そうなると、以前の日本の教育の方が多少は良かったはずである。現在のこの問題には他に大きな原因が存在する。──それは、家庭の状況である。 今の小中学生あたりの親は、大まかにいわゆる「おたく世代」と言われた人々である。その世代の人々は、ひとつ上の団塊の世代によって少なからず放任され、自分と趣を同じにする小さなグループを生み出した。グループ間のネットワークはあまりなく、グループ内のみに常識を持った。それ故、独善的な意識を得る人も多かったと見る。 極端に言えば、自分の一人の子供に思いを馳せ、必要以上の干渉を行い、子供が自分で動くことを忘れているかのようにも見える。子供がした社会規範から外れる行為も、愛情過多な親からはもちろんきつく言われることなく、学校の先生からも「個性の尊重」のもと厳しく言われることがなくなっている。いわば、勉強はするものでなくやらされるもので、それに苦痛などの感情は生まれない。だから、この現状から、もう既に「ゆとり」は蔓延しきっている、ともとれる。 その上に、さらに「ゆとり」をつぎ足したならば、もう日本は行く先が見えない。「ゆとり」をつぎ足すと「生きる力」とともに無機的な知識までもが、五無主義のもと逃げていく。長期的に考えれば、小学校に有機的な教育へのヒエラルキーを復活させれば、初め親がとやかく言うかもしれないが、生徒自身が気づいて、今ある尺度からの飛躍が認められのではなかろうか。 |