自分が死ぬのが嫌だと思うのは自分が成熟していく過程の一つであるように思います。それは進むにつれてだんだん周りの人まで広がっていきます。そうして命は大事だということが据わっていきます。このことを確実にするためにも家庭での支えが大いに意味をなすと思うのです。もし自分の命が無くなったら、もし親の命が無くなったらと考えると命をなくすことと言うのはひどく悲しみと苦しみを伴うことが解ります。非現実の世界を体験することが多い中では実際の死に対する意識が朦朧としてきていると思います。これを家庭で身近なことから教育することがいいのでないでしょうか。 今回の事件にあてはめると、このひどい悲しみと苦しみというのは加害者、被害者の両者のことを考えるときついくらいに解ると思います。これはこのことを考えるいい機会でもないでしょうか。 |