医療ケア

「医療的ケア」についての一考案


「当たり前のはずの事が当たり前に出来ない」日本の障害者福祉の世界では、この感覚に本当によくぶち当たる。女優の石井めぐみさんの子どもは、重度の障害を持っていた。この子が養護学校に通えなかった理由は「注入や吸引などの医療的行為を行うことで事故が起こった時に、東京都として責任が負えない」ということだ。 結局、親が付添って「医療行為」を行うという条件付でやっと入学が認められた。この子どものように、チューブによる経管栄養注入をしたり、たんなどを吸引する事などを「医療行為」「医療的ケア」と呼ぶ。これらの医療的ケアが、学校や通所施設で禁止あるいは制限されている為にその子の教育が制限されたり、親の過大な負担が要求されたりという不合理がまかり通っている。しかし実際には法律で禁止されているのではない。行政や学校が万が一の時の責任を取りたくない為に、運用上そのように行われている。
 医療的ケアは、一見大変なことのように見えますが、吸引、注入、導尿など、日常的に家庭で行われているし技術的にさほど難しくはなく、基本的な手順や注意を払っていれば、危険性は少ないのです。現実にこれらの行為が教員研修などの条件を整えながら、学校で教員によって長年行われてきた横浜市においては医療的ケアに関わる事故は生じていない。行政側の意識転換一つで、どれだけの障害児とその親が希望を持てるようになるか計り知れない。
 例外的に医療的ケアに対する自治体の先進的な取り組みも見うけられるが、全国どこに住んでも同じサービスが受けられるべきであるのは当然である。皆が横浜へ引っ越す訳にはいかないのであるから。現状では多くの場合「医療的ケア」を行う為には家族の同行が条件とされている。これが困難な場合は通学や通所が望ましい子でもそれを断念することになる。
 基本的に安全である行為が形式的に「医療行為」とみなされ、学校の先生や施設の職員によってなされないことが、子どもの学校へ通う権利を制限したり家族に不必要な負担を強いる事になっている。重度の障害を持っていてもチューブをつけていても、子どもには学校で学び友達や先生と関わる権利を有しています。何よりもそのことで心身ともに大きく成長するのは、健常児と全く同じである。
 そして、子どもが学校へ行っている間、自己実現の為に仕事をしたり、趣味を行ったり、休息を取ることはわがままなことといえるだろうか。障害児の親はいつも何かに懺悔して、しょく罪のため耐え忍ぶ事をしていなければいけないというのであろうか。 子どもの生命の輝きを引き出す為に、家庭でしていることを学校でもして頂きたいというのはわがままなのだろうか。決してそうではないと思う。
 いわゆる吸引や注入を「医療的行為」と捉えるのではなく、勉強の為には机やイスを整えると同じ様に、チューブは学ぶ為に必要な環境ととらえれば問題は一気に解決へ向うはずである。
   ・先生や職員が医療的ケアを実施する事
   ・学校に看護婦を配置する事
   ・修学旅行や校外学習に看護婦が同行すること
   ・保護者の訪問看護利用料に助成金を
   ・看護婦資格のある養護教諭の配置
   ・ホームヘルパーが医療的ケアを行えるようにすること

さらに前向きに考えれば、先生が医療的ケアを行うことで、子どもと先生との気持ちが通じ合い、子どもの成長にとても良いと思う。いつまでもこの問題を「責任」の押し付け合いに終始するのではなく、横浜市のように皆が考えてお互いにできることを協力して行い、全ての子が楽しく学校で学び遊ぶ権利を保障したいと思っている。

「医療的ケア」に対する積極的取り組みの例
東京都 「救急体制整備事業」
事前の診断書⇒指導医の検診⇒主治医の承認⇒担任の研修⇒医療的ケアの実施
滋賀県 県の養護学校では、学校での医療的ケアに対応してもらえる訪問看護
ステーションと連携(契約は保護者とステーションとの個人的関係)
宮城県 「要医療行為通学児童生徒学習支援事業」
医療的ケアを必要とする子の保護者の付き添い負担の軽減を図る為保護者が訪問看護ステーションを利用し、その料金について県が保護者に助成する
横浜市 ケアを「医療行為」ではなく、「生活行為」と位置付けて、障害児医療の専門医による教員への指導を行っている

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