感 染 症


 感染症とは病原体(細菌やウィルスなど)によって引き起こされる病気のことをいい、人から人、動物から動物へと病気が移されていく場合には伝染病とも呼ばれます。感染症は決してまれな病気ではなく、カゼやはしか(麻疹)はウィルスという微生物によっておこる病気ですし、食中毒や膀胱炎などは細菌と呼ばれる微生物によって引き起こされます。また、日本では減少したといっても熱帯地方では寄生虫による感染症で苦しんでいる人が多くいます。生まれてから感染症にかかったことがない人は1人もいないといってもいいのです。

 最近マスコミで話題になった感染症だけを取り上げても1994年の人食いバクテリア(重症レンサ球菌感染症)、1995年のアフリカザイールでのエボラ出血熱、イギリスでの狂牛病、インドネシアバリ島旅行者のコレラ騒動、1996年日本での大腸菌O-157による大量の患者の発生など記憶に新しいところです。

 人類は昔から感染症に悩まされてきました。エジプトのミイラには天然痘(痘瘡)にかかった証拠があるようですし、アステカ帝国、インカ帝国はスペイン軍によってもたらされた天然痘ウィルスによって滅ばされたといわれています。戦場での感染症の流行が戦況を左右したという記録は歴史上多く残されています。また、14世紀のヨーロッパ大陸では計3回のペストの大流行がおこり、人口の三分の一が死亡したとも言われています。

 微生物の存在など全く知らなかった当時の人々がこれらの伝染病に対して為すすべがなく、神の処罰であるとか汚れた空気のせいと考えたのも無理からぬことだったでしょう。

 細菌を最初に観察したのはオランダのレーウェンフックという人で織物店を経営するかたわらレンズ磨きに精通し、手製の顕微鏡を使ってあらゆるものを観察し微生物も発見しました。17世紀の人ですからニュートンと同時代の人になります。惑星の運動の原理が解明されていたのに微小の世界への探索はやっと出発点にたったのにすぎないことになります。微生物が病気の原因になることが証明されるのには19世紀後半の二人の天才パスツールとコッホの出現まで待たなければなりませんでした。パスツールは腐敗・発酵・病気は微生物が原因であると主張し、また狂犬病ワクチンも開発しました。コッホは結核菌、コレラ菌を発見し細菌学を確立するのに重要な働きをしています。19世紀後半から20世紀にかけては細菌学の黄金期と呼ばれ次々と病原菌が発見されていきましたが、北里柴三郎は破傷風菌を発見、志賀潔は赤痢菌を発見というように日本人研究者も活躍しています。野口英世も黄熱病の原因を見つけるためアフリカに赴きましたが研究途中で自分自身も黄熱病に倒れたのは有名な話です(たとえ病気にかからなくても野口英世が黄熱病の原因を発見することは無理でした。黄熱病は、ウィルスという当時は発見されていない微生物による病気で、電子顕微鏡、細胞培養、組織培養などの技術の進歩が必要だったのです)。

 1928年にフレミングにより抗生物質ペニシリンが発見され、1941年にはペニシリンが量産できるようになり、その絶大な効果により「魔法の弾丸」とも呼ばれるようになりました。時のイギリスの首相チャーチルが肺炎にかかりペニシリンにより命びろいしたという逸話も残されています(事実ではないようですが)。その後、ストレプトマイシンなど多くの抗生物質の発見やワクチン(予防注射)の開発などにより感染症の治療や予防が出来るようになると感染症を危険なものと考えない風潮が一般の人だけでなく医師の間にも拡がっていきました。ここに大きな落とし穴があったわけです。

新興感染症
1973年ロタウィルス
1976年クリプトスポリジウム
1977年レジオネラ症
ハンタウィルス
キャンピロバクタ菌
1980年HTLV-1
D型肝炎ウィルス
1982年大腸菌O-157
1983年HIV(エイズウィルス)
ヘリコバクタ菌
1985年劇症型A群レンサ球菌
1986年新型ヤコブ病
1989年C型肝炎ウィルス
1992年コレラ菌O139
1993年新型ハンタウィルス
1994年ブラジル出血熱ウィルス
新型モルビリウィルス
 表に1973年以降に新しく見つかった感染症を上げてあります。病原菌はすべて発見され克服されたと考えられていたのに、たった20年あまりの間にこれだけ多くの感染症が見つかってきたわけです。これらの新しい感染症(新興感染症と呼ぶ)の中にはこれまで全く知られていなかった感染症の原因となるもの(エボラウィルス、エイズウィルス、大腸菌O-157など)、感染症であることは分かっていてもその病原体が見つかっていなかったもの(C型肝炎ウィルス)、それまで感染症と考えられていなかった胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因となるもの(ヘリコバクタ・ピロリ菌)などが含まれています。また、結核、マラリア、コレラなどこれまでは世界の多くの地域でコントロール下にあった病気が増加したり、新しい地域に拡がったりする現象(再興感染症と呼ぶ)が問題になってきています。このような新興感染症や再興感染症がなぜ最近になって発生するようになってきたのでしょうか。まず、病原体自体の変化が考えられます。突然変異によって病原体の毒力が強まったり、抗生物質が効かなくなったりする場合が考えられます。それよりも大きいのは人間の側の問題です。たとえばエボラウィルスの場合、森林開発によって人間が密林深くまで進出するようになったため、それまでひっそりと森の中で生存していたエボラウィルスが人に感染したと考えられているのです。ダム建設、干ばつ、気候の変化などによる生態系の変化は新しい感染症の発生の原因となりますし、人口の増加や都市への人の流入、内戦による難民の発生なども感染症の拡大が起こりやすい環境を準備することになります。また、現在では交通機関の発達によりある地域で発生した感染症が短期間のうちに遠く離れた地域に飛び火する危険が増えています。エボラウィルスは史上最強のウィルスといわれ、「感染を受けた人は体中の組織が壊死を起こし最後には体のいたるところから出血をおこして死亡する」とされ、しかも感染力も強いという恐ろしい感染症です。このようなウィルスを扱うのにはレベル4と呼ばれる最も厳重な安全基準を求められる施設内で、人間も宇宙服のような防護服を着用して検体を扱う必要があり、このような施設は世界でも数カ所に限られているのです。1995年のアフリカザイールでのエボラ出血熱の流行はキクウィトという地方都市で始まりました。患者の血液は飛行機でアメリカのCDC(疾病対策予防センター)に送られエボラであることが確認され、CDCの職員も現地に急行し感染の拡大防止に努めました。最終的に317人の患者のうち245人が死亡したとされています。キクイットの近くには人口が密集したサイールの首都キンシャサがあり、ここに感染が拡がっていれば他国へもエボラ出血熱が拡がっていった可能性があり、まさに危機一髪であったわけです。食料についても外国から供給を受けることが多くなれば感染症も輸入される可能性が出てきますし、給食などのように一カ所で大量の食料が準備されるようになったり、食料供給が企業化され大量生産・大量供給されれば一遍に多くの人が感染症にかかってしまうことは日本での大腸菌O-157による出血性大腸炎の大量発生が示しています。また、1993年アメリカのミルウォーキーで水道水が汚染したことによるクリプトスポリジウム症(クリプトスポリジウムという原虫による病気で下痢・腹痛などがおこる)が40万人もの人の間で集団発生したことが報告されています。感染症が現在も人類をおびやかしている重大な病気であることを理解していただけたと思います。 それでは感染症を引き起こす病原体にはどのようなものがあるのでしょうか。ほとんどの病原体は顕微鏡でなければ見えないごく小さな生物(微生物)で、細菌の場合は数ミクロン(1ミクロンは千分の1ミリ)ですし、ウィルスになると数十ナノメートル(1ナノメートルは千分の1ミクロン)で電子顕微鏡でなければ観察できません。一方、肉眼でも観察できる寄生虫も感染症の原因となることがあります。病原体を細かく分類すると真菌(カビ)、細菌、マイコプラズマ、リケッチア、クラミジア、ウィルス、寄生虫(原虫とぜん虫類に分けられる)に分けられますが、「病原体には細菌、ウィルス、寄生虫などがある」、と覚えていただければよいと思います。細菌、ウィルス、寄生虫はそれぞれ違った病気の原因になりますし、治療も異なってきます。たとえばウィルスには抗生物質は効果がないのです。

 病原体はからだの外からわれわれの体内に侵入し感染症を引き起こします。ですから外界と接している部位が病原体の侵入窓口となるわけです。外界と直接接しているのが体の表面をおおっている皮膚です。正常な皮膚は病原体に対する強力な防波堤となってわれわれを病原体から保護してくれていますが、けがをして皮膚が傷つけばそこから病原体が侵入してくる可能性が出てきます。けがをしてその場所が化膿した経験は多くの人が経験しているのではないかと思います。けがをしなくても蚊やダニ、ノミなどに刺されて病原体が体内に侵入する場合もあります。マラリアはマラリア原虫を体内に持ったハマダラカという蚊に吸血されることによって感染します。1つの病気としては世界全体で最も多い死因とされ、高熱が周期的に出現するのが特徴です。三日熱マラリア、四日熱マラリア、卵形マラリア、熱帯熱マラリアに分類されそれぞれ熱の出方に特徴がありますが、熱帯熱マラリアの場合には早期に診断し治療を開始しないと死亡する危険が高くなります。デング熱も熱帯に多い感染症で、ネッタイシマカという蚊によて媒介されます。熱帯地方に滞在または旅行する場合には蚊にさされないようにする注意が必要になるわけです。日本脳炎や黄熱病も蚊によって媒介される病気ですし、現在の日本には存在しない狂犬病も世界各地に存在しています。輸血も皮膚を通して血管内に血液を注入するわけですから血液の中に病原体が存在すれば感染症を起こしてしまうことになります。以前は輸血による肝炎が多く発生し、昭和39年米国のライシャワー駐日大使が暴漢に襲われたあとの輸血で肝炎を起こした事件は売血に頼っていた体制から献血制度に切り替えられるきっかけとなりました。その後B型肝炎やC型肝炎の病原体(いずれもウィルス)が発見され血液のスクリーニングが行われるようになってから輸血後の肝炎は激減しています。のど(咽頭)や気管支や肺も口や鼻を介して外界とつながっています。かぜやインフルエンザの原因となるウィルスもこの経路を通して感染を起こすことになります。消化管は体の中央を通っていますが1本のチューブと考えられ、口と肛門によって外界と交通していることになります。口からも多くの病原体が侵入してきます。食べ物や飲料水と一緒に口から入り込んだコレラ菌は小腸に達すると毒素を産生しそのためにひどい下痢がひきおこされます。口から侵入した病原体は胃を通過する必要があります。胃からは胃酸という強い酸が分泌されていて、病原体の多くはは胃酸によって死滅してしまうようです。事実、胃切除をしている人がコレラ菌に感染すると重症になりやすいといわれています。赤痢菌、大腸菌O-157や食中毒の原因となるサルモネラ菌、腸炎ビブリオ菌なども口から侵入します。尿は腎臓で作られ尿管を通って膀胱に送られ、ここから外界へ排出されます。この経路を逆行して微生物が侵入すれば膀胱炎や腎盂腎炎の原因となります。性行為感染症(性病)という直接接触によっておこる感染症の原因には梅毒トレポネーマや淋菌、HIVウィルスやクラミジアがあります。また、母親から子供への感染(垂直感染、母子感染)が起きることがあります。胎盤を通して胎児に感染が起こったり、産道や母乳を介して新生児に感染が起こる場合で、風疹・B型肝炎、エイズ、トキソプラズマ症、梅毒、HTLVなどが問題になります。風疹は「三日はしか」とも呼ばれそれ自体は軽い症状をおこすだけですが、母親が妊娠初期に感染を受けた場合子供に先天性奇形をおこすことがわかり、女子中学生にワクチン接種を行うことにより予防することができるようになっています。また母親がB型肝炎ウィルスに感染している場合には出産時に感染が起きる可能性がありますがこれも子供に対してワクチンを投与することによって防ぐことができます。

 このように病原体が体内に侵入することによって感染症が引き起こされることになりますが、感染を受けた人がすべて病気になるわけではありません。麻疹(はしか)の場合には90%以上の人が症状を起こしますが、感染を受けても症状が全く起こらない場合や軽くすむ場合があり(不顕性感染と呼びます)、日本脳炎ウィルスの場合数%の人しか発症しないといわれています。このように自分でも気が付かないうちに感染を受けその病気に対する免疫ができてくれるのが最も望ましいわけで、これを病原性がないかあるいは弱めた病原体を使って人為的におこなおうとするのが予防接種(ワクチン)なわけです。さて、病原体が体内に入ると、ある潜伏期間のあと(インフルエンザウィルスでは1〜3日、肝炎ウィルスでは1〜3ヶ月)症状がでてきます。どのような症状がでるかはその病原体がどこから侵入しどこで増殖するのか、またどのような毒素を産生するのか、などによって異なってきます。たとえば麻疹(はしか)では全身の皮膚に発疹が出ますし、コレラでは頻回の下痢、破傷風では全身のけいれんというように病原体によって症状も違ってくることになります。しかし、違う病原体が同じような症状を起こす場合も多いのです。いわゆる「かぜ」はライノウィルス、コロナウィルス、アデノウィルスなどが原因になりますし、肺炎を起こす病原体には肺炎球菌、ブドウ球菌などの細菌、マイコプラズマ、ウィルスなどがあります。食中毒も症状だけからでは病原体が何であるか推定することは困難な場合も多いのです。このような場合、痰や血液や便を顕微鏡で観察したり培養することによって病原体を調べることになります。

 これらの病原体に対してわれわれ人間はどのように対抗しているのでしょうか。外界と接している皮膚や消化管の粘膜は物理的な防波堤になっていることはお話しました。また、皮膚や粘膜の表面には多くの細菌がお互いにけん制しあいながら住み着いています(常在細菌叢と呼びます)。普通はこれらの細菌はわれわれに害を与えないばかりでなく、他の有害な細菌が増えるのを防いでくれています。抗生物質の投与などの影響でこの常在細菌叢のバランスがくずれた場合には病原性のある病原体が増殖して病気の原因となることがあるのです(菌交代現象)。皮膚や粘膜の防波堤が破られた場合には血液の中を流れている白血球や単球という細胞が病原体のまわりに集まってきて、病原体を取り込んで殺してしまい自分も死にます。ウミ(膿)というのは微生物と戦った白血球の死骸なのです。これらの白血球が戦っている間に免疫という機構が働き始めます。今度はリンパ球という細胞が主役です。B細胞というリンパ球は抗体という物質を作り出して病原体を攻撃しますし、キラーT細胞というリンパ球はウィルスが感染している細胞を攻撃します。このように体の中には病原体からわれわれ自身を守る働きが本来そなわっているのです。このような防御機構によりわれわれはほとんどの感染症に打ち勝つことができますが、免疫機構が働き始めるまでには時間がかかりますし、毒力の強い相手の場合には病原体に負けてしまう可能性があります。この時にその病原体に効果のある抗生物質を使用できれば、免疫の働きが活動を始めるまでの間に相手にダメージを与えることが出来るわけです。また、その病原体に対する予防注射を行っておけばその病原体が侵入してきた場合にすぐ免疫の働きが活性化されますので病気が発症することなくすむことになります。

 次に、病原体の側から感染症をみてみましょう。病原体にとって人に感染する目的は人間から栄養分をもらったり(奪ったり)、生存していくための環境を得ることにあります。また、子孫を増やしていくことは生物にとって最も重要な目的であり、病原体も例外ではありません。かぜをひいたり肺炎になった時には咳やくしゃみがでますし、コレラなど消化管の感染症の場合には下痢がおきます。これらの症状は人間の体が病原体を排除しようとする反応なわけですが、病原体はこれを利用して次の宿主に感染し子孫が途絶えないようにすることが出来るわけです。病原体は決してわれわれ人間に対して悪意を持っているわけではなく、必死に自分の生命を維持し子孫を残していこうとしているわけです。たとえば、感染を受けた人間が重症になり死んでしまったとすれば、病原体も道連れになり自分の生命も終わってしまいます。病原体にとって相手が死んでしまうことは自分にとっても袋小路に入り込むことになるわけです。ですから人間とのつきあいが長い(古くからある感染症)病原体は一般に症状がおだやかなものが多いのです。一方、人間とのつきあいが短い新しい病原体(エボラウィルスやエイズウィルスなど)が人間に感染した場合には症状も激烈になります。病原体も人間とのつきあいの中で賢くなっていくということでしょうか。

 病原体という人間にとっては有害な微生物の話ばかりでしたので、微生物は「すべて滅ぼしてしまうべき敵」に見えると思います。しかし、大部分の微生物は人間に対して無害であるだけではなく、大腸に無数に存在する微生物はビタミンなどを作ってくれていますし、人類は古くからチーズやトーグルト、味噌や醤油を作るのに微生物を利用してきたわけです。植物や動物の中には微生物の力を借りて生存しているものが多数知られていますし、動物や植物の死骸を分解し自然に返しているのも微生物です。人類が克服できた感染症は天然痘(痘瘡)だけです。地球に最も速く出現し生き続けてきた微生物を抹殺出来ると考えるのは人間の不遜以外のなにものでもありません。われわれは何とかして微生物と共生していく道を探さなければならないのです。