7月23日

成熟の果て



今のこのモラトリアムの時期を乗り越したならば、そこには何が見えるのだろう。今、感情の波が上下することがよく起こっていると言うことは、それが起こらなくなるのでしょうか。仮にそれが起こらなくなるとしたならば、色々な事象に関して知り尽くしていると言うことになります。そして何らかの自分の原型が形作られているでしょう。でも、もしそうだとしたら、なんでもう波の上下が起こらなくなるのだろう。「何らかの自分の原型」はなぜ崩れないのでしょうか。

一つ考えられるのはプライドです。今ぼくが自分で持っていると思っているいかにも個人的なプライドではなくて、何かもっと先のものに対するようなプライドで、はっきりしませんが、守られているように今、考えます。このプライドを明かせられるならば探ってみたいと思います。



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