伝統の三河花火(8)ー岡崎を中心に、その歴史と見方ー


 
 ー玩具花火ー

 それまで木製の筒で打ち上げ花火を出していたが大正十年
(1921)頃、鉄製の打ち上げ筒の製造に成功し、尺玉、
二尺玉といった大きな打ち上げ花火が上げられるようになっ
た。
 昭和になると、打ち上げの技術が進んだ。連続的に打ち上
げる「早打ち」や「追い打ち」、小さい玉から大きい玉へと
打ち上げる「段打ち」という手法である。単発の打ち上げか
ら、リズミカルなものになった。
 早打ちや追い打ちの花火玉は、玉の上部にしっかりとした
把手(取っ手)を付け、下側に発射火薬を取り付ける。垂直
に打ち上げ筒を固定し、螺旋状か円形の鉄板を真っ赤に焼い
て筒の底に入れておき、筒に次々と玉を入れるのである。
 普通の早打ち十発から二十発ほどで、五十発、百発と連続
して打ち上げるには、筒を何本も用意しておく。
 段打ちは単発の打ち上げ方と変わりはない。いろいろなサ
イズの筒を用意して、次々と打ち上げる。
 単発の打ち上げ方は、筒に発射薬(黒色火薬)を入れ、花
火玉の竜頭(玉の導火線の反対側の頂点)に紐を通して玉を
静かに降ろし、筒底にしっかり定着したか確かめる。そして、
筒口から種火(シントル)を投げ入れる。筒と玉の間に、筒
の五%ぐらいの隙間ができるように玉がつくられでいるので
隙間を通って発射薬に点火すると、爆発を起こして打ち上げ
られる。昭和の打ち上げ花火はダイナミックになった。
 明治、大正期に考案された玩具花火が量産され、一般の家
庭で花火を楽しむようになったのは、昭和になってからであ
る。
 玩具花火の筒は葦や竹を利用していたが、昭和三年(19
28)頃から紙管になった。紙管の製造によって玩具花火の
大量生産ばかりでなく、その種類を増していった。昭和前期
は玩具花火の発展期である。
 太田続吉がつくり出した「乱玉」が量産できたことは、玩
具花火にとって画期的なことであった。赤、青、縁の星が火
を引いて上昇する。三発から五発、七発と連発する。
 連続して星が打ち出る乱王に対して「一発もの」がある。
単発ではあるが、打ち上がる星が大きい。やがて、星が再上
昇した瞬間、破裂する一発ものも作られた。
 成瀬晋吉の義弟・加藤徳雄は煙幕弾を改良し、音薬を入れ
て爆発音を発する「2B弾」をつくり出す。
 安城桜井出身の石川孫一郎は成瀬晋吉から技術を学び、加
藤の後を継いで2B弾の研究を重ね、昭和十三年(1938)
に「高射砲」と呼ぶ一発ものを作り出した。戦時色が反映さ
れてきた。 
 色火薬を入れた紙を紙縒(こより)状に巻いた「ロ一ビ」に、
アルミニウム剤を混用して、一段と色彩鮮やかな「玉スダレ」
という玩具花火が作られる。ロービや玉スダレを少レ大型化し
竹籤(ひご)の先に巻きつけた玩具花火もつくられた。こうし
た花火を「撚(ひね)りもの」という。 

  

 

 

 


 

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