奥平貞勝の墓所


戦国智将奥平平九八郎貞勝の生涯は波乱に富んでいる。今川・織田・徳川・武田の四勢力
の間に処した貞勝の苦闘ぶりは余り戦史に記されていない。彼が元亀年間から武田方も
属したからである。
 天正10年勝頼敗北後、現山梨市中村から次男常勝を伴って帰り自身は当地田代城に
常勝は作手小田城に入った。貞勝は死一等を免ぜられるが、常勝は家康に切腹を命ぜられた。
それから後14年間、貞勝は子や孫の出世を静かにこの地で過ごし、文録4年(1595)84歳の
生涯を閉じた。
 現墓所は昭和50年に移転されたもので、貞勝の墓は左端の宝筐印塔で、基礎の正面に
奥平平九八郎の刻銘がある。
 向かってその右側の五輪塔が常勝の墓といわれ、常勝の位牌は天恩寺で発見された。
墓所の左下にある碑は奥平家十七代昌信氏の揮毫によるものである。


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