制服は、一応身を縛っていると思う。一応と言ったのは、それは誇りにもなり得るからだ。制服は、軍隊的な意義を失っている現代では、誇りか宣伝だという気がする。誇りの意味の制服は選ぶものだと思う。当然努力に応じてである。私が疑問に思うことは、自分が未熟である段階で、誇りの為や利用して制服は着ることができなく、それは身を縛るだけではないかということである。 他人との関係の中において自分を作っていく時、自分の着ている服によって自己主張できる機会を増やすということは、とても意味のあることだと思う。それを封じ込めている中学校は制服によって身を縛られ、自分の道を進む意欲さえ奪われるかもしれない。小学校と中学校にはここに大きな隔たりがある。高校にもなれば自らの制服に誇りを持って着ていることを楽しむことができたり、或いは利用することができると思う。中学校は制服の感化が大きな力を持っていると感じる。 |