98/02/13UP

 

壊れゆくひと

島村洋子

角川文庫

なぜ、私はこの本を手にしてしまったのでしょう。と考えたくなるような"危険な"内容でした。読んだ後になって、この作者は私のまわりであんまり評判が良く無かった事が解りました。確かに、数々の疑問を残したまま終わって行くので最後はしっくりきません。どうやって物語が繋がっていたのか、?、疑問が残るところはあります。しかし、そういわれたものだから、読み返しが進みませんでした。だから結局理解不足なのかもしれませんが。

題名は、文庫版で、もとは「ひみつの花園」です。「壊れゆくひと」というのだから、クライマックスは壊れています。壊れたまま、ぼーっとしたまま、自分が自分と解らないまま、終わっていきます。私は、もうぎたぎたにぼろぼろに壊れていくのを期待していたのだけれど、そこら辺の「壊れ方」です。多分、その期待が本を買わせたのでちょっと失望もしました。

著者が盛んに言いたかったことというのは、もとの題名にも出ているし、あとがきにも出ています。あとがきには「面積いっぱいにお店を広げている必死の努力家の物語を書いてみたかった」と出ています。そのお店が「花園」です。物語の中にも「花園」という言葉が数々出てきていて、だれもが自分の花園を持っている、といいます。「みんなそれなりの花園を持っていて、他人から見たらごくつまらないことで敏感に反応し、それを守ろうと、敵とおぼしきものを鍬で殴ろうと待ち構えているふつうの人々」という視点があります。これに対し、著者は人はそれぞれであると言い、「いつの時代にもこの世に必要なのは笑いであり、ゆとりであり、建ぺい率いっぱいに自分を建設しないことではないか」と言います。

私としては、ゆとり、というよりもっと厳密に心のゆとりを、人は求める欲求が誰でもあるのではないかと思います。そうであるから、自分の花園を守ろうとするのです。自分の欲求を満たすには、馬の合わない人はできればいて欲しくありません。だから敵を排斥するのです。主客転倒になっていると思います。しかし、排斥と言ってもそれは完全に出きることはありません。そこで個々の経験による技量が関わってきます。それは、だんだん経験が増すに連れて、より高度になり表面がより安定していきます。

自分の欲望を満たしていくための様々な技量は、時にみんながみんな自分と同じような欲望を抱えている気にさせます。欲望の内容は誰もが違うのですが、心のゆとりを求める欲求は誰しもが持っているものだと思います。そして、「内容」が違うことを自明なこととしたときに、さらに一歩進歩していくものだと思います。

主人公は、随所で他人の欲求の「内容」と、自分の「内容」を比較して、そのずれから、その人は変人だと考えます。そう考える自分は、他人にどう捉えられているのかということを知りたくなります。そこで、「内容」が違うことを自明なこととしていた人に聞いては、「あなたは普通だよ」と言われ続けます。これを繰り返すうちに、普通だよと言い続けてあげた人達が耐えるに疲れて、持ち前の技量を発揮しながら主人公から離れていくのです。

後、気になった点をいくつか。

まず引用、「なんだかヒールのある靴でお尻を緊張させて立っているのも面倒くさくなった。」私は、このようなことをよく見聞きします。女性は、外のいるときと家にいるときでは何か違うのでしょうか。この間「あぁ〜きれそうだ」という言葉を聞きました。外にいるときは、何かピンと背中かどこかに糸を張っていて、それが疲れや眠たさできれそうだということらしいです。男の中だけで長い間過ごしているので、この感覚は初め理解されがたいものでした。自分自身心持ちも家と外で何も変わらなくあったし、まわりも変わっている様子はありません。

ある本で素敵な女性みたいな項目を読んでいたら、「背筋を伸ばして」「常に笑顔」「サッサと歩く」など書いてありました。なんて、女性は忍耐強いのだろう。長い時間そういうようなことに気を使って入られるなんて。しばし、未知の感覚に驚いていました。

気にしすぎることは良くないと思うけれども、自然体に行儀が良くなっている分にはそっちの方がいい。習慣づければそう、苦労でもないのかもしれません。

続いて、「私は二十くらいになったら、驚くほど美しくなって、きっと頭が良くてものすごくかっこいい、そして優しい、お金持ちの、まるで王子様のような彼氏が現れて、きっとすぐにふたりは恋に落ちて、あっと言う間に結婚することだろう。」幼い頃の自分を見る目には、こういう風に思うことはよくあることだと思います。自分は、特別な存在で未知なる能力を持っているだとか、自分の将来に対し理想の自分像を持っていました。しかし、成長するに連れて現実を見つめるが育っていき、理想に対してはふがいない自分という物を受け入れ、そして好きになっていくものだと思います。いつの間にか理想郷は表面的には憧れているかもしれないけれど、いざ、手に届く所になると却って現在の自分のほうが良いように思烏事もあると思います。なぜか不完全で物足りないのだけれどこっちのほうが断然生き生きします。完全であると、またおごってしまいそうで。だから、一つのものをずっと追い続けていられることが実は一番幸せにも見えてきます。

「気を遣い合う親切というのもあるだろうけど、気を遣わせない暖かい関係、というのがこの世にあるような気がした。」本当に、気がつく人というのは、どうしてそんなに気がまわるのだろうと思うくらい、あらゆる所に先回りしています。そういう人というのは、気を遣わないで欲しいと思うときはちゃんと、自分の前には現れません。気の遣い加減というのも、自分のする行動を害さない程度に、習慣的に身につけることが最善だと思います。

また、自分のした好意が全て受け入れられると考えるのは、自分にも不快感を及ぼします。相手が、不快感を示したときにはさっと身を引けるようにすることもあると思います。他人に支えられてはいますが、自分の道を行くことは忘れないで、ささやかに添えるものだと思います。

「人と人とがうまい具合のバランスで愛し合うなんてことは到底無理なんだとしても、相手の中の自分の像が本当の自分自身とぴったり一致することもやっぱり絶対に不可能なんだろうな」相手の考えていることというのは絶対に解らないものです。解らないから知りたくなる。解らないから不安になる。自分を保っていくためには、架空であってもバランスをつり合わせなければなりません。

不安がってるところばかり見せられたり、つまらない顔ばかりされたり、そういうことは距離が近いからできるとも言えますが、それは本望ではありません。人によると思いますが、基本的に楽しんでいたいのだと思います。嫌なマイナスイメージの不安もどこかに飛んでいる近づいている時間。飛んでいないなのなら、自分の気持ちを分析してみます。それでもダメなら、きちんと聞きただして区切りをつけることも重要だと思います。そういうとき相手は、気分は悪くはないのでこちらに何もしてきません。時が過ぎれば、という気持でいます。バランスを取るためには、その場でピリオドを打つべきだと思います。

この本、「壊れゆくひと」は中途半端に壊れさせてくれます。その、中途半端さを狙ったのかもしれません。物語は解読できなかったけれども、時々の主人公の感情を分析することで、謎が解けたような感慨をもてました。まあ、物語的にはどこかちぐはぐしていますが、後に残る物は見つけられたような気がします。

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