11月



11月2日

暇と充ち



高校生は暇だと思う。忙しそうにしている社会人を見ていると、自分はなんにもしてない時間がこんなにあって良いのかと思う。そのような時間が多くあるせいで、いろんなことを考える。忙しい人達はゆっくり考える暇もなくてかわいそうに見えるけどそれも良い。成っていると思う。それに比べて、この膨大にあるゆっくり考えることのできる時間達は、自分を何かに不安にさせたり、何かを気づかせたりする。

高校生は充ちていると思う。それは、時間が進むのが遅く感じるから。大人達の言う時間が過ぎる速さは特に感じられない。また、小さな頃の時間の進み方より「味」がある。心がよく動き動かされるのは、時間の進みを遅くするのだろうか。この暇と充ちが重なり自分の足が固化されていく。



11月4日

怖い存在



これから起こる色々なことに対し、それぞれに方程式を作って準備をして耐性をつけておき準備をしておいても、実際にはそんなことがほとんど意味をなさなくなるようなことがたくさん起こります。自分がいま「する」ということと「できる」ということは違うことです。「できる」ことを方程式で抑えて「しない」ようにしようとしても、一旦火がついてしまったら、「して」しまうことは起こってしまい、今まで作ってきた方程式は木っ端微塵に砕かれるのです。自分は、人を殺すとか、そういうことでもできてしまう怖い存在なのです。

ひとつの答えしかないと思いこんでしまうような些細なことでさえ、いつ砕かれるか解らないのです。本当にどうなるか解らない、一触即発な自分のコントロールの仕方を知るには、どんなに悪いことでもできてしまう自分に目をやることだと思います。



11月6日

フェアー



比較して権力のある人というのはおごる傾向にあって、そこから前進することを忘れているようなことが多くあるのではないでしょうか。そのために、世界を部分でしか見ていなく、目先のことに多くをとらわれて少しくらいの偏見を無意識にしてしまっていると思います。自分の持っている権力は、その権力を受ける側の心を知らないことにはフェアーでありません。受ける側を、こうあるべきと型にあてはめて暗黙にでも強要するようなことが偏りを生むと思います。

しかし、その「差別」を解決できたときの状態というのが存在できるのか疑問です。眠っている能力を導き出すだけ導だせる状態にも、差別は何らかの形で残るのではないでしょうか。いつの間にか抑圧された集団が奮起して歴史は繰り返すというような。



11月7日

蟹座A型



自分の性質を持って生まれた星の下としてカテゴライズすることは偽装でも自分を保てられます。男・女・社会的な地位などで隔てられた範疇とは別の、ほとんど無意味な分け方に自分を当て込めると、なぜか上の空納得してしまいます。自分はなんでも理解しようとしてしまう習癖があるのだと理解します(←早速)。

生まれ持った自分の性質があるとして、──厳密に見ていくと先祖代々からの遺伝を含め無限に連鎖していて全てあとから付け加えられたものなのでしょうけれど──、それを基にあとから加えられる様々な経験を増やし適応していくのだと思います。だから、自分らしいものを認識する何かがあってもよいのではないでしょうか。どうしても二元的に見られないので本当のところはよくわからないのですが。



11月8日

耐えられぬ抑圧



バイタリティーの強さが女性にはあると思います。こちらの目から見ると耐えきれないようなことに普段から遭っていて、男性の納得いかないことなど気にもならないほど多くの抑圧を受けています。女性は成長の過程で、抑圧に耐えることを身につけて男性よりも忍耐強くあり、またその中で数々の納得のいかないことを切り抜けていく方法を心得ているように思えます。

男と女の役割を成長の段階で身に刷り込まされてきたことは、男が踏み台の上に存在するおごりを忘れさせることがあるのでしょうか。また、ぼくは青色、わたしは赤色、から始まった段差を繰り返し繰り返し見せられ、また体験するままには、女性は活力を強くしていくのでしょうか。おごれるものは久しからずのおごりが見えない中で謙虚さを求めても仕方がありません。



11月9日

無抑圧



自分の欲望がかなりの割合で達成されてしまうと、少しの弊害が出てくるだけで滅入ってしまいます。抑圧を受けないことは自由に見えるけれど、この社会の理不尽さをことごとく隠蔽して身ごもってしまいます。理不尽なことに対する欺瞞の力を他のことへまわせられる心の巧妙なやりくりというのは、抑圧を受けなければ発生できないと思います。

本当に貧しい家庭というのも少なく、兄弟間の対立も無い社会です。徴兵制なんてのもありませんから、特に男子は放牧されっぱなしでいつまでも平和な草原で暮らしているようにさえ見えます。軟弱で「自分に」嘘をつきまくっているのは、もうどうしようもない慢性患者です。何か一つ「喝」は入らないものでしょうか。



11月15日

積極的な選択



生活の中で色々選択をしなければならないことが多くあります。その時にはどっちかといえばポジティブな選択をした方が、たとえ失敗をしても有効です。自分の怠け心というのは、ほとんどネガティブな行動といえます。自分の生理的なことや、本能的なことが、時には邪魔をすることがあるかもしれませんが、かなりは自分の心の持ちようです。

朝、外が寒そうで学校へ行きたくないと思うような時があると思います。その時の自問自答で学校へ行くのか行かないのかと聞いてみます。二つの選択肢の中で、学校へ行くというポジティブな方は、他方よりも自分の経験というのをより増やすことができると考えます。積み重ねで、いつも積極的な選択をしようとすることは、自分の世界を拡げていくと思います。



11月16日

笑顔



笑顔は奥に秘めたものを隠せる一番の武器のように思えます。基本的に笑うことや相手に笑われることとは違う道で育てられる傾向にある男にしてみれば、笑顔にまいってしまうことというのはあることです。女の人は、幼い頃からいつの間にか笑顔が武器だということを身に修得していて普段それを実践していると思えてなりません。

嘘の笑顔は社会を上手く切り抜けていくための技能でもありますが、それをしている自分は、何か虚しさを覚えるときはないのでしょうか。プラグマティカルにだけ活用することは、時に自分を見失って見苦しくなるときがあるかもしれません。ですが、基本的に一にして二ならずだとも思います。嘘から出た真というのもあるのですから、極地に走ることだけを止めたいものです。



11月17日

経験



自分の体を通して感じたことというのが、聞いたことや読んだことの何倍も、骨の髄まで染み通る教訓になると感じています。経験しないと本当の意味で解らないのかもしれません。人が生きているということが、ありがたいことであるというのは、普段はほとんど気にもすることではない感情なのですが、このことも聞くより感じなければ理解できて普段の行動に現せられるようにはならないのかもしれないのです。

多くの経験を得ようとすることと、少ない経験の中でどれだけかの新しい理解をしようとすることが必要だと思います。また、自分の意志ではない向かってくる経験に対して、未来の自分を想像することではないのですが、自分の中にどれだけか受け入れる準備ができているかも重要だと思います。



11月19日

思いやりと愛



他人のために何かしてやりたいということが愛です。愛は往々にして一方的になります。つまり、相手と対等な目線で話すことを無意識にしていないのです。好きということに付随してくる愛というものに注意深くしなければならないと思います。好きということは純粋ですから、それは何にもかえられないはずです。その気持ちを持った上で、思いやりを通して愛すること。おごってしまう気持ちでは本当に通じ合うことは無いように思います。

理解しようとする性分、最も曖昧で解らないものを経験的に整理していくことで、対面では満面の笑み、もしくは思いやりの愛情を自然に出せられるようになりたいものです。父の姿を見ると色々考えてしまいました。



11月20日

愚痴の緩和剤



少々の愚痴を口走ることは効果的かもしれない。不合理なことなど幾千とあるから、目前ではポーカーフェイスでもその不満を吐き出すことに、緩和剤と切替えの効果があると思う。このことこそ心に溜めておくことは無用。

この方法で自分に向かってくる数多くの攻撃を克服することを身につけた人達もいる。しかし、この方法に偏りすぎると度を超えた利己主義になってしまう。利己主義は自分の身体を守るために少しは必要だけれども、偏ると見方が狭くなってしまう。不合理なことが実は自分の知識不足などのために後で考えると不合理でないと解ることはよくある。明らかに不合理なことは言いさらってしまおう。なぜなのか解らないわだかまりには、注意を払って自分を見つめてみるべき。



11月21日

防御服



したいことをしようとするときでも一応の社会に合わせなければ、上手くいかないことがある。人に頼らずにできるだけ自立しようとするときには、外敵から身を守れるだけの防御服が有効に使えられなければならないと思う。自分の不満を一人で憤っても仕方がないので、どうにか処理する必要がある。

いつも多くの外敵に会っている人ならば、不満を溜め込まずに効率的に処理する能力を持っている。防御服が厚くなるが、素早く処理するために自分のしたいことができる。常におごれる地位に属している人は防御服が薄い。しかも他人製である。さらに、時々外敵が訪れて攻撃されると、その不満がいつまでも身の中を駆け回り身体が犯されてしまい、したいことができない時間が長時間続く。この処理機能は今、だんだん退化していっているように見える。



11月22日

醜形恐怖



外に出ているときはいつも自分の姿を気にしている。他人の目が気になる。馬鹿らしいから気にしないようにしても、気にせずに入られない。というのが醜形恐怖だと聞いた。気にしているときには、すでに自分が自分でなくなっている。自然に行動しようとして自然に行動できなくなっている。自分の格好を整えたり、化粧したりする時間は与えられている。家、もしくはそのままの化粧室。人前ですることではないと思う。

最近は自分の存在を固定できる場所を、自分の内側ではなく、外側に向かって探っている人が結構多いように見える。空虚の中でもがいてはいないか。誰にでもあるはずの自分の特質をそのまま表現できないで、後から来る情報に覆い被され、本当は立派なものでさえ翻弄されて幼稚に見えてしまうのではないか。



11月24日

父、他界



突然、ではないけれど、今日父が他界しました。最近少し回復してきていたので、親戚は帰っていったばかりでした。事が起こってからの慌ただしさに泣く暇なんてありません。また、父の動かないけれど今にも返事をしそうな顔を見ていると、まだ実感が湧いてこないのです。

そして、あまりにもただ眠っているだけのように見える顔を見ていると、ふと手を差しのべてしまいました。そのときの冷たさを感じたときに初めて、死んだのかと感じました。でも、今日一日は父も家で寝るので、まだ自分の中には大きく存在しているのです。明日、明後日と過ぎて行くにあたって、大きな空白に悩まされるのでしょうか。17歳という時期に逝ってしまった父は最高に意地悪だとは思いませんか?必ず訪れるものではあるのだけれど。



11月26日



心のどこかではまだ信じ切れていなかったのだと今は思います。父が火葬される前までは、形があり、ただ寝ているようにしか見えないのですけれど、顔を見ることができたのですから。また、式で泣いては来てくれたたくさんの人達に感謝の意を伝えることがおろそかになるのではないかと思い、じっとこらえていました。

火葬した後の父の姿には苦しいものがあります。そして、その後のおつとめが一番辛いものがありました。もう姿がないのですから、本当にこの世から消えてしまったのです。自分の心の中にある父だけが残ったという感じです。でも、これからにその感情が訪れるかもしれませんが、結局泣きはしませんでした。もう、仕方のないことです。儚い自分を身に染みて、在ることは素晴らしいと思わねばなりません。



11月28日

語彙・表現



言葉には何通りもの意味がある場合が多いので、素直に表現したところで伝らないときがあります。一端には自分の語彙力や表現力などが乏しいために起こると思うので、それをだんだん積み重ねで細かいところでも学んでいくことを必要に感じています。

文章を書くときに題材にしようと思うことは何かの出来事を見聞し感じられたこと──ほんの些細なことも多いのですが──、その純粋な疑問や経験が発端です。それを、時間のあるときに色々考えてみます。他に似たようなことが身の回りで起こると敏感に反応することもあり、それも材料にします。そのようにしてできた「考え」を素直に文にしてみます。あまりに凝って書こうとすると、純粋な訴えたいことが薄れる可能性があるのでできるだけ率直に書くことが必要だと思います。ここで、自分の基本的な語彙力や表現力が発揮されます。自分の「考え」をしっかりと相手に伝えるためには、学ばなければなりません。



11月30日

伝統



伝統はこの社会には無くてはならないものです。例えば、言葉というものは伝統され続けているので今、自分でも読んで理解することができます。しかし、それは少しずつ時代と共に形を変えていき、人々の間で生きているのです。伝統の起こりというのはその当時の創造性だと考えて、それはその当時にあっていたものから生まれています。それは、時と共にだんだん隙間ができて、元の形のままでは廃れていくことになります。そこで、様々な要求から、より柔軟な変革が必要になってきます。元の形にとらわれすぎると、ことがなかなか上手く進まないこともあると思います。

またそれは、自分の中にもあることです。何かにこだわるというのが、それではないでしょうか。自分一人の中のこだわりはなかなか意志が弱いと続くものではありませんが、思い切った変革というものも必要だと思います。独創性と倹約の気持ちをあわせたものに憧れます。



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