顔を合わせたその場だけでも平等であろうとして、自分の本当のところを押し殺し、まわりをじっくり観察する。自分の中よりも外に対してフェティッシュを感じて、コミュニケーションに重点を置く。自分の道は他人の道の上に建つ。 だから気になる、あの曲、あのTV、あの雑誌。自分の道を究めることも生きている理由になるのだけれど、それよりも大きくまわりとのコミュニケーションがある。コミュニケーションが重要であるので、実は「自分は自分」的なものが根底に秘められている。しかし、それも重要視しすぎた成れの果て、殆ど表面的になり「技」だけが冴えてくる。「自分は自分」なものは、多く「技」に吸収されていく。そして、立派に人が使えるのだと思う。 年功序列な社会の予備軍だと思う。私が少し前まで頑丈だと思ってきた親の地位が、実は結構壊れやすい物だと感じた。それは、学校での友達同士の駆け引きに似ていた。 |