6月30日

1.中教審の考え方



学歴偏重社会というのは、確かに問題である。一人一人の中の能力や適正をできるだけ有効に現せることができたならば、さまざまな分野での飛躍が期待される。また、親からの一方的な受験競争への参加を押さえれば、子供に、自ら学び、自ら考える機会が増えることもあろう。中教審が求める"「ゆとり」の中で「生きる力」を育む"という提言も、今までの形式的な平等の重視より起こる一元的な教育から、個性を重視した多元的なものへの転換をはかろうとしている。

しかし、教育とは本来、国家繁栄のために、またその一端を担う有能な人材を作るためのものである。個性的、創造的な人材を得るための「ゆとり」や制度の多元化は、一見奨励すべき方針に見えるが、そこまで単純ではないと思う。ゆとりを持った人々は、そのゆとりさ故に、かの社会主義国のように競争心を失い没落していく可能性もあるはずだ。

教育には二種類あると思う。単に知識を詰め込ませる無機的な教育と、今ある社会で生きていくための有機的な教育である。二種類のうち、戦後日本では選抜の指標に無機的な知識の優劣で判断してきた。国は、その判断基準だけでははかり得ない有機的な才能への指標を、創造的な人材を得るために改善しようとしている。また、その両極面の教育を充実させようとしている。

**この間、学校に提出した怪しい暴論です。特に改革案が練られていません。5回にわけて載せる予定です。



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