誰でも、"自分"って大変です。受験生の中にいて、自分も受験生ではあるのだけれど、ぼくたちに教える人生の先輩達は、なにかと「受験勉強なんて意味がない」的な発言を繰り返します。その言葉を自分は遂行しているのか、ある問題に対して、即答えを出すという受験学力的な思考回路についていけません。自分の中の秀でる部分は、問題に対し今までの経験や勘などから、自分自身の答えを出していくうちにできあがっていくものではないのでしょうか。 そこには、ぼくが"自由"に慣れ親しめば親しむほど、度を超した享楽に自分で気づきにくくなっていくことがあります。ですがこの時代、身代わりには今の楽しみというものが最後の逃げ道であり、どうにもならないことではあるけれども、あまりにも多い抑圧対象から遠ざかりたくなるのは当然であるように思います。 自分を押し殺してまで、無根拠なことを未来のためといってやり続けるのではなく、受験学力を習得するための勉強は、"人"との繋がりの中で、今ここで彼らと関わりながら、あるいは関わるために、やっていくものだと思います。手に入れるべき能力は、独りの殻には入らずに、まわりの人達とのコミュニティーとして育むものであると思っています。 |