blueball.gif (1613 バイト)  古龍の武侠小説  blueball.gif (1613 バイト) 


さて、前回の金庸に引き続き、今回は古龍の武侠小説を紹介する。古龍の作品は金庸のとは異なり、あまり詳細な時代設定が成されていないし、実在の人物も登場しない。(但し今まで翻訳された作品ではの話だが。)そして他の作家に比べてミステリー色が強い。これはどうやら、作者が欧米の探偵小説を愛読し、その影響を受けていたかららしい。

何より見逃せないのは、個性豊かな主役たちである。金庸の作品の主人公は茫洋として無個性な人物が多かったが、こちらは楚留香や『辺城浪子』の葉開を始めとしてみなキャラクターが立っている。『楚留香』や『陸小鳳』はシリーズ化されて何作も出ているというが、これもひとえに主役たちに魅力があったからであろう。

古龍作品の翻訳は今の所、文庫に新書と手に入れやすい形体で出版されている。この紹介を読んで作品に興味を持ったら、是非とも書店で手にとってもらいたい。


楚留香蝙蝠伝奇
土屋文子 訳・小学館文庫・全三巻

主人公・楚留香(そりゅうこう)は瀟洒な美青年であり、盗みの現場に残り香を留めて去っていくという侠盗である。楚留香と親友の無頼漢・胡鉄花は、華山派の女頭目・枯梅大師とその弟子・高亜男を追って船に乗り込み、蝙蝠島(こうもりとう)を目指すが、船中で二人は殺人事件に見舞われる。蝙蝠島の謎とは?そして島の支配者・蝙蝠公子の正体とは?

実はこの訳書、『借屍還魂』『蝙蝠伝奇』の合編であり、上巻が『借屍還魂』、中・下巻が『蝙蝠伝奇』という構成になっている。『借屍還魂』の方は、ある少女が息を引き取った直後に別人の魂が入り込んで蘇るという、奇怪な事件に楚留香が遭遇し、その蘇りの真相を解き明かしていくというものになっている。この上巻はほぼ推理小説といってしまっていい内容である。また『蝙蝠伝奇』の方も、私が昔愛読した『怪盗ルパン』シリーズに物語の雰囲気がよく似ている。(ルパンシリーズとの類似性については、「解説」で田中芳樹氏も指摘されているが。)

この作品は、歴史ロマンを中心とした金庸の作品とはまた違った武侠小説の顔を見せてくれている。この『借屍還魂』や『蝙蝠伝奇』以外にも楚留香が活躍する作品が何編か書かれており、シリーズ化されているという。これら続作の翻訳も待たれるところである。

陸小鳳伝奇
阿部敦子 訳・小学館文庫・全一巻

天下一の遊び人・陸小鳳とその親友・花満楼は、滅亡した金鵬王朝(きんほうおうちょう)の子孫と称する上官丹鳳に出会う。そして彼女とその父・大金鵬王から、王朝復興のための財宝を奪った三人の重臣の行方を追うよう依頼される。二人はからくり名人の朱停・無敵の剣客・西門吹雪(せいもんすいせつ)らの協力を得て重臣たちを捜索するが、陸小鳳は捜索を進めるうちに、大金鵬王たちにきな臭さを感じ始める…

『楚留香』とともにシリーズ化された、古龍のドル箱の一つ。『楚留香』が初代の怪盗ルパンなら、こちらは『ルパン三世』と言えようか。我らが陸小鳳は女と酒をこよなく愛する遊び人で、『ルパン三世』の次元や五右衛門の如く、一芸に秀でたスペシャリストたちを友人に持っているのである。個性豊かなキャラクターのおかげであろうか、裏切りや陰謀が渦巻くハードな内容でありながらストーリーの雰囲気は割合に明るい。

そのスペシャリストとは、主人公にして「四本眉毛」の陸小鳳、その相棒で盲目の美青年の花満楼、冷徹な剣客の西門吹雪、からくり名人の朱停、大泥棒の司空摘星といった面々である。彼らの絶妙なやり取りやチームワークが実に楽しいのである。

内容的にはたいへん面白いのであるが、本作は全一巻であり、量的には不満が残る。やっぱり全三巻ぐらいの長編で彼らの活躍を楽しみたいものである。また、こういう楽しいキャラクターを『陸小鳳伝奇』一作のみに押し込めておくのは実にもったいない。続作の翻訳が是非とも望まれる。

聖白虎伝 (原題 白玉老虎)
寺尾多美恵 訳・エニックスアジアンファンタジーノヴェルズ・全四巻

主人公・趙無忌は、武林(侠客たちの社会)に名を馳せる大風堂の幹部・趙簡の息子である。しかし趙無忌の婚礼の日に、趙簡は何者かに惨殺されてしまう。彼は父の仇を追って旅に出るが、行く先々でばくち狂いの軒轅一光、男装の美少女・連一蓮、そして陰陽怪気を操る強敵・唐玉など、奇怪な人物に出会う。そうして行き着いた先に待ち受けていたのは、驚くべき事実であった・・・

小学館文庫の諸訳本を読んだ人がこの本の表紙を見ると驚いてしまうかもしれない。なにせ表紙イラストがいかにもという感じのアニメ絵なのである。『楚留香』や『陸小鳳』が「アジアハードボイルド」として渋いイメージで売り出していたのとは、えらく雰囲気が違う。

中身の方も完全に中高生向きに読みやすくなっている。翻訳のコンセプトが違うと、同じ作者の作品でもこうも雰囲気が違うのかと感心させられたぐらいである。これがしっかりした訳だったら軽い雰囲気でも文句は無いのだが。ところがこの訳文、困ったことに原文を読んでなくても何かおかしいのじゃないかと読者に思わせてしまうのである。そしてストーリー上の伏線も、広げるだけ広げておいて一向に畳まれる様子が無いし、物語の終着点には「ドンデン返し」というよりは「開いた口がふさがらない」という類のラストシーンが待ち受けている。翻訳のまずさと元々の原作のヘボさが合わさってトンデモ二重奏が奏でられているというわけである。

前回の金庸の武侠小説の紹介で、『雪山飛狐』のラストシーンがひどいといった事を書いたが、こっちに比べたらまだマシのような気がする。そもそも『雪山飛狐』の場合、ラスト以外はよく出来ているわけだし。この『聖白虎伝』は武侠小説の底辺がどんな物かを知るうえでは貴重な資料と言える。

歓楽英雄
中田久美子 訳・学研歴史群像新書・全三巻

江湖に名高い富貴山荘に集うは、大雑把な性格の郭大路・度を超したものぐさである王動・今まで七度死にかけたという燕七・世間知らずのお坊ちゃん、林太平の四人の英雄たち!四人は友人として毎日面白おかしく暮らすが、彼らにはそれぞれ暗い過去があったのである。そしてその過去が原因となって、四人に数々の奇怪な事件が降りかかる・・・

笑いあり、涙あり、そして格闘ありの武侠喜劇。コメディタッチなので、始めて武侠小説を読むという人にもとっつきやすいと思う。全十七章で、一章ごとに一つのエピソードが完結するという連作短編の形になっている。個性あふれる四人の主人公の貧乏ぶりと、郭大路と燕七の掛け合いが特に楽しい。

私のお気に入りは次のような場面。林太平が富貴山荘(実は名前と正反対のボロ屋敷なのだが)に居着いてからまだ間もない頃の朝のこと。彼は洗面のための桶と布を探すが、王動はそんな物は無いという。かといって洗面をしないわけでなく、王動ら三人は三日に一度に小洗いを、五日に一度大洗いをすると言うのだ。王動は手本を見せてやるとばかりに、まず口に水をふくませる。そして汚れで醤油色になってしまった布に口から勢い良く水を吐き出し、そしてその布で顔を拭く。驚愕する林太平。

  「それって、まさか小洗い……なんですか?」
  「違う、大洗いだ。小洗いでこんな面倒なことするわけないだろう?」

こんな楽しい場面が随所に出てくる。しかもこれが単なるギャグで終わってはいなのである。上の「小洗い・大洗い」の場面の直後には、次のような王動のセリフが発せられるのだから侮れない。

  「心が汚れている人間は、いくら洗っても、きれいにはならんもんだ」

小学館文庫の『楚留香』などとは違い、わりとひっそりと売られている感があるが、実はこれもかなりお奨めの作品なのである。

辺城浪子
岡崎由美 訳・小学館文庫・全4巻

武林に名を馳せる関東万馬堂。その当主の馬空群は、主人公の葉開(しょうかい)や傅紅雪(ふこうせつ)ら数人の侠客を屋敷に招くが、屋敷に招かれた侠客や万馬堂の豪傑たちが次々に、何者かに殺されていく。馬空群はこの殺人を、十数年前に自らが惨殺した神刀堂の生き残りによる復讐と考え、犯人を探らせる。そして捜査の手は葉開や傅紅雪、そして彼の愛人・沈三娘(しんさんじょう)にも伸びて…

陽気で軽い性格の風来坊・葉開と、全身黒ずくめの復讐鬼・傅紅雪の、対照的な二人の青年が主人公である。古龍の代表作にして、チャイニーズ・ウエスタンの傑作。本当に人物名を漢字に変え、銃を剣や暗器に持ち替えた西部劇である。怪盗・ルパンを侠盗・楚留香に置き換えた『楚留香』シリーズといい、このあたり武侠小説というジャンルの懐の深さが感じられる。物語の方は、殺人事件の犯人や、主人公の一人である傅紅雪の正体といった謎が次々に提示され、読者の心をつかんで離さない。

物語の内容自体は過去の因縁物であるから、人間の感情のドロドロした部分が描かれていてかなり暗い。そんな陰惨な雰囲気の中、葉開の快男児ぶりが大きな救いとなっている。タイプとしては金庸『笑傲江湖』の主人公・令狐冲に似ているが、令狐冲よりは遙かに精神的に成熟している。実はこの葉開にも、傅紅雪と同様に色々と謎が隠されているのだが、それは読んでのお楽しみ。

ところでこの作品中に古龍の代表作の一つ・『多情剣客無情剣』のキャラクターが登場する。『聖白虎伝』も『陸小鳳』シリーズの次世代の物語という位置づけになっていて、所々で陸小鳳たちの逸話が語られるが、古龍はこういう読者サービスをするのが好きだったのだろうか?


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