| 冷血系大指揮者(第二資料室) |
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| ミヒャエル・ギーレン | 1927〜 | ||
| ピエール・ブーレーズ | 1925〜 | ||
| ヘルベルト・ケーゲル | 1920〜1990 | 70 | |
| ヘルマン・シェルヘン | 1891〜1966 | 75 | |
| ハンス・ロスバウト | 1895〜1962 | 67 | |
1927年7月20日 ドレスデン生まれ
1940年(13) アルゼンチンに移住。哲学、楽理、ピアノ、作曲を学ぶ
1949年(22) ブエノスアイレスでシェーンベルクの全ピアの曲を演奏
1950年(23) ウィーン国立歌劇場のコレペティートア、指揮を勤める
1960年(33) ストックホルム ロイヤルオペラ音楽監督
1968年(41) クリュイタンスの後任としてベルギー国立管弦楽団 主席指揮者
1975年(42) 初来日
1977年(50) フランクフルトオペラ芸術監督
1978年(51) BBC交響楽団 主席客演指揮者
1980年(53) シンシナティ交響楽団 音楽監督
1986年(59) 南西ドイツ放送交響楽団 主席指揮者
| ベートーヴェン Sy.No.2,8 | SWFSO | '96 | EMI 5 60091 2 | |
| ブルックナー Sy.No.7 | SWFSO | '86 | LB 0023 | |
| ブルックナー Sy.No.9 | SWFSO | '93 | EMI 4 71686 2 | |
| マーラー:交響曲第2番「復活」 シェンベルク:コル・ニドレ クルターク:墓石 |
SWRSO バンゼ/カリシュ |
'95 | Hanssler CD93.001 |
|
| マーラー:交響曲第8番「千と・・・」 | フランクフルト歌劇場O? | '81 | SC SBK48281 | |
| マーラー:交響曲第9番 | SWFSO | '90 | INT 5 44054 2 | |
| マーラー:交響曲第3番 シューベルト:ロザムンデの音楽 ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品 |
南西ドイツ放送SO カリシュ(A) フライブルク聖堂少年合唱団 |
'97 | Hanssler CD93.017 |
|
| マーラー:交響曲第6番 ベルク:3つの小品 シューベルト:交響曲第10番第2楽章(ニュー・ボールド版) |
南西ドイツ放送SO | Hanssler CD93.029 |
||
| ★遅めのテンポでじっくり聴かせます。驚くべきはオケのうまさと、ギーレンの解釈。インターコード時代とは比べようもない両者の円熟ぶり。またカップリングのシューベルトが拾いもので、この曲だけでも聴く価値あり、美しい曲です。録音も抜群で6番のハンマーも決まっています。(広告文) | ||||
| マーラー:交響曲第7番 | 南西ドイツ放送SO | '93 | Hanssler CD93.030 |
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| ブルックナー:交響曲第3番 ワーグナー:ローエングリン前奏曲 |
南西ドイツ放送SO | Hanssler CD93.031 |
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マーラー 交響曲第9番
ギーレンのマーラーが最近ようやく届いた。ギーレンのレコードはなかなか手に入りにくい。まさに希少盤と言えよう。
私は、この曲を聴いていると、いつも退屈してしまうのである。最後までもたない。6種類ほど聴いてみた。しかし、いずれの演奏でもこの曲の良さが分らなかった。
もしかしたらこの曲自体が、実は大したことないんじゃないの?と懐疑的になっているのだ。
神だの仏だの宇宙だの大騒ぎするけど、単なる「幻想」か妄想じゃないの。マーラーは全体的にとりとめのないところがあるし。(悪く言えばだらだら流れているだけ。)
ところが、である。この演奏では妙に納得感があるのだ。飽きずになんとか最後までもたせてくれるのだ。もとよりギーレンのこと、「何もしているわけではない」。極端にいえば単なる音の羅列だ。
しかし、一部の指揮者に見られる(らしい)ような、マーラーの苦悩そのもののような演奏よりも、少なくとも今の私には、ギーレンのこういうロマンティック(どこが?)な演奏のほうがピンとくる。
決して神々しくも荘厳でもない。しかしひたすら美しい。マーラーの美の世界とは、本当はこういう空虚なものなのではないのだろうか。
だが、このレコードで特筆すべきは、録音が「とびきり」素晴らしいことである。ホールそのものか、あるいは録音設備が良いのかは不明である。
EMIはいったい何を考えているんだろう。こんな素敵なレコード(レーベル)を埋もれさせてしまうとは。(INTERCORDのギーレンエディションは、どれも廃盤寸前の瀕死状態!)
そして、もう一方の雄?ブーレーズである。
私は今、このレコードを目の前にして、これがなぜここ(手元)にあるのかよくわからない。いつ買ったのかも定かでない。おそらくなにかのついでに冗談半分で買ったとしか思えない。
ブーレズもギーレンに負けず劣らずクールである(そうだ)。
だがここでのブーレーズはそうは感じられない。この音楽に共感してしまっているのだ。大げさなのである。それがまたなんともウザイのである。聴いていて恥ずかしくなってしまうのである。
これでは冷血指揮者の名が泣く(誰もそんなことは言ってないか?)。
ギーちゃんに比べりゃ、ブーちゃんはまだまだですね。
(2000/10/14)
マーラー 交響曲第2番「復活」
このレコードは、ある理由からかなり長く入手困難な状態が続いていた。私にとっては久々の「待望」のレコードであった。早く聴きたいなーと思っていた。それがようやく入手できた。
このレコードは珍しくINTERCORDでもEMIでもない。初めて聞くレーベルである。しかし、これは明らかな正規盤である。クレジットがしっかりしている。そして、これまた素晴らしい録音なのである。
私は近い将来、このギーレンも今世紀(21世紀?)最後の巨匠として祭り上げられる(いや、崇められる)のではないかと予感する。
すると今までバカに(あるいは無視)していた「一流評論家諸氏」が、こぞって絶賛する側に回るのだ。
すでにその兆しは見える。なんとあの諸○○生先生がべたぼめなのである。先生がギーレンファンであったかどうかは知る由もないが、私ゃこの記事にぶっ飛びましたよ。へー、時代も変わったもんだなーと。(レコ芸2000年9月号)
だがこの記事には他にも面白いことが書いてある。私は思わず笑ってしまった。
このレコードのリリースが「横行する海属盤対抗策」であるというのだ。
もし海属盤が横行していなければ、こんな素晴らしい演奏が世に出ることはなかったというのである。埋もれたままであったというのだ。笑止千万である。(・・・俵コータローでした)
海属盤メーカーの「見る目」のおかげで、その素晴らしさに気づいたと言っているのだ。何という見識の低さであろうか。恥ずかしい。
「いや、その素晴らしさは元から知っていたよ。」と言い訳するなら、それをそれまで世に問わなかったレコード会社の存在意義はいったいどこにあるのか。
このような偉業(なんて誉めなくてもいいんだけど)をなさしめる原動力となった「海属盤の横行の功績」は多大なものがあると言えよう(これぞ偉業!)。
蛇足?であるが、演奏は一言「素晴らしい」。これは冷たいが透明な水晶のような美しさである。どこまでもピュアだ。「純音楽」といってもいいだろうか。
この曲も若書きで、実はかなり恥ずかしい曲だ。これはその恥ずかしさをあまり表に出さないように配慮した、ギーレンの大人の優しさを感じる演奏である(・・・なんという迷言!)。
ソプラノがユリアーネ・バンゼであることも「買い」だ。
そして、特筆すべきはこの値段である。1400円弱である。しかも2枚組である。しかしこれは実質1曲だ(穴埋めにオマケはついているが)。
こういう値段で、ちゃんといいものが提供でき、メーカーも(当然)採算がとれるのだ。
未だに20年前の新譜を、恥ずかしげもなく2枚組5600円のフルプライスで、さっぱり回転せずにパッケージに日焼けや黄ばみをつくり(ニオイまでしそう)、倉庫のこやしにしているメーカーはよく見習って欲しい。
(2000/10/15)
ブルックナー 交響曲第9番
無味乾燥・非人情・ひねくれ者・犯罪者・火星人・毒性薬物系等、彼を賞賛する形容には事欠かない。
だがこのブルックナーは、果たしてどうだろうか。
私は、この曲で「泣ける」なんてことは決してありません。急に暴力的に金管が吠えたり、破壊的に打楽器が襲ってきたり。まさに地獄の黙示録の様相を呈している。泣けるどころか「驚愕」ではないかとさえ思うこともある。
我が尊敬する文豪(評論家なんて書くと失礼な気がするから)鈴木○史氏の曰く「われ関せずというほどの無関心さ、冷徹さ」が、いかほどのものか、と大いに期待して聴いてみた。
しかし、全くあてが外れた。別にそういうわけでもないじゃないですか。先入観で聴くからそう言う風に「も」聴こえるだけじゃないのだろうか。
これは、実にメロディアスに、適度に有機的にとうとうと流れて行く。停滞感がない。考え込んでしまわないのだ。そして必ずしも無機質だともいえない。
どこにも非の打ち所のない「立派なスコア通り」の音楽ではなかろうか。これでなにが不満だというのだ。○ラヤンだと許されて、ギーレンでは許されないのか。(ブル#9に関しては、○ラヤンもあまり許されていないようであるが。)
さて、このレコードもINTERCORD原盤のEMIである。重ねて申し上げるが、これまた素晴らしい録音である。楽曲よし(ヨイショ!・・・してどうすんだ?)、演奏よし、録音よし。三拍子揃った名盤である。
ここで、彼の名前にも注目して欲しい。彼もまた「大いなる天(神)の使い」であるのだ。(ミカエルとは第一の天使であるということ)
それが音楽にどう関係するのだ、と言われれば明快な答えは用意できない。
だが、本人もそれを意識しているんじゃないだろうか。神の使いとして音楽を奏でているのだと。
私はそう信じたい。
(2000/10/15)
敢えてギーレンのマーラーは買わない
マーラー:交響曲第2番「復活」
ギーレン他(hanssler)
hansslerによるギーレンのマーラーシリーズが順調にリリースされています。誠に喜ばしいことです。
このマーラーの2番。すでに何回も取り上げていますが、一言、いいです。シェルヘン盤と双璧です。
このシリーズ、どうやら全集に発展しそうな模様です。
最新盤の7番は旧インターコード盤の焼き直しのようです。ということはギーレン、よほどその演奏が気に入っていて、再録音の必要なし、と判断したのでしょうか。
私がギーレンに興味を持った時には、インターコードのほとんどのレコードがすでに入手困難な状況で、大変残念に思ったものです。
しかし、待てば海路の日和有り。最近の再発掘ブームも手伝って、却っていい状況になってきました。
しかし「ギーレンのマーラーは買わない」
このタイトル、ちょっと誤解を与えかねませんが、ギーレンのマーラーだけを買わない、という意味ではありません。私は当分マーラーは買うつもりはない、という意味です。
私が好きな順は4番、5番、2番、9番、1番・・・以下同文。
そして普段聴きたいと思うのは4番、せいぜい5番まで。それ以外は「必要」がなければ、ま〜ず聴きません。ですから、聴かないレコードは買わない。
ギーレンが4番や5番を出すかどうかわかりませんが、これらが出れば買います。
しかし、ギーレンのマーラーは広く勧めたい。マーラー嫌いの人にこそ敢えて強く勧めたい。ギーレンならマーラーに開眼できるかもしれません。
またhanssler、これも強く推薦したいレーベルです。具体的には人選優秀、録音優秀、価格優秀(廉価)。三拍子揃っています。是非どうぞ。
2002年1月24日(木)
1925年 フランス・ロワール生まれ
1946年(21) マドレーヌ・ルノー劇団、マリニー劇場音楽監督
1967年(42) クリーブランド管弦楽団 主席客演指揮者
1971年(46) BBC交響楽団 主席指揮者。ニューヨークフィル 音楽監督
1975年(50) IRCAM所長
| ベートーヴェン Sy.No.5 | ニューフィルハーモニアO | '68 | SC SRCR 2510 | |
| ブルックナー Sy.No.8 | ウィーンPO | '96 | DG POCG 10233 | |
| マーラー Sy.No.4 | クリーヴランドO | '98 | DG POCG 10252 | |
| マーラー Sy.No.7 | クリーヴランドO | '94 | DG POCG 1956 | |
| マーラー Sy.No.9 | シカゴSO | '98 | DG POCG 10072 | |
なんだかんだ、と言いながらマーラーが何枚か、たまっている。
4番は、ソプラノのバンゼを聴くため。
7番は、この曲を初めて聴くのに「1枚組」で新譜であり、録音も良さそうだったから。
9番は、ほんの出来心だ。財布に余裕があった時だろう。
いずれもロクな理由で買ったものでははない。しかし振りかえってみると、いわゆる一つのリファレンスにするには最適なような気がする。
また、このマーラーシリーズはDGの誇る4Dオーディオ録音である。これは素晴らしい録音技術だ。特筆に価する。皮肉なことに「音響作品」としては超一流の仕上がりになっている。
ある人たちの間では、「ブーレーズの新録なんて、オーディオチェック用にしか使われない」と言われているのも大いに頷ける。
1920年7月29日 東ドイツ、ドレスデン生まれ
1949年(29) ライプツィヒ放送響
1968年(48) ドレスデンフィル
1990年11月20日(70) 自殺により没す
| 1 2 3 4 5 |
ベートーヴェン
Sy.No.1,3 ベートーヴェン Sy.No.2,7 ベートーヴェン Sy.No.4,5 ベートーヴェン Sy.No.6,8 ベートーヴェン Sy.No.9 |
ドレスデンPO | '83 | LL 15 947 |
| 6 7 |
ベートーヴェン
Sy. No.3 ベートーヴェン Pf協 No.3 |
ドレスデンPO クリーン |
'82 | LB |
| 8 | ベートーヴェン Sy. No.9 | ライプチヒ RSO | '77 | SACD |
| 9 | ベルリオーズ 幻想Sy | ドレスデンPO | '86 | BC 2148 |
| 10 | ブラームス Sy. No.1 | ライプチヒ RSO | '61 | ODE ODCL 1008 |
| 11 | ブラームス Sy. No.2 | ライプチヒ RSO | '71 | ODE ODCL 1009 |
| 12 | ブラームス Sy. No.2 | ライプチヒ RSO | '70 | ODE NO NUM |
| 13 | ブラームス Sy. No.4 | ライプチヒ RSO | '62 | ODE ODCL 1010 |
| 14 | ブラームス Vn協 | ガライ/ ライプチヒ RSO | '61 | ODE ODCL 1011 |
| 15 16 17 18 19 20 21 |
ブルックナー
Sy. No.3 ブルックナー Sy. No.4 ブルックナー Sy. No.5 ブルックナー Sy. No.6 ブルックナー Sy. No.7 ブルックナー Sy. No.8 ブルックナー Sy. No.9 |
ライプチヒ RSO | '71 '78 |
ODCL BOX3 |
| 22 | ブルックナー Sy. No.8 | ライプチヒ RSO | PILZ 44 2063 | |
| 23 | マーラーSy. No.4 | ライプチヒ RSO | '76 | TKCC15104 |
| 24 | シベリウス Sy. No.4 | ライプチヒ RSO | '69 | BC 0031432 |
| 25 | ムソルグスキー 展覧会 | ライプチヒ RSO | '68 | BC 0030052 |
| 26 | オルフ カルミナブラーナ | ライプチヒ RSO | '60 | BC 0031202 |
| 27 | ショスタコビチ Sy. No.1 | ライプチヒ RSO | '63 | BC 0031702 |
| 28 | ショスタコビチ Sy. No.9 | ライプチヒ RSO | '72 | TH |
| 29 | バルトーク Vn協2 プロコフィエフ 3オレンジ |
ガライ/ライプチヒ RSO | '63 | BC 0031452 |
ブラームス交響曲選集
ODEから発売されているケーゲルのシリーズからブラームスを聴いた。
このシリーズで私が感心したのは、録音の素晴らしさである。但し、60年代前半のものはモノラルである。しかし、このモノラル録音が素晴らしいのだ。もちろんアナログ録音である。私は以前からデジタル録音よりもアナログ録音の方が音が良いように感じてきた。
例えばこのシリーズでは、ブラームス#1、#2、#2、#4、Vn協の5枚である。(#3がないのが何とも惜しい。私はこれが一番好きなのに。) このうち、#2の一方だけが70年代のステレオである。もう一方の#2はプライヴェート盤で、レコード番号がなく、モノラルである。(これだけが音質が特に劣る。)
その他の3枚はモノラルであるが、音が非常に鮮明で、一瞬ステレオかと聴き間違えるくらいである。奥行感も見事に再現される。
私は基本的に、もはやモノラルは聴かない趣味であるが、これだけの音が再現できれば見直してもよいと思えてきた。
演奏は2番(ODCL 1009)が良い。いわゆる熱演である。それ以上に素晴らしいのは聴衆だ。非常にマナーの良い拍手喝采を送っている。この時代(あるいはヨーロッパ)ではこれが当たり前なのかもしれない。是非この国の聴衆も見習って欲しいものだ。
このレーベルはおそらく「マイナー」であると思う。それだけに変な整形を加えずにオリジナルをそのままに近い形でCD(デジタル)化したのではないだろうか。(ホワイト)ノイズも盛大に入っている。しかしそれは聴いているうちにそれほど気にならなくなる。
むしろホワイトノイズまでカットしようとしたもののほうが、ハイ落ちがひどく、臨場感が著しく欠けてしまうように思えるのだ。
こういう優秀なモノラルレコードを聴くと、先に擬似ステレオ問題で話題にした、某ブルックナーシリーズのメーカーが改めて浅はかに見えてくる。
過ぎたるは及ばざるが如し、であろう。
(2000/10/02)
繰り返し述べるが、ケーゲルは狂った(だけの)指揮者ではない。本質を突いた音楽のできる人であったと思う。
この音楽を聴くと、彼も完全に天上人であったと感じる。
(00/08/31)
1891年 ドイツ・ベルリン生まれ
1912年(21) シェーンベルク「月に憑かれたピエロ」初演
1966年(75) 没
| 1 2 3 4 5 6 |
ベートーヴェン Sy.全 | ルガノRSO | '65 | PL PLCC 685/90 |
| 7 | ベートーヴェン Sy. No.3 | ルガノRSO | '65 | PL PLCC 727 |
| 8 | マーラー Sy. No.2 | ウィーンSOO [ADD] | '58 | MCD 80353 |
| 9 | マーラー Sy. No.5 | ORTF [AAD] | '65 | HMA 1905179 |
ケーゲルやシェルヘンはとかく「荒れ狂った」など、オモシロ半分のような評価をされがちだが、本当だろうか。(ロスバウト大先生やギーレンにしてもそうだ。)
私もこの程度のコレクションで大きな事は言えないが、もっと彼らの言いたかったことに耳を傾ければ、違ったものが聴こえてはこないだろうか。表面をキレイに整えただけの演奏からは決して聴こえてこないものが。
特にマーラー2番は、まことに美しい音楽が聴かれる。 (00/08/31、00/09/03改)
ウエストミンスターから、まとまってシリーズで発売されているが、私は交響曲・協奏曲を中心に聴く。管弦楽曲などはほとんど聴かない。それにモノラルのものも遠慮したい。だから他に聴きたいレコードはあまりない。しかもご丁寧に値段はレギュラーときては。
どんなに荒れ狂った演奏かと半ば期待して聴き始めた。
ところがである、とてもまともに聴こえるのだ。
マーラー5番のところでも述べたが、こういう演奏を狂っているとか、おもしろ半分にいう人達は、表面的な部分しか聞いていないんじゃないかと思えてくる。
キチンとベートーヴェンの本質を突いた演奏であるように思う。
自慢ではないが、私は青春時代をフルトウェングラー一本槍で過ごした。CD時代になってからはオーディオの面白さにも気付いて「音(質)」の良さも追求するようになった。するとだんだん古い録音からは遠ざかるようになってしまったのだ。決して音だけを聴いている訳ではない。最高の音質で再生したときの生々しさ、素晴らしさに気付いたのだ。
だが、今でもフルトヴェングラーの偉大さは認めるし、いずれ改めて聴き直すつもりだ。しかし何度も繰り返すがその時間が足りない。
一体、フルトウェングラーの表現とシェルヘンの表現のどこに違いがあるというのか。
過激さではフルトヴェングラーが一歩も引けをとるものではない。むしろもっと極端なぐらいだ。フルトヴェングラーだと賞賛されてシェルヘンだと笑われるのか。(どこかに書かれていたのでこのへんでやめるが。)
叫ぶ、唸るならバルビローリやちぇりだって相当なもんだ。
なんだ、ちぇりは聴かないと言っておきながらこっそり聴いているんじゃないか、と言われそうだが、当たり前だ。聴かずして意見を言える訳がない。たった2枚だけではあるが。
それは本人の「存命中」に出た黙認盤の「新世界」(AUDIOR)と、本人の死後、全く知らないところで横流しされた(しかも身内から!)、完全なる海属盤である「グレイト」(ENI TOCE 9590)である。(実は某自動車工場で極秘襟に行われた「展覧会の絵」の、これぞまさしく裏ビデオもある・・・いや、あったはずだ。最近はとんと見ないから、消してしまったかも。)
ここでの問題は「新世界」である。4楽章のコーダに来てこの指揮者は突然狂ったように叫び出すのだ。実は初めてこのレコードを聴いたとき、あまりに退屈でついうとうとしていたのだ。ところがここへきて、くだんの叫び声が聞こえたので、私は何事が起こったのかと飛び起きたほどなのである。
さてシェルヘンに戻る。
時々へんてこりんな音も聴こえてくるが、これも嫌味がない。(意図的なのか、単に吹きそこなったのかわからない音もあるが。) かえってモントゥーあたり、改変が耳についていやになってしまうところがある。モントゥーをあまり評価しない理由はここにある。改変自体を責めるわけではないが、その結果が気に入らないことが多いのだ。
それほど、私にとってはまるでオーソドックスな演奏なのだ。これらを「すべて」兼ね備えているところは、別格かもしれないが。先達ではクナ大明神ぐらいだろうか? 最近では宇野弘法なるエピゴーネンもおるようじゃが。
ま、たかだか3番を一曲聴いただけだから、あまりえらそうなことは言えないが。
ついに、この全集に手を染める時が来たようだ。
(00/08/23)
マーラー:交響曲 第5番
シェルヘン指揮/ORTF (HMA)
冒頭から、まるでソリストのようなシンバルがたまらん。シンバル協奏曲かと思ったほどだ。
本盤は巷大絶賛の、大胆カットの「と盤」である。肝腎なところが抜け落ちている。
これはただ激情に任せて荒れ狂っただけの演奏だと、方々では言われるが、私にはとてもそうは思えない。この演奏には心理的情動を感じる。それに異常な静寂感と冷涼な空気感がある。
これは録音の問題もあるが、ホールの最後列までの空気感をとらえているようだ。素晴らしい録音だ。「ADD」である。別のところでも述べたが、これがアナログ録音のよさだろうか。
この演奏がもしノーカットで残されていたら、とてつもない名盤になってに違いないと確信する。クーベリック盤を軽く凌ぐのではないかとさえ思う。残念でならない。
敢えてシェルヘンのマーラーは2番を聴く
マーラー:交響曲第2番「復活」
シェルヘン/VSOO/’58/STREO/(UNIVERSAL)
シェルヘンのマーラーといえば5番なんですが、ここでは敢えて2番を聴いてみます。
これはまたトンデモ盤です。三重の意味で、と申し上げましょう。
先ずその一重目ですが、録音がとってもおかしいんです。
ご案内のように’58年のステレオです。もしこれがモノラルだったら、私は絶対に買っていません。しかもフルプライスで4500〜4800円(2CD)でした。ぼったくりもいいところです。
「高い、どどど、ど〜うしよう。」とても迷いましたよ、マドギワさん。あっ、ヤマモトさん?
小5000円です。本当にそんな価値あるんか? 問いたい。強く問いたい。とことん問いたい。膝を詰めて問いたい。性根まで問いたい。
しかし、私は何も見なかったことにして、店のCD棚からレジまで、脇目も振らずに一目散に駆け付けました。もし途中で立ち止まってしまったら、その決心は揺らいでしまう。そしてまた小1時間迷わなければならない。
全体の音質は素晴らしいんです。音場感も良い。
しかし、この時代特有?のマルチマイクとやらの弊害で、バランスがとっても悪いんです。小さい打楽器(トライアングル、シンバル)やコントラバスが、突然最前列にしゃしゃり出て来て驚かされます。
ピンポンステレオ(左チャンネルと右チャンネルで「違う楽器群」の音を分けて出す。左右のスピーカーのところからしか音が聴こえない。おそらく対抗配置の効果は抜群であろう。)というわけでもないんですが、真中ぼんやりでスピーカー付近の人口密度が高い。
やはりその影響か、独奏のアルトとソプラノが左右(端)に別れている。
などなど、枚挙に暇はありません。
その二重目。
金管群が異常にへたくそ。
全体としてはスローペースですが、高い緊張感を伴って進行していきます。(だから演奏全体としては素晴らしい。)
しかしながら金管だけがその緊張感を持続できず、随所でアレレ・オヨヨしてしまっています。具体的に何ヶ所か指摘できますが、紙幅の関係(?)で敢えて割愛させていただきます。
そのトホホ度は大逆フィルハーモニーの金管群にも匹敵する、といえよう。(逆=さか)
このオケ、正式には Vienna State Opera Orchestra といいます。あれ、どこかで聞いたような。そう、ボールトとの惑星もこのオケで金管のもろさを露呈していました。
ボールトは’60年、これは’58年。いちおう限定条件をつけておきますが、「この時代の当オケの金管は、史上最悪のレベルである。」 いえ、決して某ィーン・フィルなどとは・・・。
その三重目。
そういうハンデをもろともせず、全体としては大変素晴らしいのです。とんでもなくイイ!のです。とりわけ声楽陣がいい。もう涙ものです。
繰り返しますが、全体としては緊張感を伴ったスローペースで進んでいきます。決して大袈裟にならない。先般述べた「大人の演奏」とは、こういうことを指します。
こういう悠揚迫らぬ大河のような流れの中から涌き出てくる感動は別格のものです。ありきたりな表現ですが、思わず目頭が熱くなってきます。ハッとする美しさもあります。
マーラーといえば、派手な音響美に「酔って」しまって、スカッと爽やかな涙を流すのも悪くないでしょう。しかしここにはそれとは異質な、内から湧き出てくる何かがあります。
シェルヘンというのはそういうことがわかっていて、それを実践できる指揮者ではなかったのだろうか。決して表面的に荒れ狂っていただけではない。
シェルヘンのマーラーを聴くと、そう思います。
ウレシイのは、ほとんど誰もこのレコードを推薦していないということです。これでこそ私の面目躍如たるところです。(ただし、イわしたマさよし、そしてオーイ福嶋クーン、うーむ、この人たちはやはり違う・・・?)
2002年1月23日(水)
1895年 オーストリア・グラーツ生まれ
フランクフルトの音楽院で学ぶ
1929年(34) フランクフルト放送響指揮者 (〜37年)
1945年(50) ミュンヘンフィル主席指揮者
1948年(53) 南西ドイツ放送響主席指揮者
1954年(59) 北ドイツ放送響とシェーンベルク「モーゼとアロン」初演
1962年(67) ルガノにて没
| 1 | シューベルト Sy.No.8「グ」 | SWFSO | '54 | WER 6405 2 |
| 2 | ブルックナー Sy.No.7 | SWRSO (S) | '58 | VOX CDX2 5518 |
| 3 | マーラー Sy.No.7 | ベルリン放送SO | '52 | VOX CDX2 5520 |
| 4 | マーラー Sy.No.7 | SWFSO | '57 | WER 6406 2 |
やはり録音が古いのがなんとも残念。