障害者差別禁止法(日本版ADA法)制定を目標とします!!

 私は常に「市民が主役で社会的弱者に温かい政治」や「競争から共生へ

などのスローガンを掲げ、福祉のノーマライゼーションあるいは社会のバリア

フリー化を推進すべきと提唱して参りました。

 しかし、依然として世の中には、様々な不条理(自ら責任を負わなくてよい

ことで、不幸、貧困に陥る事)や差別や偏見が存在していることを認めざるを

得ません。これを放置しておくことこそ、政治の怠慢といわれるべきでしょう。

 例えば、障害者の雇用状況は厳しいものです。大企業は、障害者の法定

雇用率1.8%が課せられていますが、守らなくても不足する一人あたり5万

円の罰金で済まされています。

 また、いろいろな「欠格条項」が障害者の社会参加や能力を生かすことを

妨げています。そして、あまり表にはでないことですが、特に精神障害者や

知的障害者が刑事事件に巻き込まれた時の人権の確保は、大変困難であ

るのが実情で、冤罪事件の温床となってしまっています。

 従って 私は、  1.障害者の雇用確保

           2.欠格条項の廃止

           3.障害者をめぐる司法制度改革など

を通して、アメリカのADA法をお手本として、全ての人の機会の均等を保障

する障害者差別禁止法(日本版ADA法)の制定を目指したいと思います。

 

 障害者に対する差別や虐待は何故いけないのか?! 

当たり前のことですが、その理由を自分なりに列記すると、

次のような事がいえるのではないでしょうか。

(1)障害者が社会に適応できるよう「何かをできるようにさせたい」などと思うより以前に

  その人(子)の存在そのものを愛することが大切です。言葉を変えれば、「人としての

  尊厳を認める」「人として尊ばれる」ということではないでしょうか。すなわち、例えば、

  赤ちゃんは、何もできなくても人として愛される、と同じ意味合いです。存在そのもの

  が尊いのであって、先生のいう事をよくきくから・・とか、何かが出来るようになったか

  らとか、尊ばれるということではないということです。

    存在そのものを肯定し、愛することが当たり前のように、通用する社会であってほ

  しいと思います。だから、障害者もまわりに迷惑を掛けないよう「愛される障害者」に

  なることを押しつけられる事は無いような世の中であって欲しいと思います。

(2)(1)のようなことを忘れると、今を認めなくなり、”よくしてやろう”という思想が先走り

  それについていけない子や、ずれたりする子を叩く大人が出現してしまいます。する

  と、このことに熱心な先生には、親も口出しできない事が起こります。「先生は大変

  なことを教育してくれているのだから、多少の事には目をつぶらなくてはいけない」と。

  周囲が思ってしまったら、当事者である子ども達はまさに地獄です。むしろ、「よかれ」

  と思って行われる体罰程やっかいなものはありません。

(3)たたかれてうれしい子どもはいるはずがありません。これは、障害の有無に関わりな

  くです。そして、障害児は、ひたすら訓練、訓練に明け暮れ、少しでも「健常児」に近ず

  くという、もっともらしい理由のもとに、ひたすら耐えることを強制されています。

(4)又、福祉の選択の狭い日本では、施設や先生に反抗すれば、もう行き場はありませ

  ん。そこにも、体罰を受けた子が泣き寝入りする理由があります。

(5)だからこそ、日本において障害者に対する差別、人権侵害、虐待を禁止する法律を

  明文化しなければなりません。