ぼくは何をしているのだろう。いまが一番なんでもやれる時期だというのに。大人達が言うように後で悔やむのだろうか。完璧な自分など将来にも不可能であるのだから、失敗を恐れるほど自分が拘束されることはない。失敗を恐れることは、この社会というか他人の目に押さえつけられて、自分のやりたいことが歪曲させられてしまうことだと思う。自分の持っている先天的なものは変わらなく、それをいかに出して生きられるかではないか。出さないことも一つの先天的なことかもしれないけれど、それはそれで出していると思う。 したいことをするための下準備に知力を使ったら、あとは何も考えずに自分を信じて行動してみる。そうすると、どうしようかと考え込んだ挙げ句の結果よりもよい結果が生まれてくると思う。それは、自分の先天的なものが出せたからであり、社会や他人の目を振り切ったからであると思う。そして、もはやその結果に賞罰は無意味である。 |