日本アニメーションの方に聞きました。制作取材のためにノースの家を探しに行ったら教会の裏にあり、うろうろしていたら誰かが警察を呼んだために、詰問されたそうです。訳を話すと、親切に借家の管理人を呼んでくれ、家に入れてもらった。カヌーを作った納屋の壁にはスターリングのイニシャル「S.N」が彫られていて写真に撮り、家の中もくまなく「取材」できたそうです。
その当時は、借家となって、「実在」していたことに、私は、感激しました。
アリスは、創作の人物です(もちろん原作には入っていませんが)。また夏に旅行したエピソードも創作されたそうです。たいていの原作は、1年間のテレビには、足りなくなるとおっしゃっていました。
放映の1週間前にテレビ局に持ち込むのが基本ですが、編集にぎりぎりまでかかり、2〜3日前になることもあったそうです。画面にゴミなどがあったり、アニメの動きがぎこちなくなるところもあったりで、無念の思いで「手放す」こともあったというお話をお聞きしました。
あらいぐまラスカル昭和53年に放映された人間とアライグマの友情を描いた作品。近頃はほのぼのとしたアニメが少ない。「ラスカル」、「フランダースの犬」などを手がけた日本アニメーションの当時のプロデューサー中島順三氏に聞いてみた。
「昭和49年度放送がハイジですから、会社も設立されたばかりで、若い人達が燃えたぎっていました。正確にはフランダースの犬からが日本アニメーションの作品となります。1週間に1回ずつ放送するんですが、時間が足りなく、泣く泣く手放さなきゃならないことがありました。」
○アニメは放送前のどの時点に完成するものですか?
「約束では1週間から10日前にテレビ局に持ち込むのですが、2日前になることもよくありました。」
○確かに時には画面がブレたりという所もありますね。
「当時のフイルムを見るとセルに相当キズがあったり、ほこりが舞っていたり、初歩的なミスが目立って恥ずかしい想いをするんですが、当時としてはやむを得なかった。けれども、子どもが満足すればそれでいいとか、子どもだましのものを作る積もりは全然なくて、大人が観ても充分鑑賞に耐えるものを作るという意識がみんなにありました。」○やっぱり、社長がすごかったんですね?
「そうですね、そういう意味ではスポンサーが理解を示してくれたのです。視聴率競争が激しいために、途中で終わるということも他の作品ではよくありました。あらいぐまラスカルは、カルピス食品が1社で提供されて、一生懸命に応援してくれました。」○景気が悪いとメーカーも渋くならざるを得ない?
「ハイジの頃から日曜日夜7時30分からのいい時間帯に親子で観られるようになりました。ラスカルでは原作にある水着のコスチュームのために、当時の水着を探したりと、空想で描いていたのではなく、実際に自然のアライグマを観に行ったりしていました。」
ラスカルの家○ラスカルは、小学館から原作『はるかなるわがラスカル』が刊行されています。
もしかしたら制作当時にスターリングに会えたとか?
「いいえ、もうお亡くなりでした。けれども現地へスターリングが少年時代に住んでいた家を探しに行ったんですよ。アメリカのウイスコンシン州に原作に出てくる教会がありますよね、カラスが住んでいる‥‥。」○ありましたか?教会が!
「ええ、教会のすぐ裏にスターリングの家がありました。見に行った当時は貸し家になっていました。日本人がその家の周りをウロウロしていたものだから、誰か連絡したようで、パトカーに呼び止められて何してるって?(笑)実はこうだからと言うと、家を借りている人を知っているからと呼んできてくれて、家の中まで見せてもらいました。裏には納屋があり、少年時代にスターリングがナイフで壁にいたずら書きしたSNという文字が残っていて写真に撮りました。田舎なので親切な人がスターリングの友人を連れてきてくれてアートカニンガムさんがお元気でした。悪口っぽく書かれた人はみんな仮名だと笑ってました。」
○アリスは実在の人物?
「創作です。1年間のアニメには普通の小説では足りず、夏キャンプの話、ラスカルの親が撃ち殺されたのも創作です。でもウェントワースの森まで行くなど色々な所を歩きました。」子どものときでなければ、育たないもの、目が開かないものがある。優良なアニメを見せることがどんなに価値のあることかを大人が認識していない。ぜひ世界名作劇場を復活して欲しいものである。
本文は、「あらいぐまラスカル」の制作を当時、担当されました日本アニメーションの中島プロデューサー(現在)に平成12年12月に取材された記事全文を、中島様およびある新聞社のご好意により転載したものです。私も、スターリングの家を見てみたい!
今も現存しているのでしょうか? どなたか、ウインスコンシン州の知り合いに調べてもらえたらいいですね。家の写真や、イニシャルの写真があったらいいですね。
ara\fanさん 2001/02/05
・・・というわけで、中島様のご好意によりara\fanさんを通じて日本アニメーションからお借りしたスターリング・ノースの家の写真です。'76年に撮影されたもののようですね。この写真の無断転載はお断りします。
あらいぐまラスカル2その家には、少年とともに、1匹のあらいぐまが住んでいました。心やさしい少年は、そのあらいぐまに、ラスカルと名づけました。
アメリカのウインスコンシン州の小さな町で、幼くして母を亡くした少年は、ウェントワースの森に親友オスカーとともに行き、あらいぐまの巣を愛犬ハウザーが樫(かし)の木の根元に発見します。穴から5匹のあらいぐまの赤ん坊が逃げ出し、オスカーは、その1匹を捕まえます。スターリングは、このあらいぐま に、ラスカル(やんちゃ坊主)という名前をつけ、大切に育てました。のちに、スターリング・ノースは、あらいぐまとともに過ごした数年間の思い出を、1冊の本にして出版、邦題『はるかなるわがラスカル』は、ダットン動物文学賞を受賞します。
彼の心の中には、成人してからも美しい動物とのふれあいが、永遠に残っていたのです。それは、動物を自分の親友のように、慈(いつく)しみ、かわいがった人にしか、その真の心情は、わかり得ぬものです。人の一生は約60年。動物の寿命は、ずっとそれよりも短い。犬、猫は長くて約10〜20年。小鳥は約3年。どんなに飼い主が精一杯尽くしても、いつかは永遠に別れる時が来ます。
スターリングもそうでした。ラスカルに愛らしさを感じるようになってから、心の奥底に秘めている不安は、ラスカルと別れる日が来ることのおそれです。
動物との永遠の別れは、必ずやってくる。だからこそ、今あるラスカルとの短い生活を大切にしたい。ラスカルにとって、何がいちばん幸せであるか、考え抜くのです。小鳥であれば、鳥かごの中にその一生を閉じこめてよいのかと、本当に小鳥のことを考える飼い主は自問するでしょう。大空を自由にはばたかせてあげたい、他の鳥たちと同じように。
けれども、鳥かごで育った小鳥は、満足に自分で餌を捕らえることができず、他の動物の餌食(えじき)になったり事故死する可能性が高いのです。
ならば、彼らがいかに幸せな人生を過ごせるか、を真剣に考えるのです。
命の尊さ動物をかわいがれば、かわいがるほど、別れのときの悲しみは大きい。けれども、人の一生のうちで、自分が真剣に愛せる対象があったことに、その人は大きな充足感をもって、その想い出を心の中に大切にしまっておくことでしょう。そして、その気持ちは真に人に与えることのできる優しい愛となるでしょう。
スターリングは、ラスカルを森へ返しました。自分のエゴイズムで、都会の中でラスカルを不健康なままで、飼い続けることもできたでしょう。ラスカルと一緒に過ごせる楽しさ、喜びよりも、動物のことを本当に考え、動物にとっての真の幸せを選択したのです。スターリングは、この実話を文学作品にして、世に残しましたが、彼がラスカルと過ごした約2年間の想い出に、一点の後悔もなかったはずです。
人の一生において、短い期間をともに過ごしてくれた動物たちへの献身的な愛情は、飼い主の犠牲的な精神から芽生えます。ですが、この物語(実話)は、これで終わりません。
その続きは、あなたの心が生み出していって欲しい、とスターリングは言っているはずです。
動物への愛情を持てない人は、人間に対しても愛情を真に確立させることができない。命の尊さ、生きている喜びと別れの悲しみ。それを乗り越える強さを培(つちか)えるのは、小動物の生きる幸せ、悲しみを知った人であり、彼らが人の世の幸せを真剣に考える人となるのです。
本文はara\fanさんが書かれた新聞のコラム記事を、同氏のご好意により転載したものです。2001/02/12