「普通」にこだわる。「普通」な人間などいないと思うのだけど、神聖化された「普通」がいる。良く目を凝らしてみるとみんなどこか異常だというのに。みんなの神様である「普通」は、それこそ一つの宗教のように戒律がある。自分だけ抜けだそうとしても結局は抑えられてしまい、注意人物に指定される。自分がやりたいことをやろうとして何も恐れずにと向かっていく先は、注意人物に指定された挙げ句滅却されるのである。 しかし、初めの意気込みが簡単には壊れない頑丈なものであり、一度や二度その襲来を乗り越えたならば、今度はその状態で「普通教」の仲間入りをするのである。だが、その襲来はあまりにも陰険である。とてもねっとりとした粘着テープの上を進まなくてはならないのだ。これは、いうならば現代的ミーハーの原理ではなかろうか。 |