7月3日

4.高校・大学選抜



この社会は高度に成長し過ぎているので、そこに手を伸ばそうとするとかなりの知識や技術がいることになる。有能な人材に不可欠なのはかなりの量の無機的な教育である。そこには、有機的な教育を妨げる大きな倒錯をはらんでいる。

現状は、「できる人」には無機的なものだけが富み、有機的なものはあまり冴えていなく、「できない人」はその逆の傾向にあると考えられる。理想は、その両方から教育をしていくということだ。

今の高校で各人は前述のような育てられ方のために、社会とは一線を隔絶した、自分とそのまわりの少数だけで構成する小宇宙内で自立している。あるいは、完全な親の奴隷と化したマザコンになっている。

前者は高校はもちろん大学までもが、勉強のために行くところではなくなっている。果ては企業に入って自分の命が絶えるまでが一本のレールの上に乗っているのかもしれない。それは、「できる人」でも「できない人」でもないいわゆる「普通の人」である。今が楽しければ良いという楽天主義を唱える高校生は皆、「普通の人」から起こっている。自分が勉強するのではなく、まわりがするから勉強する。だから、どんなに受験方法を多様化しようが、彼らは一定の成績をあげるので実状は変化しない。根本は小中学校の教育の在り方に由来している。

後者は、幼い頃から刷り込まれた、親からの洗脳に常に従ってきた果てである。自分の考えは親の考えと同化していて、実は自分の考えだと思っているものが自分の考えではなくなっている。彼らは「できる人」に分類される。とにかく、無機的なものだけ冴えており、エリートコースを進むことになる。だが、未発達の有機的な関係が常に足を引っ張る結果になる。だから、今の教育システムで、「できる人」を優遇するとなれば、彼らを優遇するということになる。



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