柱頭、根元に胚珠を包んだ子房(子宮に相当)、子房と柱頭を結ぶ花柱から構成されていて、雄しべの先端のやくには多くの花粉が含まれています。花粉が雌しべの先端に付着(受粉)すると花粉の中の精核(精子に相当)が雌しべの根元にある胚珠の中の卵細胞のところまで運ばれ受精が成立します。裸子植物では受粉は風によって媒介され偶然に左右されるために大量の花粉をまき散らす必要があり、そのために多くの人が花粉症に悩まされているわけです。被子植物では受粉はハチ、チョウ、ガ、鳥などによって媒介されるようになり効率が良くなっています。被子植物は色とりどりの花弁(葉の変化したもの)で雄しべや雌しべを囲み昆虫や鳥の関心を引こうとしています。また、花の発するにおいによっても昆虫は引き寄せられます。ところで、われわれが見る花と、昆虫に目に写っている花とは必ずしも同じではないようです。ミツバチは赤い色を識別できないために赤い花の受粉をすることはないようですし、夜間に行動するガによって受粉を媒介される花は夜でも目立ちやすい白い花が多く、においの強いものが多いようです。また、鳥は嗅覚が発達していないため視覚に頼っているようです。もちろん、昆虫や鳥は受粉を助けるために花のところにやってくるのではありません。花粉(タンパク質)や花蜜(糖分)を得るために花から花へ移動し、結果的に受粉を媒介することになります。初期の花は不特定の昆虫によって花粉が運搬されていたようですが、花粉が別の種類の花に運ばれないように次第に特定の昆虫によって受粉が媒介されるようになっていったようです。そのために、花は特殊な形や色、においを持つようになり、昆虫の方も体の構造や行動を進化させていったと考えられます。また、同じ花の中での受粉(自家受粉)を繰り返していると遺伝子の変化が起きないために抵抗力が弱まってしまいます(全ての生物は遺伝子の多様性を高め、弱体化を防ごうとしています)。この悪影響を避けるために雌しべは雄しべより長くなっていて同じ花の中での受粉が起きにくいようになっていますし、雄しべと雌しべが成熟する時期がずれるようになっています。受精が成立すると胚珠は種子に成長し、子房は果実になります。種子が成熟するまでは果実は青く酸っぱかったり毒を持っていたりしますが、種子が成熟すると果実は甘くなります。果実を動物に食べてもらい内部の種子を遠くまで運んでもらう戦略をとっているわけです。ここでも植物と動物の間で共生関係が成立していることになります。

 最後に植物の特徴を動物と比較しながらまとめてみたいと思います。植物には1年で枯れてしまうものがある一方、冬に地上部が枯れても根が残り毎年地上部を再生するものがあり、何百年もの年齢の大木もめずらしくありません。屋久杉のように何千年も生き延びている木もあるわけですから、環境の条件によっては植物には寿命がないようにも思われます。また、植物はその体のどの部分からでも植物全体を作り上げることができます。人間でいえば指1本から人間の体ができてしまうことになります。このように1つの細胞が さまざまな器官に分化して完全な個体を形成する能力のことを全能性と呼びます。植物の細胞が全能性を保っていること、条件によってはどこまでも成長し寿命がないようにみえること、などの事実は植物が動物と違って、1つ1つの細胞が独立性を保ちながら全体としてゆるい共同体を作っていると考えると説明ができます。動物がそれぞれの細胞の分化を進め高度に特殊化する方向に向かったのとは別の方向に進化したのが植物なのかもしれません。このように考えると植物の構造が比較的簡単で、どの部分をとっても金太郎飴のように似ていることも納得されます。

 植物は動物のように動くことができず、脳や神経のような組織も持っていませんから、動物より下等な生物と考えられがちです。しかし、動物は自分でエサを探したり配偶者を求める必要があったために、知能や筋肉を発達させなければいけなかったのです。植物は自分で大気や土壌の材料を使って栄養分を作りだし自分のからだも作り上げることができますから動く必要がないのです。高橋英一氏は「植物は生物誕生以前の地球環境を食べているわけで、食べものの中に住んでいるようなもの」と動物との違いを的確に表現しています。また、植物は目や鼻などのような感覚器は持っていませんが、昼間と夜の長さを測り、花を咲かせる時期を正確に調節することができます。何十年に一度花を咲かせて次世代に生命をバトンタッチする竹のように自分の死期も知っているようにみえます。植物が示す生きるための巧みな戦略を知れば知るほど、植物に知能や感覚がないとは思えなくなるのは筆者だけでしょうか。動物は植物がいなければ生命を維持することができません。植物の根は土壌の保水性を高め、土壌浸食を防ぐ働きがあり、空気中の二酸化炭素を吸収し酸素を放出するなど、地球の環境の維持にも植物の存在が必須であることをわれわれは再認識する必要があるのではないでしょうか。