外に出ているときはいつも自分の姿を気にしている。他人の目が気になる。馬鹿らしいから気にしないようにしても、気にせずに入られない。というのが醜形恐怖だと聞いた。気にしているときには、すでに自分が自分でなくなっている。自然に行動しようとして自然に行動できなくなっている。自分の格好を整えたり、化粧したりする時間は与えられている。家、もしくはそのままの化粧室。人前ですることではないと思う。 最近は自分の存在を固定できる場所を、自分の内側ではなく、外側に向かって探っている人が結構多いように見える。空虚の中でもがいてはいないか。誰にでもあるはずの自分の特質をそのまま表現できないで、後から来る情報に覆い被され、本当は立派なものでさえ翻弄されて幼稚に見えてしまうのではないか。 |