管理者: 水谷 喬次
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Profile

☆免許を取った動機☆

スパ西浦モーターパークにて '07年12月映画「栄光への5000q」を見てラリーをやりたくて 1969年1月普通自動車1種免許取得。同年4月JAFライセンス取得。トヨタパブリカ(空冷2気筒700t)を中古で購入。小生が初めて乗ったこの車は今ではもうほとんど見かけません。コラムシフトでヒーターが付いて無くて寒い冬の日、手にマメを作りながら箱根越えをしたのが懐かしい。燃費が非常によい車でした。

☆ラリーを始めた頃☆

スバルR2 AWD 群馬県嬬恋村にて1971年4月マツダファミリアロータリークーペ購入。この年、ラリー車に改造。社内ラリーに出てみる。結果は(-_-;) 1972年12月マツダサバンナGT(RX−3)購入。この車はレースで打倒スカイラインを目標に開発された車です。大変ジャジャ馬で(ファミリアクラスのボディにカペラに搭載されていた12Aのロータリーエンジンを積んでいた)はじめの頃は、そのスピードに付いていけず何度かコースアウトしたりスピンしたりしました。ターマックはとてつもなく速くまるで飛ぶ感じですが、グラベルになるとまるでダメでした。翌年、会社の自動車部に入部。本格的にラリーを始める。1973年〜1978年までラリー活動。

☆ミスター・ルマンと出会う☆

車輌をマツダオート東京に持ち込みラリーキットを組み込む。この時いろいろアドバイスをしていただいたのが寺田陽次郎氏。(今では、ミスタール・マンと呼ばれる人ですが、当時はまだ、片山、従野、武智、といったドライバー達と一緒にマツダワークスの一員で活躍されていて、例のスカイラインの通算50連勝記録を止めた'71年12月の富士500マイルレースを富士スピードウェイで見ていました。)

当時、ロータリーでラリーに参加する人は希で、オフィシャルの人からも“君の車はすぐ判るよ”といわれたりしました。排気音が独特で、エンジンブレーキをかけたときの“パランパンパン”と言うバックファイアの音が印象的でした。成績はそこそこで、入賞はするけれどなかなか優勝ができませんでした。'76年、コ・ドライバーが所有していた三菱ランサー(今では過去の遺物の感があるSUツインのキャブ)にスイッチ。この車は、パワーはあまりなかったのですが抜群のサスペンションで、非常に乗りやすい車でした。

☆結婚、そして現在☆

'78年4月念願の公認ラリー初優勝。この前年、結婚し子供もできたので競技から足を洗う。以後、メカニックに興味を持ったのと経済的理由から自分で車検を取ろうと思い現在に至る。最近は、“昔取った何とか”で山道をそれなりに楽しくドライブしています。今年からは、スノーロードにも挑戦するべく群馬県まで出かける予定です。

上の写真は現在の車です。スバルR2 S AWDスーパーチャージャー車

2005年01月01日

名 前:水谷 喬次
 生年月日:   1949年2月3日 水瓶座 血液型 A型
 住 所:   愛知県岡崎市

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