教師が育ってきた時代と生徒が育ってきた時代が違っているということは、教師が教わったもの感じたものと生徒が生きているところの現実とでは、歯車のずれのようなものがあるのではないでしょうか。今の40代前後の教師が仕込まれたものというのが、今問題にするはみ出したものへの徹底的な弾圧なのではないでしょうか。生徒のそこへの疑問が不安定な思春期にあるモラトリアムの時期に、重くのしかかる現実への嫌気になるような気がします。 また、嫌気に対する抵抗の程度が特に積極的でなくなっているような気もします。十年くらい前の三無主義というものはまだ引きずられていて、疑問に対する積極的でない陰険な反抗が横行しているように思うのです。しかし、ここで生徒が求めている「教師」はどんな人であるのだろう。どんな教師に生徒が感心を示すのでしょう?。 |