毎日、何気なく考えずにできる習慣がある。改めて、毎日することの意義を問いただしたときに、それは何かしら役立っているということに考え至る。 もし他人が自分のしていない日課をこなしていたとしたら、なぜそういうことができるのだろうと思う。そして自分にとってその日課が利益あるものだと考え、機会が良かったならばはじめようとするかもしれない。しかし、いざこなしてみようとすると、大抵はできない。ただ、その日課を何とか毎日やり続け長くやっていると苦にならなくなる。果てには、楽しくなるときもある。 人はいきなり多くのものを変えられるはずは無いと思うので、少しずつ細瑾を拾っては根気よく潰していった方がいいのではないか。最初のめいいっぱい意識をする期間を、どうにか努力して乗り越すだけの力を日課にしたい。 |