猪    垣


 万里の長城ともいえる猪垣の起源は近世中頃といえよう。町内男川上流60キロに
わたって構築されていた。
 全国調査の結果に微しても、万足平猪垣は類まれにみるもので、昭和56年に
愛知県文化財に指定された。

 宮崎地区の山は深くて田畑が極めて狭い。幕府への上納割りも多いのに、猪・鹿・猿
等の被害は甚大。飢饉の年には飢え死にの人さえ生じている。上納の苦しみからのがれ
たい一心で、百姓が考えたのがこの猪垣である。古文書でみる構築の時期は延享3年
(1746)から幕末にかけてである。
 万足平猪垣は二期にわたって構築され、西ぼたの入り口より東は文化2年(1805),
西北部の乙川流域には猪垣がきわめて少ない。猪垣の高さは2m、上面巾0.6m、
下面巾1m位で、外側が土手の場合もある。


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