免  疫


 免疫(めんえき)という言葉からどのようなことを思い浮かべるでしょうか。 多くの方は「はしかにかかると免疫ができて二度とはしかにはかからない」「免疫を作るために予防注射を打つ」といったことを聞いたことがあると思います。わたしたちの体には細菌やウィルスなどの外敵から自分を守る働きがありますが、この時に重要な役割をはたしているのが免疫という働きなのです。しかし、免疫という働きはわたしたちにとって良いことばかりではありません。喘息(ぜんそく)や花粉症といったアレルギーと呼ばれる病気や、自己免疫疾患と呼ばれる病気も免疫という働きが原因になっています。また、臓器移植の時に問題になる拒絶反応も免疫によっておこる現象なのです。免疫について研究する免疫学では多くの日本人研究者が活躍しています。抗体(抗毒素)を最初に発見したのは北里柴三郎ですし、石坂公成によるIgEの発見、最近では利根川進博士が免疫の研究によりノーベル賞を受賞しています。最近の免疫学の進歩は著しく専門家でも全体を把握することは困難になってきていると言われていますが、感染症や最近増加しているといわれるアレルギー、エイズという病気を理解するためにも免疫について基本的なことを理解しておく必要があります。また、免疫学の進歩によって分かってきたわれわれの体のしくみにはそれ自体たいへん興味深いことがらも多いのです。

 免疫という言葉は「疫病(病気)を免れる」という意味ですが、細菌のような病原体だけでなく、侵入してきた「異物」を排除する仕組みとして免疫は発展してきました。「異物」とは(自分でないもの)という意味で「非自己」と呼ばれることがあります。つまり、免疫という働きは「自己」と「非自己」を区別し、「非自己」を排除する働きとも言えるのです。難しい言い方になってしまいましたが、免疫の働きは異物からわれわれ自身を守ってくれる軍隊にたとえることができます。多くの生物はいろいろな外敵から身を守る手段を持っています。植物には動物から食べられないように毒物を作り出すものが多くありますし、ミミズなどの下等な動物でも体内に侵入してきた外敵を食べてしまうマクロファージ(大食細胞)という細胞を持っています。人間でも涙や唾液にはリゾチームという細菌を溶かしてしまう物質が含まれていますし、マクロファージや好中球(白血球の1種)は侵入してきた細菌を攻撃します。これらの仕組みを「自然免疫」と呼んでいますがこれだけでは外敵に立ち向かうのには十分でなく、生物はもっと巧妙で精緻な仕組み−獲得免疫−も作り上げてきたのです。獲得免疫は生物の進化の中で脊椎動物(魚類、両生類、は虫類、哺乳類)になって初めて現れてきます。自然免疫ではどんな病原体が侵入してきた場合にも好中球やマクロファージが応戦するのですが、獲得免疫では侵入してきた異物に対してそれぞれ専門の細胞が応戦する体制になっているのです(既製服とオーダーメイドの違いといってもいいかもしれません)。しかし、獲得免疫のシステムが働き始めるのには数日から数週間もかかるので、細菌が侵入してきた場合を例にとると、まず自然免疫が水際で応戦し、その間に正規軍である獲得免疫が応戦の体制を整えることになります。また、獲得免疫には「記憶」という現象がみられます。たとえば同じ病原体が2度目に侵入してきた場合には即座に応戦体制が整うのです。この「記憶」という現象を利用したのが予防注射(ワクチン)で、毒力を弱めたり無くした病原体を注射して体に記憶させておくことによって、その病原体が侵入してきた時には免疫の働きによって病気にならずにすむことになります。

 わたしたちの体の中で免疫(獲得免疫)の中心的な役割を果たしているのがリンパ球という細胞です。血液の中には赤血球、白血球、血小板という細胞がありそれぞれの役割を果たしていますが、白血球の中の約三分の一くらいがリンパ球という細胞です。血液の中以外にリンパ球はリンパ腺、脾臓、胸腺という臓器にたくさん存在しています。これらの臓器はいずれも免疫という仕組みの中で重要な働きをしています。  リンパ球は10ミクロンくらいの小さな細胞で顕微鏡でみてもどれも同じように見えるのですが、いろいろなグループに分けられることが分かっています。まず、リンパ球はB細胞とT細胞という2種類に分けられます。BはBone marrow (骨髄)、TはThymus(胸腺)から名付けられています。T細胞はさらにヘルパーT細胞、キラーT細胞などに分けられます。また、リンパ球の表面には異物を見分けるためのアンテナが立っています。このアンテナは受容体(レセプター)と呼ばれ、T細胞の場合にはT細胞レセプター、B細胞の場合には抗体がアンテナの役目を果たしています。アンテナといってもいろいろな異物を見分けるわけではありません。たった一つの異物しか見分ける(認識する)ことができないのです。1個1個のリンパ球がもっているアンテナはすべて形が異なっていて、たとえこれまで経験したことがない異物が侵入してきても、それに反応できるアンテナを持ったリンパ球が存在しているのです。われわれのまわりには無数の細菌やウィルスが存在していますし、人間はこれまで地球上に存在しなかった物質も作り出しています。それらに対応するのには無数のアンテナを用意しておくことが必要なはずです。どうしてこのようなことが可能なのかを解明したのがノーベル賞を受賞した利根川進の業績なのです。それでは、B細胞やT細胞はどのようにして異物を排除しているのでしょうか。簡単に説明するとB細胞は抗体というタンパク質を作りだし、この抗体が異物を処理する働きをします。抗体は異物を攻撃するミサイルにたとえることができ、このような抗体による免疫反応を液性免疫と呼びます。一方、細胞の中に入り込んだウィルスなどを攻撃するのがキラーT細胞(細胞障害性T細胞とも呼ばれる)で、このようにリンパ球が直接異物の排除に向かう免疫反応のことを細胞性免疫と呼んでいます。ヘルパーT細胞は免疫反応の中で中心的な役割を果たしていて、異物が侵入したという信号を受け取って、キラーT細胞やB細胞に命令を与える司令官の役割を果たしています。では、B細胞やT細胞の働きについてくわしくみていきましょう。

 B細胞は抗体を作り出し細胞外に放出します。ところで抗体というのは抗原に対して作られるのです。これまで「免疫反応は異物を排除する働きである」と説明してきましたが、免疫反応を引き起こすような物質を「抗原」と呼びます。タンパク質、核酸、化学合成物質など多くの物質が抗原になりえますが、この中でタンパク質が最も重要です。たとえば、牛や馬のタンパク質が人間の血液の中に侵入すると免疫系の細胞はこれを異物=「非自己」と判定してそのタンパク質に対して抗体を作り出します。牛や馬のタンパク質が人間の作るタンパク質とわずかに異なっているため抗原となったわけで、自分の作るタンパク質は抗原とはならないのです。

 全体としてY字状の構造をしており、長いH鎖2本と短いL鎖2本から構成されています。Fabの部分が抗体と結合する部分で、抗体は抗原と結合できる部分が2カ所あることになります。アンテナの役割をしている抗体はFcの部分でB細胞に結合しています。Fabの先端部分は可変領域といって、この部分は抗体ごとに異なっています。この可変領域の多様性が無数の抗原に対応できる秘密を握っているわけです。抗原と抗体はよく「鍵と鍵穴」にたとえられます。ある一つの抗体はその先端部分(可変領域)の形に合った抗原にしか結合できず、別の抗原には結合できないのです。抗体はタンパク質ですからその情報はDNAの塩基配列として書き込まれているはずです。抗原の種類は天文学的な種類になりますからそれらに対する情報がすべてDNAに含まれるということが可能なのでしょうか。これを解決したのが利根川進博士によって発見された遺伝子の再構成という現象で、長年の免疫学の疑問に答えることになりました。抗体のH鎖の可変領域に対する遺伝子はV、D、J という3つの部分に分かれていて、Vには約100種、Dは4から10種、Jは4種の遺伝子から構成されています。B細胞ができあがる時にはV、D、Jの各グループからそれぞれを一つずつ持ち寄って新しい遺伝子が作られていたのです。つまり、H鎖だけで100×10×4種類もの組み合わせがあるわけです。L鎖の方も同様に多くの組み合わせができますから、H鎖とL鎖から出来上がる抗体の種類は膨大な数になります。また、可変領域では頻繁に突然変異が起こることが分かっていて、どんな種類の抗原に対しても対応できる無数のB細胞が生み出されることになります。われわれの体は1つの受精卵が分裂を繰り返して出来上がります。分裂の時にはDNAは正確に複製され分裂するそれぞれの細胞に配分されますから、われわれの体の中の細胞はすべて同じ遺伝子を持っているはずです。ところが、B細胞では遺伝子が変わってしまっていたことになります。このような他の細胞ではみられない驚くべき仕組みによって、未知の抗原にも対処できる多様性をB細胞は準備しているのです。 ある抗原(タンパク質や細菌)が体内に侵入してきたとします。その抗原に結合できるアンテナを持ったB細胞と抗原が結合しますと、そのB細胞は刺激を受け増殖を始めます。さらにT細胞からのシグナルも受け取ることにより、抗体を生産し分泌する形質細胞という細胞に変わります。形質細胞からミサイルのように発射された抗体は抗原に到達し結合してしまいます。抗原が毒素のようなタンパク質の場合には抗体によって中和されてしまいますし、抗体が結合した細菌はマクロファージに飲み込まれ殺されてしまうことになります。

 次にT細胞の働きをみてみます。T細胞には「自己」と「非自己」を見分けるという大事な働きをしているのですが、その働きを理解するためにはMHC分子について知っておく必要があります。われわれの体は60兆個もの細胞から出来ていますが、その細胞の1つ1つにはMHCクラスT分子(HLA抗原とも呼ぶ)という印がつけられています。AさんならばAという名札が全ての細胞の表面につけられ, 別のBさんにはAさんとは別の名札がすべての細胞につけられているのです。一卵性双生児の場合には同じ名札がつけられており、兄弟の場合にも25%の確率でMHCクラスT分子抗原が一致する可能性がありますが、他人同士で名札が一致する可能性は非常にすくないのです。このようにわれわれの細胞にはMHCクラスT分子というそれぞれの人に特有な名札がつけられていることが移植を難しいものにしているのです。すべての細胞にMHCクラスT分子が存在するといいましたが例外があります。赤血球にはMHCクラスT分子という名札はついていないため、血液型さえ一致していれば輸血が可能なのです。

T細胞の話にもどります。リンパ球を含め赤血球、白血球、血小板などの血液の中の細胞は骨髄(骨の中心部にある)の中で作られます。骨髄で生まれたリンパ球の一部は胸腺という心臓の前面にある小さな臓器に向かい、そこで選別を受けたあとT細胞に生まれ変わるのです。T細胞のTは胸腺(Thymus)に由来することは前にお話しました。ところで、胸腺という臓器がどんな働きをしているのか1960年以前には分かっていなかったのですが、生まれたばかりのハツカネズミの胸腺を取り除いてしまうと免疫反応が起こらなくなってしまうことがわかり、免疫の中心的な臓器として俄然注目を集めるようになったのです。胸腺の中でT細胞の表面にはアンテナの役目をするT細胞レセプターが出現してきます。このアンテナは1つ1つのT細胞ごとに違っています。抗体が作られる時と同じ機構を使って、千差万別のアンテナを持った無数のT細胞が作り出されるのです。しかし、胸腺で生まれたT細胞のほとんどが胸腺の中で死んでしまい、胸腺から出てくるT細胞は数%にすぎないのです。胸腺の中ではT細胞の厳しい選別が行われているのです。まず、MHC分子という体の中のすべての細胞につけられている名札を認識が出来るかどうかがテストされ、名札を認識できないT細胞は殺されてしまいます。次に、MHCという名札に強く反応するT細胞も死んでしまいます。このような二重のテストに合格したT細胞だけが胸腺を出ていくことが許されるのです。つまり、自分の体を作っている細胞に反応して排除することがないようにT細胞が教育を受ける場所が胸腺ということになります。

実際にT細胞が異物を認識し排除するしくみは、B細胞の場合より複雑です。われわれの体の中のすべての細胞にはMHCクラスT分子という名札がつけられていますが、MHCクラスU分子という名札をつけている細胞があります。マクロファージや樹状細胞という抗原提示細胞と呼ばれる細胞で、ヘルパーT細胞に異物が侵入してきたことを伝える働きをしています。抗原提示細胞は異物を取り込んでペプチド(アミノ酸が10個程度つながったもの)にまで分解します。グローブのような形をしたMHCクラスU分子がこのペプチドをつかんで細胞の表面に出てくると、これに反応したヘルパーT細胞がキラーT細胞やB細胞に信号を送り、液性免疫や細胞性免疫と呼ばれる免疫反応が始まることになります。ですから、ヘルパーT細胞のアンテナ(T細胞レセプター)は異物を直接見分けているのではなく、異物がMHC分子と結合して複合体になった時に初めて異物として認識していることになります。インフルエンザにかかった時を考えてみましょう。インフルエンザウィルスはのどや気管支の細胞内でさかんに増殖します。この時にB細胞が抗体を作ったとしても抗体は血液中のウィルスを攻撃できますが、ウィルスが感染した細胞内に入ることはできないのです。このような時に活躍するのがキラーT細胞です。ウィルスが感染した細胞内ではウィルスの体の一部となるタンパク質が大量に作られます。このタンパク質の一部はペプチドに分解され、MHCクラスT分子に結合して細胞表面に出てきます。この複合体と反応できるアンテナを持ったキラーT細胞はウィルスの感染した細胞を攻撃し、ウィルスごと細胞を殺してしまうのです。以上のように、ヘルパーT細胞にしてもキラーT細胞にしても、T細胞が持っているアンテナ(T細胞レセプター)は異物を直接見分けるのではなく、MHC分子というその人固有の名札に結合した異物のみを認識していることになります。異物(非自己)を認識し排除するだけならば、なぜこのような回りくどい方法をとっているのでしょうか。多田富雄は「免疫の意味論」の中で、T細胞は「非自己」化された「自己」を認識していると説明しています。T細胞はもともと「自己」を認識するように教育されており、「非自己」の認識は「自己」の認識の副産物と考えるわけです。もともと「自己」を認識する機構が、「自己」の「非自己」化を監視するようになったことになります。「免疫」には自分と少しでも違うものを厳密すぎると思えるほどに見分けようとする働きがあります。細菌などのように1つの細胞からできている生物と違い、われわれの体は多くの細胞が集まってできています。免疫という働きは多細胞生物が自己の統一性を保つために発展させてきた働きなのかもしれません。

 免疫の基礎についての説明がすんだところで、免疫が関係するいろいろな現象をみてみましょう。臓器移植では腎臓、肝臓、心臓など他人の臓器が体内に移植されます。これらの臓器の細胞1つ1つはMHC分子を持っています。臓器提供者(ドナー)のMHC分子と臓器を受け取る人(レシピエント)のMHC分子は異なっている場合がほとんどです。すると、レシピエントのT細胞は移植された臓器を異物として認識し排除しようとすることになります。これが拒絶反応と呼ばれる反応で、角膜のように免疫反応が起きにくい場合以外では、必ず起きてくる現象なわけです。ですから、臓器移植を行った場合には免疫反応を抑制するような薬剤(免疫抑制剤)を使って拒絶反応を抑える必要がでてきます。一方、免疫反応を抑制しすぎれば感染症が起きやすくなってしまいます。このお互いに対立する現象のバランスをとらなければいけないわけですから、臓器移植が難しいことが理解していただけると思います。

 アレルギーという病気も免疫反応が原因になっている病気です。通常は免疫反応はわれわれを外敵から守ってくれているのですが、免疫反応がわれわれにとって都合の悪い症状を起こす場合にアレルギーと呼んでいるのです。最近アレルギー疾患が増加している原因としては大気汚染など環境の変化、ストレスの増大、などが考えられているのですが、寄生虫病が減ったことが原因とする説もあります。アレルギーに含まれる病気には喘息(ぜんそく)、花粉症、じんま疹などおなじみの病気がありますし、ペニシリンアレルギーのように薬剤が原因になる場合もあります。また、免疫という働きはすべての人が持っている働きであるのにもかかわらず、アレルギーは一部の人にしか起こらないという特徴があります。たとえば、同じサバを食べてもある人はじんま疹を起こしてしまうのに、他の人は何の症状もおこさないというようにアレルギーは特定の人だけに起こってくるわけです。その原因がすべて分かっているわけではないので、「アレルギー体質」(アトピー体質)という言葉もよく使われ、その「体質」が遺伝することがあることも報告されています。また、同じ1人の人でも乳児の時にはアトピー性皮膚炎、幼児期には喘息、大人になって花粉症と症状が変わっていく場合もあります。

 アレルギーは免疫反応の1つですから、外から侵入してくる抗原が問題になります。
アレルギーの原因となる抗原をアレルゲンと呼びますが、空気中の花粉、ダニ、カビ、食品では牛乳、卵、大豆など多くの物質がアレルゲンとなりえます。アレルギーにはいろりろなタイプがあって液性免疫が関与する場合と細胞性免疫が関与する場合があるのですが、最も代表的なT型アレルギーではIg E という抗体が重要な働きをします。抗体は免疫グロブリン(Ig )とも呼ばれ、Ig G , Ig A、Ig M、Ig D、Ig E の5種類に分類されます。血液中の免疫グルブリンの80%はIg G で、通常の免疫反応の主体です。また、胎盤を通過して胎児に移行し乳児を感染から守る働きもしています。Ig Aは消化管内や気道内に分泌され病原体の侵入を防ぐ働きをしていますし、Ig Mは感染初期の防御に役立っています。IgDについてはまだよくその働きが分かっていません。Ig Eは血液中にはごく微量しか存在しないのですが、これを発見したのが日本人の石坂公成です。Ig E には肥満細胞や好塩基球の表面に結合しやすいという特徴があります。抗原(アレルゲン)が肥満細胞や好塩基球の表面のIg Eと結合しますと、肥満細胞や好塩基球からはヒスタミンやプロスタグランジンという物質が放出され、これらの物質がアレルギー反応を引き起こすと考えられています。肥満細胞などは皮膚、のどや肺、眼などの外界に接した部分に多く存在するので、アレルギー反応の起きた場所によってじんま疹が出たり、鼻水が止まらなくなったり、ぜんそく発作が起きたりすることになります。また、全身で反応が起きれば血圧が下がったり呼吸が止まったりといった危険な症状がでることがあります。このようなアレルギー反応はアナフィラキシーと呼ばれていて、ハチにさされたり、薬剤や造影剤によって起こる場合があります。このようにわれわれにとっては害しか与えないように思えるIg Eは、もともとは寄生虫を排除する役目をしていたと考えられています。以上のように、異物を排除しようとする免疫反応が過剰に起きてしまうのがアレルギーという現象なわけです。

 (個人差とMHC)(免疫はウィルスや寄生虫をしばしば自己として扱う)(自己抗体や自己に反応するT細胞がみつかることはめずらしくない)(自己と非自己の区別にも曖昧なところがある)(T細胞やB細胞の多様性を生み出す機序は当然自己に反応する細胞も生み出す)

 一方、自分の体に対して免疫反応が起きてしまうのが自己免疫疾患(自己免疫病)です。免疫という働きは「自己」と「非自己」を識別し、「非自己」を排除する働きです。自分の細胞に対しては免疫反応がおこらない(免疫学的寛容とか免疫トレランスと呼ばれます)ように、自己に反応するT細胞やB細胞は厳しく選別を受けているはずです。ところが、自己免疫疾患では自分の細胞(自己)に対して免疫システムが攻撃をしかけてしまうわけです。自己免疫疾患には多くの病気が含まれますが、攻撃される標的抗原が1つの臓器に限られている場合(臓器特異的自己免疫疾患)と、標的抗原が全身にあり多くの臓器が障害される場合(全身性自己免疫疾患)に分けられます。臓器特異的自己免疫疾患には橋本病(甲状腺)、T型糖尿病(膵臓)、多発性硬化症(神経)、悪性貧血(胃)、潰瘍性大腸炎(大腸)、自己免疫性肝炎(肝臓)、自己免疫性溶血性貧血(赤血球)など多くの病気がありますし、全身性自己免疫疾患にはいわゆる膠原病(全身性エリテマトーデス、慢性関節リウマチ、強皮症、皮膚筋炎)があります。たとえば、全身性エリトマトーデスでは皮膚の発疹、腎臓の障害、関節炎、心筋炎や肋膜炎、貧血など全身の臓器に障害がでる可能性があるわけです。自己免疫疾患ではなんらかの原因により免疫学的寛容が破綻しているわけですが、その原因として@病原体の持っている抗原と、自己の抗原が似ているため病原体に向けられた免疫反応が自己に対しても反応する、Aそれまで免疫細胞に接していなかった自己の抗原が何らかの原因で表面に現れてしまい「非自己」と判定される、などの説が考えられていますがまだ分かっていないことも多いのです。ここでは自己免疫疾患と呼ばれている病気についてだけ述べましたが、そのほかにも免疫反応が原因として疑われている病気は数多くあります。というより、免疫反応が関係していない病気の方が少ないといってもよいのです。  妊娠というのはもちろん病気ではありませんが、免疫学の研究者からみるとたいへん興味のある現象のようです。受精卵は母親の卵子と父親の精子が合体して出来るわけですから、胎児は母親と父親の両方のMHC分子を受け継いでいます。ですから母親と胎児の分子は必ず違っており、母親にとって胎児は異物といってよいのです。なぜ、哺乳類では胎児が排除されず子宮内で育つことができるのかが不思議なわけです。どうも胎盤には通常のMHC分子が現れないこと、妊娠中には免疫反応が抑制されているらしいこと、などに秘密を解く鍵がありそうです。

 癌にも免疫は関係しています。われわれの体の中ではしばしば癌細胞が生まれているといわれていますが、多くの癌細胞は目で見えるようにまで育つ前に免疫細胞によって排除さえているようなのです。確かに癌細胞はわれわれの正常の細胞とはいろいろな面で異なっていますから、免疫細胞が異物として認識する可能性があるわけです。それを示す証拠として、免疫が低下しているような状態(たとえばエイズ)では癌の発生が多いことが知られています。

 以上、免疫という働きはわれわれを病原体から守ってくれている一方で、いろいろな病気の原因にもなっていました。そして、免疫のしくみを調べてみると、免疫は「自己」と「非自己」を区別し、「自己」の統一性を保つことにその本質があることが分かってきたのです。しかし、「非自己」と認識されるためにはMHC分子に結合できることが前提でした。MHC分子の形は個人個人でそれぞれ違っていますから、ある人のMHC分子が結合できる抗原が別の人のMHC分子には結合できない可能性があることになります。「非自己」の判定には個人差があることになります。胸腺でのT細胞の選別においても、「自己」に強く反応してはいけないし同時に「自己」を認識できなければいけない、という微妙なものでした。免疫という働きは生物が長い進化の中で築き上げてきたすばらしい仕組みであるのですが、きわどいバランスの上に成り立っているとも言えるようです。