深代惇郎の記述に
その先生は「LOVE」は異質な物を、「LIKE」は同質な物を求めることで、そこが違うのだという説明の仕方をしたとあり、よくわからない。たぶん異質な物の代表は異性なの?じゃぁ同質な物はケーキとかなわけ?うーんどこまでが異質で、どこまでが同質なのかよくわからない。まぁこの論理で行けば「I love ゴキブリ」とは言えて、「I like ゴキブリ」とはいえ無い訳ね。・・・でもよく考えるとぼくはゴキブリが異質な物であると思っているから「I love ゴキブリ」としか言えないが、本当に好きな人は同質な物とみとめてしまうかもしんないなぁ。
私は、人からはずれることなく作文が嫌いである。深代氏の記述にこういうのがある
文章が大切なのは、自分を表現するための理由だけでない、人間が物を考えるのに、それがほとんど不可欠な物だという点にある。もしかしたら、ぼくは学校でかく作文という物が苦手なのかもしれない。だっててきとうだけどここに文書いてるってこともある。結構みんな自分の行く道を築いてるんだけど、学校の作文は全くだめという人がいるんじゃないかなぁ(その逆もいると思うけど)。本読まない人が増えてるのはかなり事実っぽい。本読むのは結構苦痛と思うときの方が多い。読まさせられるって感じだからね。やっぱりテレビとか漫画のせいなんだろうか。
僕は、吹奏楽部の打楽器パートのパートリーダーをしている。もうその座についてから1年半にもなる。どのように後輩を指導するのかは、経験がないとなかなかうまく行かない。パン会社の舟橋正輝氏はこう言う
私は開拓の“拓”、拓くという字が好きです。手前味噌になりますが、我が社の自慢を言わせていただくならば、私以下社員の多くはゼロから出発しておりますので、いつでも裸にぶつかっていけるバイタリティーを持っているということです。何でここまで自信を持てるんだこのやろー。なんか自分のやり方にかなりの自信を持っておられる。拓くひらくということは各個人には何か秘めた物を持っていてそれを拓く事ができるということかな。んー、自分は初めに自分がしたやり方だと初めはうまく言ったけども、三ヶ月もしないうちにうまくいかなくなった・・。強いバイタリティーは自分にないのに。そこら辺は難しいからもうちょっと年が進んでからわかるかも。
舟橋氏が言うには
人はすべて不幸であるより幸福であった方が良いし、病弱であるより健康であった方が良い事は今さら言うまでもないことだが、何よりも、いかなる逆境にあっても、心の豊かさを失わない事が大切であるかを改めて思わずに入られなかった。逆境で、心の豊かさを失わないとは、逆に言えば普段心が豊かでなくてはいけないということでもあるのか。これは難しい。「心が豊」ってどんなんだ?わからない。たしかに、つらいときは考えが狭くなりそうではある。悪循環してはだめという事なんだろうか。
引用:深代惇郎『深代惇郎エッセイ集』朝日新聞社(1977)
舟橋正輝『続・パンに夢あり』フジパン株式会社(1992)
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