6月



6月1日

考える人



人間は考える事のできる唯一の動物と言います。宇宙の起源より順々に発達していって現在私たちがいます。初めは何か原子よりも小さなよくわからない粒ができ、その粒がだんだん集合[進化]していって色々な塊を作り、ついには生物を作り、そして考えることのできる人が今この地球中で生きてると考えたらどうでしょう。ぼくは神秘的に感じます。

------全然話は変わりますが、明日から九州に修学旅行に行ってきます。阿蘇→長崎→平戸→博多の順ですが明日は雨というのでちょっと心配です。その間の更新は当然できないので5日ぐらい空きます。



6月7日

修学旅行から帰ってきて



昨日まで修学旅行で九州に行って来ました。別府→阿蘇→長崎→ハウステンボス→平戸→博多というのがだいたいの順です。高校の修学旅行は団体でわぁーっと行く最後の体験になるので、存分に楽しんできました。ぼくは昼に活発になる習性があって(故に夜はおとなしめ)、お腹が減っていなければハイテンションになって班員に迷惑かけまくっていました(伝聞型)。

電車の座席に立ち乗りしたり、集合時間に遅れたりしても黙認されてきたのが、これから社会に出て行くにつれてできなくなっていくと思うと窮屈に思います。まぁ、ある面では子供っぽく(気楽に)してある面ではちゃんとこなしていくような人になっていきたいですね。



6月8日

諫早湾干拓中



前の修学旅行で寄り道して諫早湾を見てきました。小江(おえ)駅というところで降りて海岸方面へ徒歩5分という変な所から見物しました。ここからだとまだ海には水が相当残っていたのだけど、陸の方はもう水がなくなってて締め切られていたようでした(ダンプカーが堤防を幾度と通るのでじっくりは見られなかったのですが)。ムツゴロウも探したかったのですが、見張りのおじちゃんが目を見張らしていたので降りるには至らなかったです。

自民党と民主党の両方の言い分を新聞で読みました。なんて言うか、ぼくみたいな人だと所属している方の意見をそのまま言っているような気がします(本性は自己中だし、ニヒが効いてるし、竜頭蛇尾)。まあぼくは、こういう政治的に高度なことに関しては考えたくはないです。もっと頭が固くなってから考えるとして、今はのぞいておくだけにしておきます。



6月9日

愛知万博開催決定なるか



6月12日にパリでBIE(博覧会国際事務局)総会が行われます。ここで、2005年万博が愛知で行われるのか、カナダのカルガリーで行われるのかが決定されます。ぼくは博覧会のようなものが好きなので瀬戸(愛知)に来てほしいのですが、また失敗する予感が結構します(「また」とは以前の1988年ソウルオリンピックの時のこと。あの時は名古屋とソウルで争っていたんです。)

愛知とカルガリーではどう見てもカルガリーの方が規模が大きそうだし、一体感がみえます。一方愛知の方は「海上(かいしょ)の森」の自然を壊すのに反対するグループが万博推進派のイベントの時には必ず現れて、たぶんBIE加盟国の印象も良くないようにもみえますが、、。まぁ、客観的に見れば無理に思えるけど、ぼく自身としては(「万博が地方の活性化を促します」との自治体の意見にのっとって)是非愛知に来てもらいたいと思います。



6月10日

ひらひら主義



ひらひらした飾り気がある物を身につけたり飾ったりする事は多くの女の人の楽しみのはずです。とても殺風景な部屋に植物の一つを置いておくと雰囲気が良くなっていいですよ、と言うのはだいたい女の人です。ここで「いい」というのは女の人側の意見で、男の人にとってはそんなのあってもなくても変わらない、あるいは邪魔だ、と考えるのが普通です。

なぜこんな男と女の感じ取り方の違いあるかというと、ぼくは、まだ色々な知識が足りなくて意見にもならないのですが結構伝統的な物があると思います。父から男の子なら強くなりなさいといわれて育つのは、父が子に伝統を受け継がさせているということだと思います。たぶん女の子も母から(もし母がいるならば)同じようなことを言われて育っているに違いないでしょう。で、ぼくの部屋に置物が何個か増えたのは、反動と好奇心のため♪(←この音符ももひらひら主義)。



6月11日

通信機器



最近は携帯電話、PHSなど通信機器が氾濫しているようです。ちょっと前まで電話は家の中か公衆電話に限られていましたが、今では車の中とか歩きながらでも通話している人をよく見かけます。また、パソコンの普及率も上がりインターネットをできる環境にある家、会社、学校は相当な数になっているはずです。通信業界を牛耳っているNTTの儲けは最近かなり登り調子な事でしょう。

またこれからパソコンはさらに普及するだろうし通信の国際化も甚だしいので、需要もますます期待できます。ガリガリな数学派の就職先が増えてくることでしょう。



6月13日

自然との共生



2005年万博は、愛知に決まりました。万博のテーマは「新しい地球創造・自然の叡智」です。しかし、自然との共生を言い始めたのは初めからではなく、反対派を見逃せなくなってきたために後から付け加えられた事なのです。ですが「自然との共生」は将来必ず避けられない道になってくると思います。だから今回の万博はどれだけ自然とたくさんの人間を共生させることができるかが使命のように思います。

----明日は数学の実力テスト。今から勉強勉強!



6月14日

現実逃避



よく逃げます。高校生は特に。でも、現実ばっかりといつも付き合ってる人はいないと思います。その逃げ度合いが深まると、普通に生活している状態ならば怖くなって現実に戻ろうとします。そのボーダーラインは人によって様々だと思います。ぼくは一般に趣味という物は結構奥までのぞけることができるのですが、社会の規範に関しては軽いことでもずれたことをするのがなかなかできません。

例えば、早朝の誰もいない交差点の赤信号を待つか待たないかというのがあります。これがなかなかわたれないんです。最近は別に考える前に何となく、あぁ空が青いなぁとかほかのこと思いながら当然のこととして見過ごしていますが。



6月15日

父の日



今日は父の日だったのです。午後になって初めて気がつきました。どうも子にとって父の日は母の日に比べて影が薄いですよね。うちは、父の威厳がかなりうすれかけてます。他の家も父から威厳が取りさらわれているということが、あるんでしょうか。昔は「地震、雷、火事、親父」とか言ったって聞かされるけど、「親父」はもうこれに入らないですね今は。

前までは、父は会社会社で子とあう時間が限りなく少なくて、当然子の目は母に向いて父は存在だけだったと思います。そんな時から時間は過ぎて、週休2日制が浸透されてきて親子のコミュニケーション時間が増えたなら、子は父にも目が向きます。しかし別の言い方をするなら、昔は父は仕事で顔を合わす時間がないわけだから、子は父の本当の姿を察知できずにいてある種の恐怖を感じていたと思います。それに比べて今は、コミュニケーション時間が増えたことで子は父をよく観察できます。男の人って大人になっても子供っぽいところがあるって言いますよね。子は自分たちのしてることと父のすることを同等的に見てしまっていることが、父の威厳を無くさせる一つの原因かなと思います。



6月16日

ぼくの嫌いな物 Vol.1



それは、街に書いてあるスプレー書きの落書きです。今は結構抵抗減りましたけど昔はひどかったです。あのスプレーでの落書きを見ると、どうしてもアンダーグラウンドなものが見えてしまいます。横浜の桜木町辺りのJR高架の壁のある延々と続く落書き(?)には初めかなり驚きました。落書きとは違いますが、前にあった世にも奇妙な物語なんて物はあまり好きません。あの恐怖がずっと頭の中に残るたちなんです。

それから、Xファイルとか〜〜の予言とかは受け付けないです(内容は嘘偽りですよね)。とにかく暗い物は嫌いで、明るい方ばかりに目を向けてしまいます。その点少し世界が狭まって批判されることがあるかもしれませんが、ぼくは絶対逃げます。

−−Vol.2は明日出るというわけじゃなくていつか気が向いたら出ます。



6月17日

自分では気がつかない自分の姿



最近よくあるんですが、人に言われて初めて気づくということがよくあります。自分の中だけで考えていたことが自分ではとても良いと思って打ち明けるのだけれど、普通一般(ある程度の常識を持っていてはたから見ても人間だと思われる人のこと)から見て何かしらちょっと変じゃないかなぁ、と言われるような場合です。自分の内にこもって意見を対外交渉しないので(自分では対外交渉する必要はないと思っている事の場合もある)まさに世界は狭いです。

ぼくは、4月まで髪の毛が肩に少しかかるぐらいあって(切るのが面倒と思ってた。)自分ではまぁこんなのもあって良いかな、年か思ってなかったんです。他人には色々言われたんですが、対外交渉は必要なしと思っていたのか話を流しまくっていました。そしていざ切ってみて前の写真とか見てみると、これ誰?っておもいます(これはちょっと今日の論点からずれてますね)。



6月18日

ジェンダーバイアス1



育ちながらにして、男らしくとか女らしくとか言われてきているので、基本的に私たちの中には男女に対する感じ方、行動の仕方が植え付けられています。最近では女性論者が活躍はしているものの問題は解決されません(この問題に関してはどうしても解決はできないようなきもしますが)。女性は子を産むことができるということ一点が古代からの男性社会の神髄のような気もしますが。

もしかしたら暴論になっているかもしれません。男と女の事を考えるのに第三者はいないからです。誰もが男か女なので暗中模索、殻を破ることはできないのかもしれません。



6月19日

日課



毎日これは続けよう、と年変わりに思う時があります。ぼくの場合1,2ヶ月で終わってしまうのが山々なんですが、今日の出来事を綴った日記はまだ続いてます。もともとの日記つけようとの趣旨は、勉強を毎日しない癖が着いてるのを改善しようということなんです。ぼくが毎日何かすることはできないと思いかけていたので、それを形に残してみようと思ったんです。

日々の努力が身を結ぶというだけでは意味がなくて、実際に行動して見れば後々後悔しないでしょう。用は達成感を目指しています。みんなに自慢できるような達成が欲しいです。



6月20日

蛙の子は蛙(諺 Vol.1)



この諺を聞くと、ぼくもうちの父と同じ顔になるんだろうかとか思います。もう16にもなるとひょんな事が父や母に似てる事が多くなってきています。もっと幼かった頃は父(母)みたいになりたくないとよく思ったものですが、いまは半ばあきらめが入ってます。ついこの前に撮った自分の写真が父にそっくりなのは驚きました。普通にいるときはそうは似てないと思っていたけれども、横になっている時とかの自分の顔は父に似ていることがあり、その時は結構ショックを受けました。

様態だけでなく他のことでも似ていると思うときがあります。自分の書いている字なんかその尤(もっと)もな例です(昔は父の時を見て笑っていたのに)。似ていることを損とは思いませんが結構がっかりしません?息をついて、まぁいっかと思います。



6月21日

ジェンダーバイアス2



ぼくから見た町での女性の印象です。ぼくは中・高男子校なのでかなり離れたところから見ています。まず、行動の制限があるように見えます。例えばベンチに座っている時足を広げて座っている女性は見られません(男性は広げていても閉じていても違和感無いということ)。次に、衣服その他副装品で自分を他人に見られることを前提に表現(魅せて)しているように見えます(世間体の問題を含む)。

行動の点から見るジェンダーは女性よりも男性の方が、自由度が少し高くなっているように思います。この世間の目を変革することはできるのだろうか。



6月22日

ストレス発散



今はいくら逃げても許されるので別にいいのですが、将来社会に出たときにどうしても逃げられなくて(中途半端で妥協する時等)、自分の中に精神的な圧迫によって溜まるストレスの処分のメソッドが必要になると思います。今でも自分のした過ち等がずっと尾を引いて忘れられなく、たまに頭の中に甦ったときにはその記憶を捻り潰そうとします。それが今だから間に合っているようなもので、将来はストレスに押し潰されて完全なる鬱病患者になっているような気がします。

そういう事に打ち勝つために−芸術関係のものが普通一般だと思いますが−自分で創作するという(能動的な)趣味が必要になってくると思います。絵を描く事、音楽を作るとか写真を取りに行くとか色々あります。



6月23日

デイドリーマー



何かに似せて否めないんですがふわっとした雰囲気です。フリル系のものに頭の中が囲まれた時点で既にふわっとした雰囲気です。例えば、林檎を見て「赤い」と思ったらもう雰囲気に取り込まれているとか(普通はそういうものを注意してみないから)。そして周りにある赤いものばかりが目について何でも赤に結びつき、自分の過去や予想する未来までもが赤に染められていくような気分に自分がなるような。赤のモーメントを感じて、メタファーを探っていくそんな普段とはかけ離れた感性が働きかけていくデイドリーマーになることもあってもいいでしょう。

授業中とかに暇なときは頭の中に何かの音楽が流れ込んで込ます。自分で考えて流すときもあれば勝手に流れてくるときもありまして、即その場で作った(できた)旋律に色々な装飾品が付いているといった具合です。頭の中にだけ流れているのは勿体なくて何かに残しておきたいのですが、技術が付いてこないのでだめでしょう。ともあれこれからも空想が私腹の時間の一端を担っていくことは間違いなさそうです。



6月24日

愛国心



ぼくは、日本に生まれて日本で育ってきました。まだ小さい頃に外国語(英語)のほんとの触りを教えてもらったとき、姓名を逆にして言うのに驚いた覚えがあります。なんで逆にするのか、今まで人に呼ばれてきた愛着のある名前をなんで外国に行ったら逆にして言わなければならないのかと思いました。ぼくはかっこいいと思うのではなくそんな風に思っていました。

今はそんなことあまりこだわらないですから別にいいのですが、自分は日本人だから日本人らしくすれば良くて外国人の真似なんてしなくてもいいじゃないかと思うことはないでしょうか。別に別に右手にいこうって事はないですけれどそういうことを思うこともあります。



6月25日

出会い



久しぶりに今日は結構気が合う人に出会いました。学校の人の未だ半分くらいの人は知らない人で、新たな出会いは4年以上同じ学校にいても起こり得ります。話すことができる人が増えることは自分が17歳で生きていくのにとても有効な手助けが増すことだと思います。

また、ある本に出くわすことは自分の先のことを直接又は潜在的に決める事になる場合があります。特に一番初めの衝撃的なものを与える本は、土台がほとんどないのでぼくの場合かなりの高割合で書いてあることを信じたように思います。だんだん初めの本につられてそのジャンルの本を読んでいくと、自分の考えみたいなものがでてきてあれこれ批判できるようになれるのではないでしょうか。



6月26日

できたらいい物 Vol.1



目が見えない人が見えるようになる眼鏡!生きている人間の脳と線を繋いで外から操作するようにしまして、人口目玉と繋いでそれから物を見えるようにできたらいいです。できるわけ無いですが。ぼくはちょっと昔(小学校4年くらいの時)に思いついたのですが、眼鏡が実はテレビだなんてのを思ったことある人結構いるのではないでしょうか。外から見ると普通なのですが実はテレビ見ているという感じですが目が悪くなりそうです。

他には、個人HP管理ソフト。日記の更新をするのがまだ面倒だと思うので、初めに形を決めたら後は変えられるところは自動的にやってくれるような物なのですが。更新日時とかもいちいちタグだらけの文字列の中から更新するのもいやなのです(Java使えばいいかも)。



6月27日

片方の親がいない子



友達か誰かにこういうような話題を持ち出す度に、それは親のない子にとって失礼でないかと言われます。まず自分の友達等としゃべりあうときは毒舌的に今の状態からこれからの展望まで腹を割って話すことができて有効な結論が見いだせます。けれども、話す相手の素性が解らないときですがぼくの経験から言うと迂闊(うかつ)にしゃべってしまったならばその場合、こちらから見た表面上の対応は普通の反応で自分の体験を軽くしゃべってくれることが多いです(多いと言っても1.2人ですが)。そうなるとこちらの方が戸惑います。戸惑いますが戸惑う仕草を相手にみせたら行けないとも思うので、普通他人と話しているときと同じようにしゃべることが普通です。

今日のは例ですがこういうことを詳しく多方面から見たプロの提唱が書かれている本を読みたいと思っているのですが、何かいい本はないでしょうか。あったらお願いします。



6月28日

「逃げ」の必要性



前に書いた「逃げ」という事をもう一度考えてみたのです。以前書いたことに高校生はよく逃げると書きましたがそれは当然のことと思い始めました。この時期は色々なことに関して自分では容認できないことが多く、そのことから一度逃げという行動を起こします。逃れた時に半ばの確率で(下積みが多い程確率大)逃れた原因を思い返します。冷静に考えてみるとその時は容認できなかったことも容認できるようになることがあります。こういうようなことを繰り返すことで自分の「むかつく領域」を減らして大人になっていくと思うのです。

だから「逃げ」は、自分をひとつ大人に近づける機会のように思うのです。利己主義的な高校生といいますがそれは各個人がステップアップするための猶予期間を大人達からもらった物だと考えます。先生達は僕たちが逃げた時にこのように段階を踏んで欲しいと努力しておられるのだと思うのです。



6月29日

中学生!?



神戸の事件は容疑者が捕まりました。それは中学生だったので少しは驚きました。ぼくは行動するとき昔から考え詰めた上で行動する性格なのですが、時にその考える場所等の設定によって思考回路が飛躍し、後から思い返すと信じられないようなことを考えていたこともあります。その幻想は、自分の身をどれだけ非自然の状態におけるかによって決まると思うのです。何かしら今の自分の存在する場所にマルチメディアがかなりの領域を占めているようですからね。

それから、未だ彼は容疑者であり犯人では無いと思うのです。これからどうなるか解りませんが裁判所で実刑判決が下るまでは犯人と呼んでは行けないような気がします。前の麻原被告でもまだ下って無いのですからあの事件の犯人では無いのではないでしょうか。



6月30日

打楽器



打楽器知ってますかと聞いて知らない人はいないと思います。そして打楽器は一般の楽器には認められていない気があります(なぜかと言うと誰かに楽器弾けるかと聞かれた時にタンバリンと言ったらぼけたとしか思えない)。ぼくは実際中学校の時から吹奏楽部の打楽器パートを受け持っていますが、楽器自体(小物類が主)は容易です。要するにちょっとしたリズム感があれば誰にでもできます。

また打楽器はバンドの中で他の人達と違った耳を持っていると思うのです。いつも後ろから音楽を聴いていると感覚がずれてくるのです。では打楽器のおもしろい所と言えば一曲で色々な楽器を持ち替えて忙しそうな所や、音としてはとても目立つのでその振動に体を揺さぶられたりする所でしょうか。



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